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「絶望し続ける」これこそ楽に生きる一番の近道
今は生きていてすごく楽だ。
仕事量が減ったわけじゃない。むしろ増えた。
負担は確実に多くなっている。
身体的にはきついのかもしれない。
でも精神的にはすごく楽。
自分でも不思議な感覚になっている。
恐らく俺はもう期待していないのだ。
いい意味で全ての人に期待をしていないのだ。
2024年は「絶望の年」だった。
期待して傷ついて傷ついて傷ついて、、
結果喫煙者にもなり
殺傷衝動まででるようになった。
本当に苦しい期間だった。
でもあの苦しかった期間は
本当に無駄ではなかったと言い切れる。
絶望とは
抱き続けた幻想が壊れる瞬間
現実を見る瞬間のことだ。
蛙化現象が分かりやすい例えだろう。
あんなにかっこく見えた彼が
あんなに可愛く見えた彼女が
「こんな人だと思わなかった、、」
と思って幻滅してしまう。
これは程度の軽い絶望だが
要はこれが絶望だ。
幻想を見てるときは楽しい。
全てが良く見えるし
まるでディズニーの世界。
誰だって幻想の中で生きたいだろう。
誰だって見たくないものは見たくない。
でも俺たちは「現実」に生きている。
必ず幻想が壊れる瞬間は来る。
恋人に抱いていた幻想が
起業をしようとして夢見た幻想が
進み続ければ必ず壊れる瞬間が来る。
皮肉だが、現実を見る瞬間が来る。
その現実から真向に立ち向かえるか?
その現実を受け入れることができるか?
ここから全て始まると思っている。
この現実を受け入れれない人が
うつ病で薬づけになったり
最悪命を絶つ人までいる。
でも気持ちは分かる
こんな汚くて残酷な現実から
逃れたいという気持ちは。
俺もそう考えてた時期もあった。
「こんなに苦しいのなら消えてしまいたい、、」
「なんで俺だけこんなに苦しんだろう、、」
そんなこと何度あったか分からない。
でもここからがスタートなんだと思う。
幻想という色眼鏡を外して
フラットに世界が
見えるようになってからが。
現実を直視すると
常に最悪を想定することができる。
「どうせ動いてくれない」
「どうせ上手くいかない」
このような前提ができる。
でもこれは全くマイナスな意味じゃない
この最悪から
「じゃあどうするか?」と考えることで
自分が何をすればいいか見えてくる。
本当の意味で自分の進みたい道に進める。
しっかり地に足をつけた状態で一歩ずつ。
確かに死んだ方が楽かもしれない。
死にたい人の気持ちも分かるから
別に否定したいわけじゃない。
でもせっかく生まれたなら。
せっかくこの地球に生まれたのなら
生きてみようじゃないか。
楽ってつまらない。
日々色んな感情を感じれるから
人生は面白いんだと思う。
心を動かされた数だけ
感情のブレの幅に比例して
人生の彩は濃くなっていくと思う。
だったらこのクソみたいな世界を
精一杯生き抜いてやろうじゃないか。
生きてれば良いことも悪いこともある。
でもこの2つの出来事のギャップが
幸せを感じれる瞬間だ。
絶望の先に明るい未来が待ってる。
月並みな言葉だが一周回って俺はそう思う。
とことん絶望しよう。
とことん堕ちよう。
大丈夫。そう簡単に人間は死ななない。
その絶望の先に
あなたが進みたかった道が見える。
止まない雨はないんだと思うよ。