偽善 ⑥
【鈴木透の友人】
「ああ、あいつ、この街に来る前は関西にいたんですよ。俺の知り合いのおっちゃんが、百合の昔の客で、頼まれて仕事を世話したって言ってましたわ」
相手は団地の近くにある飲み屋のマスターだ。この店で鈴木氏はよく飲んでいる。
若者向けのバーで、壁にはダーツボートがあり、黒を基調とするカウンターと、その向こうに壁一面の棚がある。中には洋酒が並んでいた。
「これはおっちゃんから聞いた話ですけどね」
開店前の仕込み時間、頭にバンダナを巻いたマスターが、休むことなく手を動かしながら答えてくれた。
「仕事を世話するわけですから、一応身元の確認とか色々するわけですよ。んで、透が起こした事件ってのも聞き取りですけど調べてます。バイクとか電気量販店への集団窃盗、半グレってやつですか、その手先で働いてたそうですよ」
正直言えばがっかりした。
私の想像はただの妄想でしかなかったようだ。
「透も百合も、まあ見た目あんなだし学歴もないから好き勝手言う連中はいますけどね。二人とも娘を大事にしてましたよ。アイツは被害者、仕事とはいえ被害者のあら探しって良心は痛まないんですかね」
客商売しているだけあって人当たりはいいが、口調と顔は怖い。加えて肩と腕に髑髏のタトゥーまである。
「そういうつもりではなかったのですが、年のために確認しておこと思った次第です」
マスターの言い分はもっともだと私も思う。被害者である鈴木氏の過去をほじくって突くのは確かに道理に反しているようにも思えた。
「どうせほじくり返されて、あることないこと書かれるくらいなら素直に答えた方がマシだと、透には言ったんですけど、まあ、聞ける状態ではないですね。だから、この話、これで勘弁してくださいよ」
そう言ってコーヒーを一杯出してくれた。
「一応、調べないといけないもので、その、ありがとうございました」
出されたコーヒーに手をつけないわけにもいかず、一口二口啜ってさっさと店を出た。
十五年前、葉山の妻子が犠牲になった事件も関西だが、鈴木氏が昔住んでいた場所と隣接しているが県が異なる。加えて、鈴木氏は過去の事件で家庭裁判所に送られた経緯はあるが、送検はされていなかった。あれほどの重大事件で送検されないというのも考えにくい。
葉山と鈴木氏の間に、私が想像した接点はなかった。ほっとしている反面、宛てが外れたとがっかりもしていた。
【十一月三十日 佐山弁護士事務所】
公判の日程が決まる頃には、世間の関心は既に失せていた。
普通だと思っていた人が凶行に及んだ理由、世間一般では葉山はただの変質者だと思われている。夜遅くまで子どもを放置している鈴木夫婦を責めるような意見もちらちらと聞こえるが、それでも大体の人は幼い子を亡くした若い夫婦に同情的だった。
私も日々の雑務に追われ、この事件から遠ざかっていた。
終わらない仕事を抱えて事務所で残業していた時、一本の電話が私のスマホにかかってきた。相手は佐山弁護士、葉山の弁護を担当する弁護士だ。
佐山弁護士は私を指名し、こう告げる。
「公判前なので、詳しいことはお話しできませんが、葉山さんがあなたになら伝えてもいいと、そう言うのですが、お聞きになりますか?」
当然受託した。断る理由などない。私は快諾して翌日の約束を取り付けた。
翌日、一旦事務所に寄ってから佐山弁護士の元に向かう。
雑居ビルの片隅にある綺麗だが、手狭な事務所だ。
まだ若い助手に名刺を渡して用件を伝えると、「お待ちください」と愛想もなにもない口調で告げられて応接室に通された。
数分待って、佐山弁護士が入室する。
グレーのスーツを着た紳士で、感じの良さそうな人だ。
はす向かいに座り名刺を交換する。挨拶もそこそこに、佐山弁護士がひとつの箱をテーブルの上に置いた。
「葉山さんはあなたにならと、指名しました。ご覧になりますか?」
佐山弁護士の表情からは何も読み取れない。私が頷いたのを確認すると、丁重な手つきで箱の蓋を開けて写真を何枚かテーブルの上に並べ始めた。
和服姿の女性とスーツを着た若い男性が、白いお包みに包まれた赤ちゃんを抱いている写真に目が留まった。
