NHK『花子とアン』からかいま見えるお花畑史観
NHKの朝ドラ「花子とアン」に出てくる葉山蓮子は、柳原白蓮という実在の人物がモデルである。またその夫として登場する宮本龍一なる人物も宮崎竜介というこれまたれっきとした実在の人物である。このうち宮崎竜介は柳原白蓮に比べるといささか影の薄い人物ではあるが、その父親こそは誰あろう、革命家孫文を物心ともに支援した人物として名高い宮崎滔天その人である。
そしてこの宮崎滔天が属していたのが、当時大きな影響力を持っていた政治団体玄洋社である。この玄洋社は、戦後、歴史界では超国家主義団体、あるいは超国粋主義団体とされてきたが、その実態はむしろ左寄りの政治団体であった。それはメンバーの多くが自由民権運動の壮士上がりであったことからも、また彼らがアジア各国の革命家を積極的に支援したことからもわかるはずだ。
にもかかわらず、この玄洋社が狂信的な国粋主義右翼の総本山であり、良い子のみんなは近づかないようにと戦後長い間タブー視されてきたのはいったいなぜなのか。
理由はかれらが唱えたアジア主義という思想そのものにある。アジア主義は、列強による植民地支配に対抗するためアジア各国が手を結ぶべしとする考え方であるが、それは列強にしてみれば自らに歯向かうことを大義とする危険なレジスタンス思想でもあった。
このアジア主義が、軍国主義対民主主義という虚構をもとにした旧連合国による支配の正当性をおびやかすものとして警戒されたからこそ、連合国はこの思想を危険なものとして封印し、その総本山である玄洋社を歴史から抹殺しようとしたのである。
ところで、「花子とアン」というこのドラマでは、宮崎竜介を人妻と駆け落ちするほど進歩的な考え方の持ち主として描く一方、その父親が属した玄洋社については当然ながらいっさいふれられていない。しかし、そのあたりの背景を知るものからみれば、そこには超国粋主義者というレッテルを貼られた父親・宮崎滔天と進歩的かつ開明的な青年である息子・宮崎竜介というあまりにも現実離れした対比が浮かび上がってくる。
私からみてこのドラマがいかにも作り物っぽく感じるのは、そうした虚構がありありとそこに見えてしまうからなのかもしれない。そして、その裏に見え隠れする制作者のお花畑史観も…。