偽善 ⑤

【十一月四日 佐藤甚助刑事 二回目】
 
「だからねぇ、事件としてはもう解決しとるんですわ。これ以上ほじくっても鼻くそも出やしませんよ」
 押し掛けた私を相手に、佐藤さんは呆れた顔で言い放つ。
 今回は自宅ではなく警察署の近くで待ち合わせした。佐藤さんは退職前の事務手続きや事後処理で出勤していたので、その帰りの時間を見計らって私から訪ねて行った。
 近くのコンビニに入り、コーヒーを買って人気のない公園のベンチに座って話を聞く。
「ちょっとだけですよ」
 そう言いながらも応じてくれるので、ついつい甘えてしまう。
 こちらも一応仕事なのだ。はい、そうですかと引き下がるわけにも行かない。手帳を取り出し幾つか質問してみる。
「被害者の父、鈴木透さんは過去警察沙汰を起こしているそうですが、その点は調べたんですか?」
「さあね」
 佐藤刑事は、ぼんやりと灰色の壁を眺めつつ、紙コップのコーヒーを啜る。
 とろっとした目つきの、抜けた印象の人だが、これでどうしてなかなか油断がならない。
「佐藤さん、そんなことを言わずに教えてくださいよ」
「そんなこと、教えるわけないでしょう。一応公僕だったんですよ、私」
 それはそうだ。私は気を取り直して別の質問をする。
「葉山が犯行に至った動機を佐藤さんはどうお考えですか?」
「推測するのは仕事じゃないんで、わかりませんよ」
「佐藤さん、その様子じゃ、佐藤さんも納得できてないんでしょう」
「納得ねぇ、すっきりしないのは確かですよ。葉山は小児性愛者ではないし、特殊性癖の持ち主でもない。精神科医にも診てもらったが、至って正常、判断力を有する。動機についても鈴木さんのせいだと言う。葉山は色々とあの家族のために骨を折っていたみたいだから、あながち嘘とも思えない。わかっているのはこれだけですよ」
「それ以外になにかある。佐藤さんもそうお考えなんでしょう」
「あってもなくても、私の仕事は終わりですよ。もう刑事でもないだし」
 空になった紙コップの底を物欲しそうに見詰め、彼が答える。
 手入れの行き届いたグレーの背広が少しだけ丸まって見えた。
 白髪の増えた頭髪と落ちくぼんだ目元、佐藤さんも随分と年を取ったと、そう感じた。
 ――もう仕事でこの人に会うことはないだろう。
 そう思うと寂しくもある。
「佐藤さん、ご苦労さまです。それと、お世話になりました」
 私が直立して頭を下げると、佐藤さんは驚いたような顔をしていた。
「お先に隠居します。田所さん、ほどほどにね。色々嗅ぎ回ってもいいことなんてありゃしない。深追いは危険、兵法の基本ですよ」
 佐藤刑事は手を振りつつ立ち去って行く。これ以上聞くなのサインだ。
 仕方なく、私もその場をあとにした。
 
