
坂の途中のねこ食堂
2.繁盛記
まぐろの中落、揚げ餃子、サバ味噌
まぐろの中落は、近所の「おとと屋」さんが母のために
特別に安価でおろしてくれる。
当時、まぐろの肋骨の部分は捨てられていた。
しかし肋骨の間の身を、スプーンでこそげ落とすと、
見た目は悪いがトロのように脂が乗のった身が取れ、
思いのほか旨いので、見直された時期でもあった。
揚げ餃子もやみつきになる旨味があり追加注文がくる。
具には少量の焼き味噌が練りこまれていて、絶妙なのである。
「ねこ食堂」は、
昼は、
上京した男性を、サバ味噌や
焼き魚、煮物、きんぴら、など
いわゆる
「おふくろの味」
で惹きつけた。
夜は
「ただいま」
と言って暖簾をくぐる、癖になる味を求める
常連客の集う居酒屋となった。
今の大型店舗では、形の良い「F1種」が主流であるが、
当時の「八百屋」では、
色っぽく股を隠す大根や、
真ん中の足があるニンジンなどが、
籠の中で「買ってぇ~💛」と色仕掛けをしてきたものだ。
「あらやだ!」必ず買ってしまう母であった。
そしてカウンターの上に鎮座させておくのである。
また、外国人が「まぐろの中落ち」の見た目に驚き
「What's this?」
と尋ねれば、
「スクランブル刺身!」
と即座に答え、
「Oh!」
一瞬で絶妙なコミュニケーションをする。
そんな笑いの絶えない、話術も巧みな店だったのである。
母「静子」の笑顔が春風のように温かく評判は良いのだが、
商店街からの評判はというと、微妙な感じがあった。
問題は、そこに以前住んでいた3人の「娘」だ。
評判がすこぶる悪いのである。
母からすると、義理の姉妹、いわゆる小姑(こじゅうと)という訳だ。
親の大工という仕事が、
「おのれを飾るのに相応しくない」
というので、軽蔑する発言を繰り返していたらしい。
そう、彼女らからすると、お父さんが「大工の源さん」なのである。
「みっともないったら、ありゃしない!」
目を吊り上げ、額に皺をよせ、あごをしゃくりあげて言う。
そこに嫁いで来たのは、無邪気な田舎娘の母「静子」である。
都会育ちのプライドなのか、なにかと「静子」を口撃する。
「納豆に砂糖を入れるなんて!」
「畳を水拭きする?色が変わるじゃない!」
「おっぺしてって何よ!」(押すこと:八王子界隈の方言)
等々、細かい文化の違いや方言を見つけては、ケタケタと笑い罵倒した。
極めつけなのは、自分たちはろくに働きもしていないのに、
「あくせく働くなんてバカよ!」
口癖のように言うものだから、日夜働きづめの商店街の人たちの
神経を逆なでし、
「あんな小姑が3人もいたら、長続きする訳がない。」
となるのも当然だった。
そして新規開店した「ねこ食堂」は繁盛していて、笑いが絶えない。
それも気に食わない。
「あくせく働くなんてバカよ!」
また呪文のように言う。
3人の小姑にしてみれば、自分たちの育った実家を
祖父(小姑から見れば父)の「源」が食堂に作り変え、
商売を始めたのだから、なおさらだ。
「こんな食堂なんで、いかがわしい商売して!
恥ずかしいたりゃありゃしない!」
毒々しい発言を、母や祖父の「源」にまで浴びせ続ける小姑たちは、
幼いぼくにとっても、般若のような存在であった。
一番末の小姑(こじゅうと)「竹子」は行き遅れの独身で
実家に残っていた訳だが、食堂の開店にあたり、
母「静子」との同居を嫌がり、ぼくたちが住んでいた借家に移ることとなり、
ことさら機嫌が悪く、醜くぶんむくれている。
形の上では、長男の「史郎」が実家に戻った訳で、これはおかしくはない。
しかし「史郎」は、大酒飲みで、最近まで脳卒中で入院していたし、
甲斐性がないので、長男として認めたくはない小姑たちなのである。
確かに、そのころの父「史郎」は、働きもしていない。
店の売り上げを持ち出しては、スマートボールやパチンコに行く。
そんな人なのである。
そして、滅多に登場しない「祖母」の「葵」であるが、
肺結核が元の肺炎で、総武線沿線の病院に入院していた。
身内に結核患者がいたら、嫁ぎ先が無くなる。
この結核だった祖母の「葵」こそが、3人の小姑にとって最大の隠し事であり、
「おのれを飾るのにもっとも相応しくない」
存在でもあった。