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学習している気になっているだけ、それ娯楽かもよ
毎日のように調べたいことや気になったことをGoogleで検索することが癖付けられています。
近年ではYouTubeで調べることも増えましたし、ChatGPTやGeminiを使うことも日常になりました。
目的を持って検索したり調べたりすることは、知識習得としての学習の一部かと思っていたのですが、もしかしたら、その場しのぎの知識を得ただけの娯楽なんじゃないかと考えるようになりました。
最近、私がよく見るだけかもしれませんが、YouTubeの教養型コンテンツや書籍要約チャンネルが大人気です。
多くの人が知識を手軽に得られる手段として活用しているように見えますが、それは本当に「学習」なのでしょうか? それとも「娯楽」なのでしょうか?
今日はそんなこと考えてみます。
テレビは娯楽?
テレビは娯楽です。見なくなった人が多いと聞きますが、教育系番組なら学習なのでしょうか? たまたまチャンネル合わせただけなら、それは娯楽でしょう。
娯楽が良くないものだと言っているわけではなくて、学習して知識を得て学んでいると勘違いしているのがどうかと思っただけです。
例えば、娯楽・エンターテイメントの象徴として、映画やコンサートが挙げられると思います。
映画を見てそれを学習と捉え、そこから得た情報で自分の行動変容したり、映像コンテンツを使ってみようと思ったり、主人公のような人生を歩んでみようとか、、、そんなふうに行動変革する事は少ないと思います。
また、コンサートに行って、あんな風に演奏してみたいとか、自分も上手に歌が歌えるようになりたいと行動変容をすることも少ないと思います。
テレビの教育系番組も同様です。
純粋にその場を楽しむことが「娯楽」でそれで目的は達成しているものです。一般的にエンターテインメントと言うのは、その場だけで満足してしまえば良いもの、一時的なものと捉えています。
一方、転移学習で書いたように、学習と言うのは、1つの経験を1つの経験や知識をもとに多方面への応用が効くもののことを指しています。(リンク先→
時代はVUCA! 想像力を高める『転移学習』のすすめ)
お笑い番組のようにコンテンツ自体がエンタメ要素が大きくても、そこから応用が効かすことができるのであれば「学習」ともいえます。
娯楽なのに学習と勘違いしている人
コンテンツ自体が学習要素の強いものであったとしても、フーンとただ聞き流すだけでは、あるいはその時だけ面白かっただけでは、映画を見たのと同じなんだと感じています。
情報商材と呼ばれるタイプのものを購入したりするだけで、あたかも自分の行動が変容したように勘違いしている人が多いようです。
まるで大学の授業中、ただひたすら居眠りをしている学生が、何も学ばずに卒業して社会で全く役に立たないことと大きな違いはないです。
自分で選んだからとか、お金を出して買ったからといった能動的な行動を前向きに捉えて自分を納得しているだけですよ。結局、結果が出ないんだったら、それは娯楽なんですよ。
人生が前向きに好転しない人って意外とこんな人なんじゃないか? とある人と話していて感じることがあったので、今日は記事のネタにしています。
娯楽と学習の定義
言葉の定義を確認します。国語辞典によると、「娯楽」とは「心を楽しませるための遊びや気晴らし」を指します。短期間で楽しさやリラックスを得る行為ですね。
一方、「学習」は「知識や技術を学び、それを身につけること」と定義されています。つまり、何かを学び、それを実際に活用できる状態になることが求められます。
私見を加えますと、「娯楽」とは一時的な楽しみを得るもの。「学習」とは学んだ知識を行動に移し成果物を生み出すこと。 と考えます。
知識が実際の行動や結果に結びつかなければ、ただ情報を得ただけで終わってしまうのです。
YouTubeの教養型コンテンツは娯楽か?学習か?
では、YouTubeの教養型コンテンツはどうでしょうか?
一見、教育的な内容を扱っているので「学習」に見えます。しかし、そのコンテンツを視聴しているだけでは、実際には何も行動に移していない場合が多いのではないでしょうか。
たとえば、ビジネススキルや心理学、歴史の解説動画を見たとしても、視聴した瞬間に「学んだ」という満足感だけで終わってしまうことがあります。
確かに、視聴中に「学習している気分」になれるのは大きな魅力です。短時間で知識を得たように感じるため、自分が成長したと錯覚しがちです。
しかし、それは本当に学びになっているのでしょうか? 学習した気になっているだけではないか?
ここで注意すべきなのは、「学習した気になる」という罠です。知識をただ受け取るだけでは学習とは言えません。学んだ内容を実際に活用し、成果を上げて初めて学習は完了するのです。
YouTubeの教養型コンテンツや書籍要約チャンネルでは、膨大な情報が簡潔に提供されますが、その内容を実践できるかどうかが鍵。視聴後に行動に移さない場合、それは単なる「娯楽」として終わってしまう可能性が高いと考えます。
書籍要約チャンネルの弊害
特に書籍要約チャンネルには注意が必要です。本を読む時間を節約できるという魅力がありますが、要約だけでは著者が伝えたい本質的なメッセージやニュアンスが抜け落ちてしまうことが多いのです。要約を聞くだけで理解した気になり、実際には表面的な知識しか得られないこともあります。
さらに、要約を聞いた後に行動に移すというプロセスも省略されがち。本来ならば、自分で本を読み、考え、行動に移すという一連の流れが学習ですが、要約だけではその過程が大幅にカットされてしまいます。
情報を咀嚼して自分の考えをまとめる時間の確保ができてない状態です。本来の目で文字を読む読書は、自分の考えが湧いてきた時に読むことを一時停止したり、メモを取って書き出す時間が作り出せます。
このアクションが成果物を作りだす行動の基礎になっています。要約チャンネルではそのことがおそろかになる傾向にあるのかもしれません。
早送りでコンテンツを見るデメリット
また、早送りでコンテンツを視聴するという行為も、学習効果を薄めてしまう要因の一つと思っています。現代の忙しい生活の中で、効率よく情報を得たいという気持ちは理解できます。
実際、私も1.5倍速、2倍速でコンテンツを流し見します。
しかし、早送りで視聴すると重要なポイントが抜け落ちることがあります。さらに、視聴自体が単なる「作業」になり、内容を深く考えたり、吸収したりする時間が減ってしまうのです。
本当の学習とは何か
学習とは知識を得るだけでなく、その知識を実生活や仕事にどう活かすかが重要です。教養型コンテンツを視聴すること自体は悪いことではありませんが、それを実際に行動に移すかどうかで、「娯楽」と「学習」の差が出てきます。
たとえば、ビジネスの知識を得た後に、その知識を使って自分の仕事の方法を改善すること。歴史を学んだ後に、それを元に自分の考え方や行動を見直すこと。これが学習の本来の姿です。
まとめ
教養型コンテンツや書籍要約チャンネルが与える情報は、視聴するだけでは単なる「娯楽」に過ぎないことが多い。真の学習とは、知識を得た後に行動し、成果を出すプロセスです。
人生が前向きに好転しない特定の人に向かって書き始めたのですが、かなり自分にも当てはまっていました。娯楽は娯楽としてとことん楽しみ、学習は学習として行動して成果を出そうと、自分に対してのいい気づきになりました。
こんなことをnoteに書く行動は、深い思考に長い時間をかけています。これこそが、「学習」なんだと、嬉しくなりました。
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