写真の中で、ふたりははにかんだような顔で微笑み、抱かれている赤ちゃんはすやすやと眠っている。幸せそうな家族写真だ。
「これは葉山さんのご家族の写真です。ふたりとも十五年前に亡くなってます。ご存じですか?」
「はい、当時の新聞記事で確認しました。酷い事件でした。こんな小さな赤ん坊まで犠牲になった。その遺族である葉山さんがどうして愛美ちゃんを殺害したのか、私にはそれが引っ掛かってしょうがない」
「それについてはお答えできません。もうじき公判が始まりますので。田所さん、ひとつだけ約束してください。これらの情報を記事にするなら公判が終わるまで待ってください。葉山の条件はそれだけです」
私が箱の中身に手を伸ばしかけたとき、佐山弁護士は箱の上に手を翳して、さほど難しくもない条件を出した。状況を考えれば普通の、当然と言えば当然の内容だ。
「承知しました。公判が終わるまで、書かないとお約束します」
私の回答に安心したのか、佐山弁護士は大きく息を吐き、立ち上がり背を向ける。
共に中身を確認する気はないようだ。勝手に見ろとそういうことだろう。
「外部に持ち出しはしないでくださいね。全て記録してありますので」
去り際に釘を刺すのは忘れないあたり、やはり弁護士だ。
箱の中には妻と子の写真と合わせて葉山と思しき男性も映っている。
私は写真に向かって手を合わせ頭を下げた。これは儀式のようなもので記者になってからずっと続けている習慣のひとつ。
故人の面影に触れるときは必ず哀悼の意を示す。昔、お世話になった先輩記者から教わったことだ。
最初に新聞記事をまとめたスクラップブックを手に取る。
ひとつひとつ丁寧に切り取りノリで張り付けたもので、所々に丸い染みがあり、葉山が泣きながら作業したのが窺える。
「酷いな」
私の率直な感想はこれだけだった。全裸で発見された聖子の遺体は酷く損傷し、至る所に赤黒い痣があったと記されている。
遺体発見時の状態まで克明に書かれて報道される。遺族からしたら傷口に塩を塗り込まれるようなものだ。それを彼は一枚一枚確認し、収集していた。
聖子夫人の直接の死因は多発性外傷によるショック死。複数による激しい暴行を長時間受けたとある。娘の真奈美ちゃんの死因は凍死と記載されていた。
「三人のうち誰かひとりでも通報してくれていたなら、そうすれば真奈美だけでも……」
記事の隣に殴り書きでそう記されていた。
現場には複数の証拠が残されており、当然検死解剖もなされた。
聖子夫人の体からは複数人の体液が検出された。検証のため、被害者遺族である葉山の遺伝子も検査されたようだ。
「私が聖子を殺すはずがないだろう!」
古い手帳に葉山は捜査の進行具合などを短い言葉で綴っている。
葬儀の日にちや斎場の名前など、淡々と綴られる言葉の中に時々だが、絞り出すような悲痛な叫びが散見された。
事件発生から一週間後に犯人が捕まったが、未成年という理由から氏名一切は報道されていない。
「聖子さんと真奈美ちゃんのことは、心から反省しております。お詫びのしようもありません。あのふたりには何の罪もありません。単にむしゃくしゃしてた。それだけです。罪を償って社会復帰できるように努めるつもりです」
犯人グループの少年からの直筆の手紙がある。葉山はそれを丁寧に保管していた。その心中を思うと筆舌に尽くせぬものがある。
犯人の名前は安西利一、小林勝、そして荻野徹。
どうやって調べたのか、その後の量刑についても手帳に記載がある。
その他に探偵社と思しきマークが入った個別のファイルがある。
中にあったのは、犯人の顔写真、それに簡単な略歴だった。
三人ともまだ幼い。未成年であれば当たり前だが、大人になりきれない子どもの顔をしている。
とくに三人目、荻野徹は際だって幼い顔立ちをしている。その顔を見た瞬間、私は呻いていた。
「ああ……」
ああ、やはりそうか。
そう言いかけて無理矢理飲み込んだ。
予想が的中した。想像通りだった。そう喜ぶような状況でもない。
葉山がなぜこれを私に見せたのか?
