してあげる幸せ=してもらう幸せ 成り立っているかな?
昨晩は、「梅干ししか言わない班」、と一風変わったネーミングのWorkShopに参加しました。 名前とは似つかわしくなく?? 至って真面目に、各自の目標に対する進捗状況の報告と、意見交換の有意義な時間でした。
幸せには、
3つの幸せがあるって話題にあがりました。
”してもらう幸せ”は、
小学生が、親から洋服を着せてもらう嬉しい幸せ
新人社員が、先輩から助けてもらう幸せ
”できる幸せ”は、
小学生が、逆上がりができる幸せ
新入社員が、自分一人で商談ができる幸せ
”してあげる幸せ”は、
小学生が、集団登校で、下級生の面倒をみる幸せ
新入社員が、先輩社員をサポートする幸せ
◇
3つの幸せに、年齢の要素を入れると
50歳を過ぎると、やはり
してあげる幸せ>できる幸せ>してもらう幸せ
となるだろう。
わたしは、若い頃は、身勝手に、”自分ができる幸せ” ばかりを追い求めていました。
"してあげる幸せ"、例えば、人に対しての、サポート、援助、手助け、募金、ボランティアなどは後回しであった。というより、時間の無駄と思い、避けていた気がする。
年齢を重ねるとは、不思議なもので、50歳を過ぎると、"できる幸せ" が減ったからなのか、"してあげる幸せ" が1番楽しくなってきている。
参加メンバーの中には、若いけど、「人の成長や能力を開花させることに貢献したい。 それが私の幸せです」と、発言される方もおり、各自の考えが共有できたことも、大きな収穫でした。
辛い人に、一(ひとつ)の手を差し伸べるだけで、幸せになる。
これこそ、”してあげる幸せ” ってことだろう。
先日の友人から依頼されたロジカルシンキング座談会では、私が講師役として、多くを語ったことで、心地よさが残ったのは、"してあげる幸せ" だったからだろう。
◇
ロジカルシンキング座談会では、
私は”してあげる幸せ” に満たされたのだが、
さて、”してもらう幸せ” は、友人たちにはあったのだろうか?
してあげる幸せ=してもらう幸せ
これって成り立っているのだろうか?
”してあげる幸せ” の対象者には、
”してもらう幸せ” があって、Win-Winが成り立つはず。
このバランスが崩れるとWin-Lose あるいは、Lose-Loseの関係になってしまう。
例えば、
ヘルプばかり求める新人社員には、先輩は、煩わしく思うだろう。
独り立ちした新人社員に、いつまでも手をかける先輩社員は、鬱陶しいだろう。
高齢者のおばあちゃんたちが、孫世代の若者に手を差し伸べているシーンをよく眼にする。お年玉だとわかりやすくWin-Winが築くことができる。
しかし、
昔からの慣わしや、
現代社会に通用しないウンチク、
必要としない過去の経験、
お腹いっぱいなのに、もっと食えと強制
延々と語られたり、
しつこいことは
若者はたまったものじゃない。
全くもって、これらの行為は、
邪魔だったりする。
高齢者の、良かれと思いやっているこれらの行為が、実は、本人たちにとって、”してあげる幸せ” を獲得している行為だったと考えれば、この不必要なおせっかいの説明がつく。
(まこさん心の声)
そうはなりたくないな〜
自分だけの思いよがりの行為だもんな〜
頼まれた依頼に真摯に受けるなら、相手にとってメリットがあり、こちらにも、”してあげる幸せ” を感じることができる。Win-Winだ。
高齢者の頼まれもしないで、善意の押し売り行為は、相手にとってデメリットで、自分にとってだけ、してやった感があるので、こんなWin-Loseの関係で避けるべきでしょう。
◇
WorkShopに参加して、こんなたくさんの気付きを与えてもらいました。”してもらう幸せ” を感じることが出来ました。
日程調整していただいた班長、副班長、それと積極的に討論に参加したメンバーたちに感謝いたします。
素晴らしいメンバーから、”してもらう幸せ” を私は感じることが出来ました。
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