 ◆
 
 社に戻ってすぐに、一連の話を纏め、葉山という人物について掘り下げてみる。
 見たわけではないので、想像と証言だけが頼りにはなるが楽しい作業ではない。
 犯人である葉山に比べても鈴木夫婦の評判は芳しくなく、特に奥さん、百合子さんは見た目も派手でご近所トラブルも度々だった。加えて夜はスナックで働いていたので愛美ちゃんはひとりで家にいることが多かった。
 鈴木氏も工場勤務で夜勤があったため家にいない。愛美ちゃんはいつもひとりで遊んでいた。
 そんな彼女に声を掛けたのが葉山だった。
「愛美ちゃん、どうした? もう暗くなるぞ」
 葉山がそう言うと、愛美ちゃんは哀しそうな顔で答えたそうだ。
「おうち、だれもいないもん」
 そんな姿に心を痛めたのか、彼は自分の家に愛美ちゃんを招き入れて父親である鈴木氏の帰宅まで預かるようになる。
 鈴木氏もこのことで百合子さんとも度々ケンカしていたそうだ。大声で怒鳴り合っていたと、近隣の住人から複数の証言を得ている。
 夫婦がケンカを始めると、愛美ちゃんは葉山の家に逃げ込み助けを求めていた。
 その度に葉山がケンカの仲裁に入っていたと聞いている。これも近隣住人が目撃していた。
「鈴木さん、愛美ちゃんはまだ小さいんだ。夜、家にひとりってのはいくら何でもかわいそうだ。せめて旦那さんが夜勤のときは家にいるようにしたらどうだい」
 百合子さんは余計なお世話だと怒っていたそうだ。
「透の給料が安いんだもん。こんな田舎街じゃまともな職なんかないんだから、私が働くしかないんですよ。愛美にはちゃんとご飯も用意してるし世話もしてますよ。ほっといてください」
 彼女は顔を真っ赤にして言い返した。葉山は眉を顰めたがそれ以上は何も言わず、代わりに鈴木氏に提案した。
「あんたと私は交代勤務だ。あんたが夜勤のときは私が家にいるから、愛美ちゃんを私が預かるよ」
 この葉山の提案を鈴木氏は二つ返事で快諾した。
 愛美ちゃんは週交代で、夜を葉山の家で過ごすようになる。独り者の葉山は他人の子どものために夕飯を作り、食べさせて風呂に入れ、甲斐甲斐しく面倒を見ていた。
 このことで、団地の住人の何人かは葉山に忠告したそうだ。
「かわいそうと言っても他人の子だ。なんかあったらどうする? 葉山さん、ほっとくのが一番だ」
「独り身ですから、気兼ねする相手もいません。むしろ、愛美ちゃんのおかげで生活に張りが出るというものです」
 葉山はそう答えて、忠告には耳を貸さなかった。若夫婦も葉山の好意に甘えて好き勝手に遊び歩いている。少なくとも近隣住人はそう思っていたようだ。
 葉山の家には仏壇があり、亡くなった奥さんとお子さんの写真が飾ってある。
 取り調べ中に葉山が佐藤さんに語ったことだが、愛美ちゃんはその写真を指差して訊ねたそうだ。鈴木家には仏壇がなかったのだろう。
「おじちゃん、これは?」
 葉山は寂しそうに笑って答えた。
「おじちゃんの奥さんと子どもだよ。随分昔にね、死んじゃったんだよ」 
 愛美は、きょとんとした顔で首を傾げ、見よう見まねで手を合わせた。
 仏壇に置かれた写真は百日参りのもので、着物を着た妻が白いお包みに包まれた娘を抱いて笑っている。葉山は写真に触れ、愛美ちゃんの頭を撫でた。
 事件当日、鈴木氏は夜勤で百合子さんは夕方、派手な化粧をして家を出る。
 愛美ちゃんは母を見送ったあと、そのまま葉山の家に行き、テレビを見て夕飯を食べて、そして眠ったそうだ。
「百合子さんが朝、帰宅してすぐに愛美ちゃんが居ないことに気づいて入ればねぇ。私も、もっと早く捕まったんでしょうが、鈴木さんご夫婦は、朝になるまで気づきもしませんでしたよ。朝になって、愛美ちゃんが戻ってないのに気づいて、私んとこに文句を言いにきましたね。まあ当然でしょうね。子供を預けてるわけだから」
 これも取り調べで葉山が語った内容だ。
「過ちを犯しました。早く裁判してください。私を裁いてください」
 葉山は何度もそう言って頭を下げた。これも佐藤さんから聞いた話ではある。
 犯行の翌朝、日が昇ってから鈴木氏が帰宅して、漸く愛美ちゃんが帰っていないことに気づいた。
 早朝から団地の住人を総動員して愛美ちゃんの捜索が開始された。
 遺体はすぐに見つかり事件が発覚する。
「なんでなんで、ちゃんと愛美を見てくれなかったんですか! 葉山さん、どうしてっ!」
 土手の下で百合子が喚き散らす。鈴木氏は愛美の遺体に取り縋ろうとして警官のひとりに羽交い絞めにされていた。
 団地の住人は葉山から百合子さんを引き離して宥めようとしていたと、現場に駆けつけた記者が言っていた。
「申し訳ない。朝、私が目を覚ましたときにはもういなくて、帰ったものと、そう思い込んでいた。私がもっと気をつけて入れば、こんなことには……」
 言葉を濁しながら頭を下げる葉山を近所の人は気遣っていた。
 このときの葉山と鈴木夫婦とのやり取りを知って、佐藤刑事が葉山に質問したそうだ。
「あのとき、あの発見現場で鈴木さん夫婦に責められて、あなたは何を考えておられましたか?」
 葉山は佐藤刑事から視線を逸らし、少し微笑んだあとに答えた。
「鈴木さんも団地の人も、私を疑ってないんですよ。あの取り乱した鈴木さんの顔、あれが見られただけで十分だ」
 以降は口を閉ざし、何を聞いても答えなくなった。
 取り調べの最終日、葉山は頭を下げて丁寧に謝罪の言葉を述べたと言う。
「お手数をおかけしました。ありがとうございます」
 こうして、葉山の身柄は検察局に移送された。
 現在も勾留されたまま取り調べを受けている。じき、公判請求がなされ刑事裁判が行われるだろう。
 葉山良一、その胸中を私は想像する。
 なぜ殺したのか考えても答えは出ない。葉山が妻子を亡くしたというのが気になった。
 私は葉山の過去を調べることにする。
 過去について、驚くほどあっさりと見つけることができた。
 当時、彼が住んでいた県の新聞記事を十五年前に絞って調べていたら、ある記載を見つけて、その県に住む先輩記者に電話する。
「またえらい古い話やなぁ。結構騒がれた事件だからすぐに出てくるぞ。まとめてメールで送るわ」
 それから三日後に大容量のファイルが添付されたメールが私個人のパソコンに届いた。
 
