セブ島滞在記 フィリピン人は自分で幸せだと感じる能力が高い
幸せそうだなぁと感じるのは、自分自身で感じるべきです。
他者から幸せそうに見えるとか、見えないとか、そんな他者基準の幸せ定義を含めなくていいんじゃないかなぁと思うんです。
今日はこのことについて考えてみます。
フィリピンセブ島に来ています
フィリピンのセブ島に来ています。フィリピン人の楽しそうに生活している様を見るたびに、本当にみんな幸せそうです。私がフィリピン人を見ると幸せそうに見えるのは、彼ら彼女らが心の底から自分自身を幸せだと実感していることにあるんだと思います。
フィリピン人の幸せ度はとても高く、日本人の幸せ度はとても低い統計データがあります。これはなぜなのでしょうか?
経済発展は歴然とした差があり、産業、教育、治安、医療、金融などすべての客観的データでは比較できないほど両国には差があります。
それなのに、「幸せ度」が逆転するのはどうしてなのでしょうか? 「幸せ度」はすべての項目の最重要指標なのにね。
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A:自分で幸せを感じ、他者からも幸せそうに見える
B:自分では幸せを感じているが、他者からはそうに見えない
C:自分では幸せを感じてないが、他者からは幸せそうに見える
D:自分で幸せを感じてなくて、他者からも幸せそうに見えない
この4つのパターンをマトリックスに表すと下記の通りになります。
私は会社員として働いていて、幸せについて探求することにかなり時間をかけて行いました。そして退職を決断し、現在セカンドライフは過ごしています。セカンドライフではこの幸せについてを実践中なんです。
私の行き着いた結論は、今、幸せでいればいいんです。幸せになろうとしなくてもいいんです。そして自分自身で自分が幸せだと感じていればそれだけでいいんです。
つまり他者からの視線とか、客観的な評価とか基準値があるとか、全く関係なくて自分の主観だけで、「幸せだと感じればそれで幸せだ」というのが私なりの幸せの定義です。勝ち取ったり、掴み取ったり、成し得たりするものだけではなく、今存在していればそれで幸せと定義しています。
その私の定義でこのマトリックスを見直しますと、自分で幸せを感じていればいいので、他者からの評価が関係ないのでAとBが幸せであるとなります。
自分が幸せだと感じていないのに、他者から幸せそうに見えると言うのは幸せだとは思いません。
生活スタイルや友人関係、仕事の業績、所有しているものなどから、他者が幸せそうに感じるのでしょう。他者から感じる幸せとは、うらやましかったり、憧れだったり、自分のなりたい姿が反映して、他者を幸せに見えると表現することがあります。
その時自分が幸せに感じていなかったら、私はそれは幸せだと思いません。
素直に表現した場合の話です。本当は満足して幸せなのに謙遜して幸せじゃないと発言するのはこの中では論じません。
成長を促すためには低いレベルで満足すると自分の成長が止まると論じる方がとても多く、私もそれに対して同感です。それは目標達成や勝ち取り型の幸せなので今回は論議の外に置きます。
主観的な感じ方として幸せを感じることを論じているので、低いレベルであっても幸せを感じればそれでいいんです。
私の場合には散歩して、健康が維持できれば幸せですし、お花がきれいに咲いているのを見ればそれで幸せです。友人と楽しくランチを談笑するのも幸せですし、猫がニャーと声かけてくれるだけでとても幸せを感じます。
幸せの基準は人それぞれでいいんです。私の幸せの基準はそのレベルに置いています。だから毎日が幸せです。
フィリピン人は、そんな幸せの感じ方を小さい頃から大人になるまでずっと身につけているため、毎日が幸せなんだと思います。
パターンA:自分で幸せを感じ、他者からも幸せそうに見える
自分が幸せを感じて、他者からも幸せを幸せそうに見えるこのタイプが理想的な形と言えるでしょう。
自分自身が幸福感を持ち、その幸福感が他者にも伝わることで、周囲の人々からも「幸せそう」と評価されます。この状態を維持するためには、自己承認と他者承認のバランスが重要です。
自己承認とは、自分自身を認め、価値を感じることです。自己承認が高い人は、日常の小さな喜びや達成感を感じやすく、ポジティブな自己イメージを持つことができます。
また、他者承認、つまり周囲からの評価や承認も重要です。家族や友人、同僚などからの肯定的なフィードバックは、自分の幸福感をさらに高める役割を果たします。
パターンB:自分で幸せを感じるも、他者からは幸せそうに見えない
このパターンは、自分自身は幸せを感じているものの、周囲の人々にはそれが伝わらない状態です。
日本ではこのパターンが比較的多いかもしれません。日本人は内向的で控えめな性格が多く、自己表現が苦手な人が多いと言われています。自分の幸せを他者にアピールすることが少なく、その結果、他者からは幸せそうに見えないことがあります。
この場合、自己承認が高くても他者承認が低いために生じるギャップが問題となります。自己承認を維持しつつ、他者とのコミュニケーションを増やし、自分の幸福感を共有する努力が必要です。
私はこのパターンでOKとしています。例えば、猫がニャーと泣いただけで何を幸せなの?と言われればそれまでなのですが、私が決めた幸せの中にはそれで幸せなんですからOKなんです。
猫が泣いた程度で幸せを感じるなんてレベルが低いと言われても、それは他者の基準であって、私の基準ではありません。
パターンC:自分では幸せを感じてないが、他者からは幸せそうに見える
このパターンは、外見や表面的な行動が幸せそうに見える一方で、内面的には幸福感を感じていない状態です。社会的地位や経済的成功を収めているが、それが自己満足や幸福感につながっていないケースがこれに当たります。
日本人は、社会的なプレッシャーや期待に応えようとする傾向が強く、他者からの承認を重視する文化があります。そのため、見た目や表面的な成功を追求することが多く、自己承認が低いまま他者承認を得ようとすることがあります。
この状態を改善するためには、自分の内面と向き合い、自己承認を高めることが重要です。
パターンD:自分で幸せを感じてなくて、他者からも幸せそうに見えない
このパターンは、最悪な状態です。自己承認も他者承認も低いため、内外ともに幸福感を感じられません。日本人の幸せ度が低いと言われる背景には、このパターンが少なからず影響しているかもしれません。
フィリピン人のFACEBOOK
現在フィリピンセブ島に滞在して多くのフィリピン人との会話を楽しんでいます。私からフィリピン人を見ると、みんな幸せそうなんです。
Facebookがとても盛んで自分自身をアピールすることがとても上手です。日本人は食事を撮ったり、風景を撮ったり、自分の顔を移さないようにしてポストすることが多いようですね。
フィリピン人のFacebookは自分の顔が真正面に来て、どんどん自撮りをしてアップします。友人と一緒なら楽しそうな雰囲気もわかるのですが自分1人で撮って自分であげているFacebookをよく見かけます。ものすごく自分が大好きで自分に対する自信が満ちています。
日本人の感覚からするとちょっと引いちゃう画像です。それでも本人たちはそれに満足しています。つまり自分自身で幸せを感じているんです。
自己承認欲求のヒントがここにあることに感じました。そして、それが自信をつけることになり、幸せを感じる好循環を生み出しているようです。
誰かに認められたからこそ幸せを感じるのではなく、自分の幸せを自分自身で感じることがフィリピン人の性格です。
私がセカンドライフに移行できた大きな自己承認のポイントは、フィリピン人から学んだのはここにあると感じています。