その真意を推し量ると、怒りが沸いてきた。
「乗せられてたまるか」
思わず声に出していた。
ファイルの他に警察に当てた葉山の手紙や、意見陳述書もあった。受け取って貰えずに送り返されてきたのだろう。
主犯格とされる安西だけが成人として裁かれ、残る二人は家庭裁判所送りとなる。
「聖子と真奈美を返せ」
手帳の最後に葉山が書き殴った文字、それを指でなぞり閉じた。
「これは、書けんわ。書くわけにはいかん」
両手で顔を覆い私はひとりで呻く。テーブルの上に置かれたコーヒーはもう冷めきっていた。
「佐山先生、先生は、犯罪被害者救済に力を入れておられる。葉山良一は、今回加害者だ。その葉山の弁護を引き受けた理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
箱の中身を一通り確認したあと、佐山弁護士に尋ねてみる。佐山弁護士はふうっと息を吐いてから、私の前に腰を下ろして答えた。
「弁護を依頼したのは、葉山さん本人ではありません。お答えできるのはそれだけです」
落ち着き払った態度で言い切られた。詳細を語る気はないということだろう。
葉山の妻子が犠牲になった事件、その記録の中に犯人からの手紙が三通混ざっていた。
どれも直筆で、ご丁寧に氏名まで書かれている。その一通を取り出し佐山弁護士の目の前に置く。
「葉山良一は、十五年前は被害者遺族だった。家族を、子どもを、奪われる痛みを彼は知っている。なのに、今度は加害者となり子どもを殺した。過去を材料に情状酌量を訴えるおつもりなのですか?」
佐山弁護士は目の前に置かれた一通の手紙を手に取り首を振った。
「葉山さんはそんなことを望んでいません。彼の望みは刑に服すること、それだけです。私の仕事は彼の望みに沿うことで罪を軽減することではありません」
冷淡ともいえる物言いだ。弁護士らしく機械的な応答だが、やはり納得できない。
「葉山の行為は到底許されるものではない。先生はそれでも弁護すると、そう仰るのですね」
少しばかり熱くなっていたようだ。私の無礼な質問に佐山弁護士は顔色ひとつ変えずに頷いてみせる。
「当然です。職務を全うします。葉山さんは確かに人を殺した。しかも年端も行かない子どもを手に掛けました。許されることではありません。本人も極刑を望んでいます」
「私も極刑を望みます。葉山の行為を人として許すことはできない」
憤りを抑えることができない。記者らしからぬ態度だと自分でも思う。
ただ私には確信があった。
葉山の目的、それが私の想像通りなら間違いなく特ダネだ。だが、書けば乗せられたことになる。そう思うと我慢ができなかった。
「弁護士であれば止めるべきでしょう。こんなこと、手を貸すなんて見損ないました」
弁護士の何を知っていると言うのか。勝手な言い草だと自分でも思う。
佐山弁護士は落ち着き払った態度で私を見ている。
「手を貸すですか……」
「葉山さんがなぜそうしたのか? 理由を探っても今となっては手遅れです。止められなかった責任を感じております。十五年前、葉山さんに代わって意見陳述を送り、犯人に極刑を、そう望みましたが叶いませんでした」
「だから、葉山を弁護すると言われるのか……」
「被告には弁護する権利が保障されています。私が引き受けなくても、結局は誰かがやらなければならない。自分の責任を他人に押しつけるような真似はできません」
やるせなかった。
鈴木透、荻野徹、どちらもありふれた名前で珍しくもない。
年も同じ、生まれ育った場所も同じ。あまりに符合する点が多い。
「葉山はどうして……。どうして愛美ちゃんを……」
その先を口に出して訊ねる勇気はなかった。そんな私を見て、佐山弁護士は一枚の名刺を机の上に置いた。
「本件について、詳しくお知りになりたいならこの人に会ってみるといい」
言いながら一枚の名刺をテーブルの上に置いた。ピンクで彩られた派手な名刺で着飾った女の顔がプリントされている。一目瞭然だ。鈴木百合子夫人だ。
ハーレムナイト、隣の市のキャバクラの名刺だった。
派手な化粧の女の顔を見詰めて私は立ち上がった。
「この話を世間に公表すれば葉山を擁護することになる。記者としてと言うより私個人としてそれはできません」
「お好きなように。あなたが書かなくても、公判が始まれば全て明らかになる。そうなれば他の誰かが憶測を交えた記事を書く。そういうものです」
「それは私でなくてもいい。そんな役を引き受けるつもりはありません」
名刺をポケットに仕舞い弁護士事務所をあとにした。
ゆあとかいう女に会うつもりはない。
なぜ? どうして?
気にならないと言えば嘘になるが、犯罪者を擁護する記事を書きたくはなかった。
いや、違う。自分の仕事を、書いたものを、犯人に利用されることに怒りを覚えていたのだ。
考えながら歩いていると、胸元に振動を感じて立ち止まる。
スマホを取り出し画面を見る。懐かしい名前が表示されていた。
古い友人、長谷稔。元は同じ社に勤めていた記者仲間だったが、彼は数年前に社を辞めて小さな会社を経営している。
「おう、田所。久しぶり」
軽快な友の声に、私は思わず溜め息を吐いていた。
「どうした? 体調でも悪いのか?」
「いや、どこも悪くない。長谷、今から出てこれるか? 久しぶりに飲みにでもどうだ」
「いいぞ。こっちもそのつもりで連絡したんだし」
私は編集部にこのまま直帰する旨の連絡をしてから、いつも行く居酒屋へ向かう。
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