【十一月七日、自宅にて】 
 
 被害者は葉山聖子、享年二十五歳、葉山真奈美、享年零歳のふたり。
 当時、三十歳だった葉山は他県で商社に勤めていた。収入もそこそこの、ごくごく一般的なサラリーマンだったようだ。
 当時のインタビューで彼は何度も自分のせいだと言っている。
 葉山の娘真奈美は感が強く、よく夜泣きをしたそうだ。娘が泣く度に奥さんは背負って外に連れ出していた。
 疲れた夫の睡眠を妨げないようにとの気遣いであるのだが、これが思わぬ悲劇に繋がる。
「わたしのせいです。赤ん坊の夜泣きなんか気にしないでいいって、何度言っても妻は真奈美を外に連れ出すんです。あの日、私が寝入ってしまわなければ、あんなことにはならなかった」
 記事の中に綴られた葉山の言葉はどれも痛々しい。読んでいて胸が詰まる。
 事件があった日も、いつものように真奈美ちゃんが愚図り出した。
 聖子さんは夫を起こさないように娘を抱き上げ、温かいお包みに包んで外に出て行ったとある。
 事件の夜は満月だったと葉山のインタビュー記事に記載がある。
「綺麗な月でしたわ。まん丸の綺麗なお月さんを強烈に覚えてます」
 この彼の言葉は印象的だった。
 翌日、ふたりは変わり果てた姿で発見される。聖子さんは一糸纏わぬ全裸で、真奈美ちゃんは少し離れた藪の中から見つかった。
 犯人は数日後に逮捕されたが、氏名一切は報道されなかったし、遺族である葉山にも知らされなかった。理由は未成年、少年による犯行だった。
 犯人は主犯格とされる十七歳の少年を筆頭に十五歳と十四歳の三人。
「改正前か」
 思わず呟く。
 二〇〇〇年当時の法律では、被害者側に犯人の身元を知る術がない。
 裁判の傍聴や意見陳述ができるように改正されたのは二〇〇七年以降で、この事件はそれ以前の出来事だ。
 犯行は凄惨の一語に尽きる。
「葉山はどうして……」
 愛美ちゃんを殺せたのか?
 娘と同じ名前、それが引っかかった。
 被害者である鈴木透は過去に警察沙汰を起こしていると聞く。そのことと今回の事件が関係あるのか?
 くだらない三文小説のような展開が頭に浮かんだが、それはすぐに打ち消された。
 十五年前の葉山の事件、それと鈴木氏が以前住んでいた場所が離れていたのだ。
 加えて、鈴木透の友人から聞いた話では、どうもただの窃盗事件だったらしい。

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