セブ島滞在記 喜びを感じるものの変化
私が喜びを感じるのは、以前なら自らの経験を得たときに感じていました。近年は誰かに自分と同じような経験をしてもらったり、私の一言で誰かが新しい経験を得た報告を受けると、それが私の喜びになっています。
今日はそんなことを書いてみます。
◇ ◇ ◇
先日、私に幸せをもたらすものを書きました。幸せと喜びってキーワードは、限りなく似ている印象ですね。
今回ツアーの目玉だったセブ市から車で4時間の距離にある町オスロブに行くことでした。オスロブの沖では体長3メートル以上あるジンベイザメと一緒に泳ぐことができる場所なのです。
私はとても楽しみにしていたのですが、残念ながら体調不良のためキャンセルをしました。
その夜、予定通りオスロブでジンベイザメと一緒の泳いだ友人たちと夕食をしました。
友人のバケットリストの話を聞きながら、「死ぬまでに絶対体験したいことの1つがクリアできたんです!」と熱く自らの経験を語ってくれていることに私は喜びました。
たくさんの体験が参加したメンバーそれぞれの経験になり、とても楽しそうに話しています。
その時、友人たちは「私だったらそのぐらいの体調だったら無理しても行くなぁ」とコメントくれました。
無理してでも行って喜びを得るのはもちろん私にもあるのですが、不思議なことに行かなくても誰かの喜んでいる声を聞いているだけで楽しくなることができました。
若い時にはなかった感情です。若い頃なら体験できなかったことに悔しがったことでしょう。現在は、不思議と全くその感情がありませんでした。
◇ ◇ ◇
その背景には、今回のセブ島ツアー自体が私をきっかけにしていることがあります。
私はツアーガイドではありませんので、あまり詳しい案内ができるわけではないのですが、少なくともセブに長く滞在しているので、一般的な観光地を案内することができます。
もちろん、ツアー情報も日本で出発する前に提供いたしました。
私が関与したことによって、友人たちが喜ぶなら、私が直接経験する喜びとあまり変わらないことに気づきました。
これは年齢から来るものなのか?
一定レベルの経験値がすでにあり、刺激が減ったせいなのか?
定年退職した老人が孫たちと遊んで楽しんでいるように近いのかもしれません。
私はまだ50代ですので、プレイヤーとして自分の経験値を上げていく年齢だと思っています。しかし、こういった他者に与える影響を自分の喜びと強く感じれるようになったのは、ボランティア活動を10年通じての心境の変化なのかもしれません。
セブ島での日本では感じられない多くの経験が、自分の中の行動や感情を多角的に見つめ直す時間を作ってくれるのことにも大きな感謝をしたいと思います。
関連記事↓