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もうあなたは自由になっている。

自由になりたい。
一回は考えたことはあるはずだ。
僕もその一人だった。


僕は「学生生活」が嫌いだった。
なぜなら拘束だらけだからだ。
特に中学校は大嫌いだ。

僕が選んでるわけじゃないのに
強制的に閉鎖的なコミュティーにぶち込まれる。
もしそのコミュニティーが合わない場合
社会人のように場所を変えれるわけでもない。

だからコミュティーで嫌われないように
なるべく浮かないようにみんな振舞う。
自分の本心より、居場所がなくなるのを恐れてるから。

でもこれが僕にとっては息苦しかった。
僕は本心を優先してしまう生き物だ。
だから中学の時はイジメに合い
最終的には「ボッチ」になってしまった。
中学3年生の時には話せる人さえもいなかった。

加えて予め用意された答えを解く。
世の中に正解はないのに
正解を求めることが由とされる。
それが「勉強」なんだと刷り込まれる。

これもまた僕には合わなかった。
授業は毎日退屈で
先生の話なんて聞いてなかった。
ノートを取るどころか
話を聞くのさえまともにできなかった。
だから成績も悪かった。

僕は中学の時から「自由になりたい」
そう思っていたのかもしれない。
だから高校はわざわざ家から1時間もかかる
遠くの高校に通っていた。


「自由になりたい」という思いは
高校、大学と上がるにつれ
どんどん拍車がかかっていった。

自由になりたいという理由もあって
僕は大学時代、独立しようと思った。
会社員は自由ではないんだと
勝手に思い込んでいたんだ。

しかし独立に失敗して
ニートになった時に気づいた。
「自由を求めると不自由になる」と。

独立と言われると
好きな時間に起きて
好きな場所で仕事して
好きな人とだけ関わって、、
こんなイメージをするだろう。
僕もそのライフスタイルに憧れを持っていた1人だ。

でも実際は全然違った。
自分で仕事をするとは
良くも悪くも全て「自分次第」だ。

来月給料が入る保証もない。
だから常に頭の中に「仕事」がある。
彼女や友達と過ごしていても
ご飯を食べていても
トイレをする時でさえも
ずーーーーっと「仕事」が頭の片隅にある。

「どうすればお客さんを集められるか?」
「どうすれば自分がもっと稼げるか?」
こんな事を24時間365日永遠と考える。

またやることも多い。
例えば税金の場合
会社員なら経理がいるから
年末調整だけで済む。

しかし独立してる
特に駆け出しの場合は
税理士さんを雇う余裕もないので
確定申告を自分でしないとけない。

社会的信頼もないので
賃貸の審査も通りずらい。

誰も強制してくれる人もいないので
常に自分を律する必要もある。


はたしてこれが自由と呼べるのか?
いや不自由だろう。
これが「自由」を求めすぎて
「不自由」になってしまった成れの果てだ。


歳を重ねるにつれ自由になるのは確かだ。
使えるお金も増えて
職場は自分で選べて
人間関係も自分で選べる。

しかし
「学生時代の頃が楽しかった」
という人はかなり多い。

自由を求めてるはずなのに
なぜこのような言葉がでるのか?

それは「答え」が用意されてないから。
「答え」を自分で作らないといけないから。
それが意外と難しく大変だから。

答えが用意されてると楽だ。
自分と向き合う必要もないし
道を踏み外す確率も低くなる。

しかし急に社会に出されて
「じゃあこれから自分で答えを見つけてね」
と言われると
「え?どうやって見つけるの?」
となるのは当たり前だ。

これは日本教育の弊害でもある。
「自分で答えを見つけ出す」
という思考を放棄させて
自由を奪っていくように刷り込まれる。

だから世の社会人の口から
「学生時代の方が楽しかった、、」
という言葉が漏れるのだろう。


「何かを得れば何かを失う」
と言う言葉があるが
それは自由にも当てはまる。

恋人ができれば
他の異性と付き合うのはタブーとされる。
結婚していたら尚更だ。

会社員なら
毎月一定の給料が支払われるが
毎日9~18時は絶対に働かなきゃいけないという
条件が付く。

このように何を選んでも
何らかの「制約、縛り、マイナス」は100%ついてくる。
何を選んでもだ。


それでは自由になるためには
どうすればいいのか?

それは
もう既にあなた自由である
という事を自覚することだ。

え?と思うかもしれないがこれが事実だ。
現に今の選択をしたのは
全て「自分」だ。

親に言われたから
友達に言われたから
世の中がそれが由とされてるから

言い訳は沢山あるかもしれないが
最終的に選んだのは「あなた自身」なんだ。

繰り返しになるが
何かを選べば、必ず縛りやマイナスが
セットとなってくっついてくる。

だからあなたは既に自由なんだ。

「でも全然自由じゃないよ、、」
と思うのであればそれは

その選択に自由を”感じていない”だけ。
原因はあなたの選択にある。


もうこれは。どんな些細なことでもいいので
「自分で選択する」
という癖をつけていくしかないと思う。

ここで大事なのが
打算や、見られ方などを気にせず
「自分の本心か?」正確に感じ取ることだ。

ポイントとしては
その選択に少しでも”心のざわつき”があれば
それは打算や見られ方など
自分の尺度ではない何かが入っている。

しかし最初はそれさえも分からないかもしれない
でもこれは何回もトライ&エラーを繰り返して
徐々に感じ取れるようにするしかない。

学校では解答用紙の答えが
全て用意されてあるが
社会に出ると答えはまっさらだ。

まっさらな答えの用紙に
1つずつ1つずつ自分で
答えを書いていくしかない。

その答えの数の多さの分
あなたは自由になれる。

自由とは主観だ。
あなたがどう感じるかがすべてだ。

僕はスケボーをしてる時に自由を感じるが
人によっては引きこもってネトフリを見てるとき
ゲームをしてる時
もしかすると浮気をしてる時に
自由を感じる人もいるかもしれない。
自分がどう感じるかが全てだ。


僕はどんどん自由になってる。
今は最高に自由だと言い切れる。

それは僕は「答えの数」が多いから
トライ&エラーを繰り返して
まっさらな答えの紙に
自分がどんな時に
自由を感じるかの答えを書き続けてきたから。


自由の探求はとても困難で険しい道のりだ。
正直今の日本や世の中で由とされる答えを
思考停止して従ってる方が
1000倍は楽だと思う。

僕はその選択をしてもいいと思う。
それも自由だ。

でも世の中にはそうしたくても
自由になりたくてもなれない。
そんな人もいるんだ。

僕はたまたま治安も良くて
最低限の生活も保障される
「日本」という国に生まれてきた。

だから僕は「自由の探求」から逃げず
ひたすら自分の答えの紙に
1つずつ1つずつ答えを書き続けていきたい。

自由に生きるため
幸せに幸福に生きるため
僕は明日も自由を探求し続けていきたい。



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