一句鑑賞:いくつもの恋をぶら下げ聖樹佇つ/杉山加織
もう一週間もすればクリスマス。ということでクリスマスの句を鑑賞します。
いくつもの恋をぶら下げ聖樹佇つ
杉山加織
掲句は「ひろそ火」の杉山加織さんの句集『ゼロ・ポイント』(朔出版)より。
この句は2つの読みができます。
ひとつめは、自分の部屋に飾りつけた聖樹にいくつもぶら下げた飾りを眺めているところ。それを自分自身の今までの恋の数と見立てている。
ふたつめは、街で見かけた聖樹の煌びやかな飾りを行き交う恋人たちの恋の数と見立てたというもの。
いずれにしても淋しさと同時に客観的に「恋」というものを見ているようです。
聖樹にきらめく飾りの数は、きらきらした恋の思い出でしょうか。
恋は終わってしまえば、美しいものに変わります。
いや、思い出したくもない恋もあったかもしれません。
「思い」が「想い」に変わり『恋』になり「重い」に変わったとき、その『恋』は終わりを迎えます。
恋がはじまれば、いつか終わりが来ることを知りながらも人は恋をします。
深い恋もあれば、淡い交わりを恋と覚えることもあります。
人の数だけ、恋があり聖樹のきらめきのようにときめくのです。
実らなかった恋も、許されない恋も。
恋は実るまでにかけた時間が長いほど深く続き、あっという間に始まった恋は燃え尽きるのも早い。
さらに恋の継続は、はじめるよりも難しい。
冬の寒さでガサついた手で触れられて傷ついた恋も、どうにもならぬ恋にひとりシャワーに顔を当てて泣いた夜の記憶もみんな聖樹にぶら下げておきましょう。そのうち思い出となってせめて光となってくれるでしょう。
次の恋は、きれいな手で触れてくれる優しい人だから、私を泣かせたりしないから、まだ聖樹にはぶら下げないでおくわ。
一週間後、聖樹の灯が消えても、みんなの恋が続いていきますように。
今回は五月ふみさんの「好きな俳句の一句鑑賞 アドベントカレンダー2024」という素敵な企画に参加させていただきました。
読んでいただきありがとうございます。