主観を客観化するとは? M1グランプリ採点方法
M1グランプリで山田邦子審査員の点数の付け方に賛否両論が出ているニュースを読んだ。
2022年12月は国内にいなかったため、M1グランプリが開催されていたことをつい先日知った。食卓での家族の会話についていけず、あわてて映像を見た次第です。
そこで見つけた、山田邦子審査員の酷評記事。批判しているニュースを大きく取り上げている。マスコミの報道の仕方にそもそも問題があることが前提だが、その上で批判している人たちの心理って、自分が思った通りに採点してくれないから怒ってるんだろうって気がする。
これってそもそも審査の仕方わかってない人たちのぼやきでしかない。
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審査評点がデータに基づいた絶対値が出るものじゃない評価っていうのは、世の中にたくさん存在している。
数値化できないもの、主観的な文字面で客観化している点数って、そもそも人によってぶれるのは当然である。わかりやすく言えば好き嫌いが反映するのが審査の点数だ。
例えば、企業の場合、
新人採用するときの採用、不採用の決定事項。あるいは管理職昇格試験の合否など。もちろん客観的な評点テーブルはある。しかし個人によってのばらつきは否めない。
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医療において、検査データと言うのはとても重要な指標である。血液を採取して血液データを見る事は健康診断でなじみがあることであろう。この血液データは、一定の検査キットにより、必ず誰がしても同じ値が出る。とても客観的である。
いくつかの疾患の検査データの中には、絶対値が明確に出ないものがある。例えば痛みを測るデータはVAS フェイススケールで人間の顔マークで、全然痛くない〜苦痛で耐えれない痛みまで、顔マークを11段階にして、「あなたの痛みはどこですか?」と言うような形で、主観的に指標を客観的に見せかけて出すものもある。
こういったデータの場合、1個人において前回と今回が違うと比較はできるのだが、他の人と比較するには無理のあるデータといえる。
精神科患者さんの症状を評価する尺度について、仕事に携わった経験がある。例えば統合失調症の場合、幻覚、妄想的をどのように評点するかは、妄想によってコントロールできているか、あるいは妄想によって自分の行動が支配されているかを7段階に分けたテーブルで1点から7点までつけていく指標である。
主治医の問診において、患者さんの症状を答え方によって、この点数をつける。主観的な印象で、ばらつきがないように、模範ビデオがあったり、発言エピソードを具体的に提示してある。そのテーブルに当てはめ、点数をつけるマニュアルが作られている。
それでも当然、評点トレーニングをすると、その点数にはばらつきが出るのが致し方ないところである。
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サラリーマンとして会社内において、主観的に判断するものなのに、客観的なふりをしている評点システムや管理職昇格試験などは、「好き嫌いです」、とはっきり言ってしまったほうがいいと思うんだけどな〜。
「好き嫌い」と言う表現は会社ではできないと思うけど、その上司の価値観に合っていることが好きで、合ってないことが嫌いと考えれば、評価でクヨクヨしないですむでしょう。
だから多くの人が優秀だと思っていても、たった1人のその上司が優秀だと思わなければ、その人は昇格しません。反対に多くの人が無能だと思っている社員でもたった1人のその上司が優秀だと思えば昇格するよね。
”優秀” と言う基準は、絶対値で表されるものではなく、ただシッポ振って犬のような行動する社員も、上司にとっては”優秀” と判断されることはよくあることですよ。
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M1グランプリに話を戻しましょう。そもそもどんな評点テーブルがあるのだろうか?
そんなものないよね、多分。
客観的Dataを導入するなら、会場の笑い声をデシベルで表して、その大きな笑い声や長さなどをデジタルデータに入れて勝ち負け点数化してしまったらどうだろうか?
もちろん、淡々と漫才が進んで、静かにしていても、最後のどんでん返しで大きな大爆笑を取る方が人間には良い印象もあるので、なかなかデジタルデータと言うわけにもいかないだろうなぁ〜。
10組終わって、観客も採点に加わり、全部見てから、面白かった1位、2位、3位を主観的に決めれば、全員の印象が客観化されやすいんじゃないかな。お笑いなんて、間違いなく好き嫌いなんですから。
他人が面白いと思ったネタを、自分も面白いと合わせる必要なんでどこにもないでしょ! これも日本人特有の同調圧力なんだろうか?