偽善 ③
【十一月二日 製鉄工場と団地へ】
鈴木氏との約束の時間は十四時。
私は出社後すぐに編集長を説得して事務所を後にした。
佐藤さんが言っていた言葉。
「葉山は普段から愛美ちゃんの面倒をみていた」
小さな子どもを見ず知らずの他人に任せていたというのがどうにも引っかかる。
被害者である愛美ちゃんの環境を確認するために、団地や、その周辺、そして葉山と被害者の父親である鈴木透氏の職場、製鉄工場などを見て回る。
製鉄工場は昭和初期の頃からあるこの街の産業で、この団地に入居できるのは、基本は製鉄工場に勤務する者とその家族だけだ。
葉山と鈴木透氏は、どちらも製鉄工場勤務、同僚で同じ団地に住むご近所さんでもある。
団地も工場も古く、外観からも歴史を感じさせる風情ある建物だ。
風景写真を撮りつつ、時計を見る。十一時を回ったところだ。
私はダメ元で工場に電話して、取材を申し込む。
「突然恐れ入ります。私は週刊誌の記者をしております。田所と申しますが、犯人について少々お話を伺いたいのですか……」
断られる覚悟をしていたし、なんなら罵声を浴びせられる覚悟もあった。なのに電話に出た受付の人は「少々お待ちください」と言って、責任者、工場長に繋いでくれた。
工場長、瀬名正一氏は思いのほか、あっさりと面会に応じてくれた。
「十二時過ぎ、昼休みなら時間が取れますので、その時間にお越しください」
私は近所の小さな喫茶店で時間を潰してから工場へ向かった。
【製鉄工場、瀬名正一】
「葉山が犯人なんて信じられません」
製鉄工場の応接室、瀬名正一が私に言った。
「葉山は面倒見の良い性格でした。被害者の父鈴木くんのことも気に掛けて、私生活でも何かと相談に乗っていたようです」
意外だった。被害者である鈴木家と葉山は家族ぐるみで親しかったらしい。
なんでも鈴木透氏は五年前に団地に越してきたそうだ。
若いというのもあってか、職場でも団地でも周りから浮いていたと、瀬名さんは言う。
「鈴木くんは少々訳ありでして。知り合いに頼まれて工場の仕事を世話して、それでこの街にやってきました。そのせいでしょうか、最初はやたらもめごとばかり起こしました」
その度に仲裁に入り、鈴木氏を宥めていたのが葉山だったと瀬名さんは説明してくれた。
「葉山にしてみれば負担だったんでしょう」
犯人葉山についても少しだが、話を聞くことができた。
十五年前に葉山は団地に越してくる。何でも妻と子を事故で亡くして独りとなり、やり直すために誰も知らない町に来たと語っていたそうだ。以来、ずっとここで生活していた。
葉山は町内会やら民生委員など成り手がいないと聞くと、二つ返事で引き受け、青少年見守り隊にも参加して、休みの日は登下校時間に通学路に旗を持って立つ。子どもからも近所の人からも好かれて何かと頼りにされる。そんな優しいおじさんだ。
愛美ちゃんは殊の外、葉山に懐いていたと言う証言もあった。
【工業団地の住人】
「葉山さんはいい人ですよ。信じられませんよ。葬儀のときも鈴木さんご夫婦を気遣っていました。私も葬儀に行きましたからね。それがまさか……。あれは罪悪感からだったんでしょうか」
相手は買い物袋を下げたおばさんで、声を掛けると、首を傾げながらぺらぺら、訊いてもないことまで喋ってくれた。
「葉山さん、やっぱり鈴木さんご夫婦、愛美ちゃんのことが負担だったんでしょうね」
「負担というのはどういう意味でしょう?」
「ああ、鈴木さんとこ、奥さんは夜のお仕事、旦那さんは夜勤もある工場勤務で家にいないことが多かったし、そんな時、葉山さんが愛美ちゃんの面倒を見てたんですよ」
どうもこの人は鈴木夫婦に良い印象がないようだ。
「葉山さん人が良いから、鈴木さん夫婦にいいように利用されてました」
「愛美ちゃんは葉山に懐いていたんですか?」
「仲よしでしたよ。愛美ちゃんは内気な子で、年の近い子と遊ぶのが苦手だったみたいで、いつもひとりでぽつんとしてました。鈴木さんご夫婦、まだお若いから。愛美ちゃんのこと、あまり見てなかったようですし。だからでしょうか、葉山さんに懐いてよく一緒にいましたよ」
本当によく喋るおばさんだった。最後は聞いた私がうんざりして途中で切り上げ、退散したほどだ。
「夫婦揃って遊び歩いてますよ。旦那さんだって、夜勤の日以外もやれ飲みに行くとか付き合いがあるとかで、しょっちゅう愛美ちゃんを置いていって、若いってのもあるんでしょうが、ちょっと考えられません」
鈴木夫婦に比べて葉山の評判は良い。
団地の住人は口を揃えて同じことを言う。
「あんなことをするような人じゃない。あの人はいい人だ」
かたや被害者である愛美ちゃんの両親、特に百合子夫人の評判は芳しくない。
「見た目もあんなでしょう。それにゴミ出しとか分別とか、とにかくだらしないんです。何回注意しても改まらなくて、その度に旦那さんが謝ってました」
この他にも挨拶しないとか、小さな子をほったらかしにしているとか、まあ好き勝手に喋ってくれた。
愛美ちゃんは下の階に住む葉山を慕っていたと、近所の人は言う。
葉山も放置ぎみの愛美ちゃんを気にして、よく家に招いていたとも言っていた。
これまでの話で感じたのは「なぜ殺したのか?」だった。
世間一般で言われる、実はという邪推で片付けるのが妥当なのかもしれないと思う。
放置子の愛美ちゃんを狙って手懐けて犯行に及んだ。
そう締めくくれば確かにすっきりするだろうが、そうは思えなかった。
予想外の足止めで時間を取られた。
腕時計を見ると十三時五十五分、私は「ありがとうございます」と礼を言って、逃げるようにその場を後にした。
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