化石頭の教師たちはChatGPTを恐れる
ChatGPTはすごいね。学校で使用禁止になってるとニュースを読んだ。保守的で現状維持がベストと考える化石頭の学校教師が取るべき行動は「使用禁止」。そりゃ変化を嫌い、現状維持こそすべての先生にとっては、価値観に沿った行動だから納得。
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私は、テクノロジーはどんどん使っていきたいと考えているほうだ。会社員として仕事をしながら、頻繁に使った言葉は
信憑性は?
出所は?
データーソースは?
出典は?
どの雑誌に載ってたの?
全部一緒の意味だねw
つまり客観的データと主観的個人の思想を分けて考える時に使う一言だ。
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会議室での討論をよく聞いていると、客観と主観の区別ができてない人がいる。これは、あまり仕事のできない人の特徴だ。ひとりよがりの発言が続くと、会議が収束しなくなるので、時間ばかりがかかってしまう。
仕事ができる人の特徴は、客観的事実を明確にデーターソースをもとに発言したあとに、それについて、自分では〇〇と思うと主張する。
このように発言してもらえると、論点は客観的事実には向かず、主張した〇〇と思うか、思わないか だけに絞られる。討論があっちこっちに行かないので、短時間で結論が出せる。
キレッキレッのファシリテーターは、討論するポイントと討論しないポイントの境目に、納得度の高い一本の線を、はっきり書ける人のこと。
討論者は主観的発言が増えるのは当然なので、しっかりとしたファシリテーターが会議室に1人いつもいればいいんだけどね。
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さて、ChatGPTの信憑性はいかに? 信じていいのか?
信じるかどうかは置いておいて、いづれにしろ、データーソースとしての一つとしては使えると考える。noteプラットフォームにも、引用としてグレーゾーンで出典を書けばそれでいいんだと思う。
あくまでもChatGPTが答えましたという一つの事実として認めればそれでいいんだと思っている。
信憑性については、一つの指標として、会社員時代は医学論文としての場合、インパクトファクターを用いていた。
学術論文をどの雑誌に掲載するかで、インパクトが変わる。何が違うかというと引用数が違うんだ。一般的に引用されればされるほど、客観的事実に近いとされる。インパクトファクターが高い雑誌では、複数のレビューアーの厳しい査読がある。載るだけでも至難の業。
例えば、例を挙げると
『トマトは血圧を下げる効果がある』と結論づけた論文があるとします。
雑誌A → 高いインパクトファクターの雑誌、NEW ENGLAND JOURNAL OF MEDICINE とか JAMA( JOURNAL OF THE AMERICAN MEDICAL ASSOCIATION)
雑誌B → 低い(ゼロ)インパクトファクターの雑誌、週刊文春などの週刊誌
雑誌Aと雑誌Bでは、あなたは、どちらを信じますか? 信憑性って、こんな感じ。
出典として回答したのがChatGPTであることの事実はデーターソースとしてOKだと思うんです。ちゃんと開示すれば、それで良し。それを信じるか信じないかは、引用した作者や受け取った読者が判断すればいい。
雑誌Aと雑誌Bのような感じですね。
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さて、学校の先生とChatGPTについて。
学校の先生が、一律禁止にするのは、生徒があたかも自分の回答のように使用したり、何も考えなくなることを恐れているのだろう。
そうじゃなくて、どんどん使用させて、ChatGPTはこのように答えましたと、はっきり出典を明示させる教育をしてほしい。
先生はそれを聞いて、
「ChatGPTの回答を読んで、あなたの意見は何?」
「どうしてそう思ったの?」
と深掘り質問をしてほしい。
学校教育は、一つの正解を有無を言わせず覚えさせるだけですよね。これじゃ考える力は身につかないない。質問を練習や考える練習を、もっと義務教育でさせてほしいな〜。
フィリピン、セブ島のNPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で、里親支援を続けています。 子どもたちの大学卒業までの学費支援等、教育資金に活用させていただきます。 ホームページ→ https://daredemohero.com