東海道五十七次に隠された歴史を辿る:枚方宿からの船旅
東海道五十七次の56番目の枚方宿に、
今年5月に訪ねました。宿場の文化財として残る「鍵屋」さんの室内は趣きがあります。
さあ、枚方から、大阪五十七次のゴールである高麗橋を通り、天満橋の八軒浜までの船の旅は90分。ベテランの船頭さんが歴史を語り、歌いながら旅のアテンドをしてくれます。
高麗橋は、大阪庶民と大阪城を繋ぐ橋。東海道と共に作られた航路は、庶民の生活を守り育てて来た「道」だと思います。
56番目の枚方宿は、船で大阪に行く為、宿場に泊まる人がいないので、経営が厳しく、あらゆる知恵が庶民から生まれました。お金をおとして貰う為に、料亭で宴会をする。船に乗り、料理や酒を売りつける「くらわんか」。
無い事、環境が厳しい時に、人は知恵が湧き、歴史文化も面白いものへと伝承されるのではないかと思います。
東海道五十三次が有名になったのは、歌川広重の生き生きと描かれた絵の美しさであること。それがあって、五十七次があった事が、ドラマティックに紹介されています。
その点からみても、時代に影響を与えているのは「人」であるのです。
東海道五十三次は、徳川幕府が作った、江戸から京都、そして大阪の道で有名ですが、豊富秀吉の功績があって、家康はその功績を果たしました。
あるものを生かす、日本の文化の素晴らしさを感じる、航路の旅。秀吉はただの足軽あがりではない。才のある天下人であったとわかります。
風に吹かれて、水を楽しむ。
時代が変わっても、お天道さまは、見ていますね。