おじさん・ザ・エッセイスト 第14回 〜"SNS"を考える〜
"半年ROMれ"
こんにちは。
おじさんです。
先日、無事に第二子が生まれました。
子育てはより一層大変になりましたが、人生において数回あるかないかという貴重な体験の中、充実した日々を過ごしております。
さて、今日のテーマは「SNS」です。
皆さんはSNSをどれくらい使っていますか?
パッと思い付くのはこんなところでしょうか。
どれもスマホのアプリなどから手軽に参加でき、我々のバイオリズムと密接に結びついています。
SNSはテレビやラジオなどの一方向な情報伝達をするメディアとは異なり、そのコミュニティに参加している人と人との双方向のコミュニケーションで成り立つという特色を持ちます。
人は他者との繋がりの中で自分という存在を認識する生き物です。
手元の端末から世界中の人々と気軽に繋がることができるインターネットは、人類の発展に大きく寄与したといえるでしょう。
しかし、たくさんの人が集まるということは、それだけたくさんの意見や発言が生じるということでもあります。
情報の拡散とそれに関する議論の激化が、たびたび炎上と呼ばれる現象を引き起こしていることは最早言うまでもありません。
中でも、迷惑動画問題は多くのSNSで頻発している上に火が付きやすく、SNSを越えてテレビのニュースでもしばしば取り沙汰されています。
一昔前には従業員が内輪で撮った写真や動画がSNSにアップされることで拡散・炎上するバイトテロが問題になっていましたが、近年では客が自身(または同席者)の迷惑行為を動画に収めてSNSにアップするといったケースが多くなってきたように思います。
数ヶ月前に話題になった某回転寿司屋で醤油差しや湯呑みを舐め回す少年の動画は、SNSを通じて日本のみならず世界に拡散され、飲食業界を震撼させました。
犯罪行為のような人の不快感を強く掻き立てるものほどその拡散力は強く、SNSに迷惑動画をアップする若者たちは皆、競い合うように挑発的な迷惑行為に及んでいます。
不思議なことに、彼らの多くは自らの行為が犯罪であることを分からずに、さも面白いことをしているかのような素振りをしています。
故に、事態が自身の想定を超えて大きくなるまでは、どれだけ批判の声が上がっても反省の色を見せることはありません。
SNSでひとしきり拡散された後に取り返しのつかないことをしたと気付いても、その時にはもう遅いのです。
この度を越した悪ふざけの根底には、一体どのような心理がはたらいているのか。
人間は社会性を持つ動物であり、社会における自らのポジションを無意識的に優位に運ぼうとする習性を持っています。
それが「自己顕示欲」と「承認欲求」です。
これらの欲求は周囲に自分自身をアピールすることや、他人に認めてもらうことによって満たされます。
迷惑動画が生まれるのは、肥大していく欲求に伴って行為がエスカレートしていった結果といえます。
インフルエンサーや動画投稿者の真似事をする程度ならまだ可愛げがあるのかもしれませんが、実情は違法行為に及んでしまうケースが非常に多く、炎上騒動まで発展しているものは御多分に洩れず、といった具合です。
要するに、彼らは注目を集める手段を取り違えているのです。
倫理観の未成熟な若者であれば、人気者たちと似たような行動をしているのに何故自分だけが罰を受けなければならないのか?と疑問に思ってもおかしくはないのかもしれません。
しかし、世の中というのは思ったよりもずっと厳しいものなのです。
件の回転寿司屋の迷惑動画に話を戻すと、彼が社会に与えた損害は計り知れず、とても人一人が贖えるものではありません。
誰も救われないこの顛末、防ぐ手立ては無かったのでしょうか。
悪名は無名に勝るといいます。
良くも悪くも耳目を集め、収入や支持者を増やせばそれで良いという一部の身勝手なインフルエンサーや動画投稿者。
そのような人達を持て囃した結果、便利さや豊かさ、エンターテインメント性の裏に大きな落とし穴を設けてしまったのはSNSの功罪といえます。
インターネットの発展により、今や誰もがSNSを通じて自分という存在を広く世界に発信する術を持ってしまいました。
面白い事をしたい、目立ちたい…、そんな欲求に突き動かされた結果、愚かな行動で人生を棒に振ってしまう若者は少なからず存在します。
そのようなことのないよう、メディアリテラシーや公衆道徳といった教育の面でも、SNSとの向き合い方を考えるべき時代なのでしょう。
それでは、今回はこのへんで。
author, P
2023/7/6