俺はいつ死んでもいい。今日死んだっていい。
今日は記事書きたい欲が強いので
2本目を書いていきたいと思う。
かなり重めのテーマになるが
僕の生死観について。
僕は常に「いつ死んでもいい」と思って生きている。
もちろん自分から死のうなんて思わないし
まだまだ若い。
まだパートナーも見つかってない。
結婚するかもしれないし
もしかしたら
子供を持つ未来もくるかもしれない。
海外にだって行きたいし
今の会社のメンバーと苦楽を共にしていきたい。
スケボーを楽しんでたいし
来年の夏はサーフィンを思いっきり楽しみたい。
やりたいことは沢山ある。
だからまだ生きてはいたい。
しかし死ねば楽になれることは事実だと思う。
生きるというだけで正直苦しい側面はある。
悔しさ、妬み、怒り、悲しみ、、
感じたくもない感情を感じなければならない。
僕は人よりも感受性が強く
それでかつ感情の浮き沈みが激しい。
だからこそ嬉しい感情も強く感じれる反面
苦しい感情も強く感じなければならない。
しかし死ねば「苦しい感情」
を感じなくていいので、楽になれる。
本当に楽になれる瞬間は
死ぬときなんじゃないかと僕は思う。
これは余談になるが、よく母親が
「もう感じるのは疲れた、楽に生きていきたい」
そう言っているが
歳を重ねるとそうなるのかとも思う。
精一杯感情を感じきったら
人は楽を求めるのかもしれない。
「死」いうのはむしかすると
神様が与えてくれる
最後のプレゼントなのか?
「楽」という安息の場所を
神様が与えてるくれる。
それが「死」なのではないかと。
理想的な死にかたは
「感情を感じきって疲れて、老衰する」
なのかもしれないとも最近思ってきた。
しかし、
ここで勘違いしないでほしいのは
「楽」だから「楽しいか?」と言われると
僕はまったくそう思っていない。
恋愛を考えてみてほしい。
はたして楽しいことだけだろうか?
たしかに恋人といるだけで毎日がお花畑だ。
まるでファンタジーの世界にいるみたいに
毎日が充実する。
しかし、付き合う期間が長くなるにつれ
相手の嫌なところが見えてきて衝突したり
人によっては嫉妬に狂ったり
束縛に悩まされたり
人によっては浮気、DV、モラハラなので
身も心も傷つく人だっている。
恋愛以上に「苦しい感情」を
感じないといけないものはないのに
なぜ人はこれほど恋愛をしたがるのか?
それは人は
「感情を感じていたい」という欲があるからだ。
楽しい感情でも苦しい感情でも。
特に恋愛は「楽」と「苦」の感情が
まるでジェットコースターのように動く。
恋愛以上に感情が動く活動は
他にはないと思う。
この「楽と苦のふり幅」こそ
人生の醍醐味なんだと思う。
感情が動かないと人は退屈になるのだ。
刺激を求めて
専業主婦が不倫をしたりするが
これは「感情のふり幅」を求めているからだ。
人生は「感情をどれだけ感じれるか?」
が全てだと言っても過言ではないだろう。
だから僕も
楽しく生きることが
全てが楽しいことで
埋め尽くされることなんて思ってない。
むしろ苦しいことがあるから
楽しさや嬉しさを
より強く感じれるんだと思う。
ここでいう死んでもいいは
「まあ楽になれるし死ぬのも悪くないか」
というニュアンスだ。
正直死さえも受け入れてる節はあるのだ。
この生死観に至ったきっかけは
ニート時代にまで遡る。
僕はうつ病だった。
既婚者を好きなってからの4か月も
人生で3本指に入るくらい辛かったが
うつ病時代の方が100倍きつかった。
始めて死にたいと思った。
もうこんなに苦しいのなら
いっその事死んだ方がマシと。
うつ病時代の口癖は
「セミになりたい」だった。
セミは一週間で命を落とす。
その間に子孫を残すためだけに生きて
子孫を残した瞬間に息を引き取る。
うつ病時代は
早く死ねるなんていいな。
寿命が決まってるっていいな。
一週間で死ぬなんて楽でいいな。
そう思ってた。
しかし今思うと
この「セミになりたい」と思ったのは
早く死にたいわけではなくて
セミのように毎日必死に生きれば
人生は充実するだろうなという羨ましさだ。
一週間という短い期間だからこそ
一生懸命生きようって思うんだ。
もちろんセミは
そんな事考えてないだろうが
僕にはそう映ったんだ。
だから僕は今
今日が最後の日だと思って
精一杯今を感じていたいという無意識
が自然と働いてるんだと思う。
だから僕は人より行動が早いし
全力で物事取り組めるし
いつも捨て身なんだと思う。
正直今の日本は平和ボケしすぎだ。
明日がくる保証なんてどこにもないのに
未来のことばかり気にして生きている。
貯金が、、投資が、、
こんな事したら気まずくなるから、、
保険が、、保証が、、
そんな来るか分からない未来ばかりに
妄想の世界に怯えてばかりいる。
もちろん未来を見据えることは
何も悪いことじゃない。
むしろ良いことだ。
問題なのは
未来がくるもんだと思い込んで
妄想に怯えてることだ。
「死」を感じる経験をすることがない
平和な日本だからこそ
このような現象が起きるのだろう。
平和というのも良いことばかりじゃない。
だから僕にとって
うつ病は「死」を感じる経験となった。
死ぬほど苦しかったけど
本当にいい経験だったと思う。
今を精一杯感じて生きていきたい。
でも死んでも楽になるだけだから
まあ、それも悪くないか
これが僕が思う生死観で
「死んでもいい」というニュアンスだ。
もう日付を超えてしまったが
僕は今日も明日も明後日も、
5年後も10年後も50年後も、、
「今」精一杯感じて
感情を精一杯感じて
沢山笑って
沢山涙を流して
沢山起こって、
沢山笑いあって、、
たっっっくさん
感情を感じて生きていきたい。
感情の数だけ人生が豊かになるし
感情の数だけ人は優しく、成熟できるんだと
僕は思うんだ。
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