偽善 ⑩

【一月末 刑務所へ】
 
 年が明けて暫く経ってから、私は自分から葉山に会いに行った。
 なぜ愛美ちゃんを殺したのか?
 どうしても会って直接訊ねたいという欲求に逆らえなかった。
 透明なアクリル板越しに初めて葉山と対面する。
 やっと会えた。
 散々悩まされてきたせいか、長らく音信不通になっていた古い友人に再会したような、そんな懐かしさを噛み締めていた。
 葉山の背後に扉があり、その扉の前に刑務官が立っている。
 私は刑務官を一瞥してから、切り出した。
「はじめまして、葉山さん。私は週刊誌の……」
「存じてますよ。田所さん、週刊誌の記者さんですね」
 私が名乗る前に葉山が笑顔で告げた。
 その顔を見て、私は思い知る。
 ――この男は殺人犯なのだ。
「色々とお訊きしたいことはありますが、その前に確認させていただき点があります」
 私が言うと、葉山はにこやかな表情を維持したまま「なんでしょう?」と応じてきた。
「公判前に佐山弁護士から連絡を頂きました。葉山さん、なぜ私に奥さんと娘さんの事件について、あのスクラップブックを私に見せようと思ったのですか?」
 佐山弁護士から聞いた話では、私を名指したのは葉山だそうだ。
 事件の以前に葉山に会った記憶は当然ない。何が理由で指名されたのか、どうしてもそれが知りたかった。
「ああ、そのことですか。田所さん、理由は愛美ちゃんの葬儀の日、あの時、私があなたたちマスコミにお願いしたのを覚えてますか?」
「ええ、よく覚えています。あなたは愛美ちゃんの両親である鈴木夫妻を庇って、私達に頭を下げて言いました。ご遺族にカメラを向けるのは控えてくれと。それがどう私の指名に繋がるのですか?」
「あの時、カメラを降ろしたのはあなただけでした。ああ、あの人ならそう思ったんです」
 斎場の入り口で葉山に言われて、私は同行していたカメラマンのレンズを片手で塞いで写真を撮るのはやめさせた。
「よく見ておられましたね」
 私が言うと、葉山は嬉しそうに目を細めて、それから説明してくれた。
「この人は良心がある。そう感じました。それが決め手です。あなたは斎場の入り口で私に近づいてボイスレコーダーを向けたでしょう。その時に首から提げておられた社員証を見たんです。それで失礼ながら名前をね、それを手掛かりに佐山先生にお願いしました」
「その節は無礼な真似をしました。ご容赦いただきたい」
 私が座ったまま頭をさげると、葉山はふふっと笑って首を振った。
 面会時間は三十分、ぐだぐだと世間話を続けるわけにはいかない。私は手帳を取り出して最初の質問をする。
「葉山さん、まずお訊きしたいのは十五年の事件、奥さんの聖子さんと真奈美ちゃんの事件についてですが、あなたは犯人のその後を探偵を雇ってまで調べていましたね。鈴木透が荻野徹だと最初から知っていたんですか?」
 葉山が首を振った。
「意外に思うかもしれませんが、他人のそら似だと思い込もうとしてました。怒りを抱え続けるのに疲れていたのかもしれません。私は意図的に鈴木さんと荻野を結びつけるのを避けていたように思います」
 ならどうして、気づいたのか?
 その点は百合子から聞いた話に答えがある。気づいたというより突きつけられたと表現する方が正しいのかもしれない。
「鈴木透が聖子さんの事件の犯人だと、そう確信したのはいつ頃だったんでしょうか?」
「一年ほど前です。私が愛美ちゃんを預かるようになったのもちょうどその頃です」
 なぜ愛美ちゃんを殺したのか?
 訊ねて話を終わらせたい衝動が湧き上がったが、冷静さを維持しつつ、ひとつずつ質問を重ねていった。
「愛美ちゃんは、葉山さん、あなたから見てどんな子でしたか?」
「優しい良い子、そしてとても気の毒な、可哀想な子でした」
「可哀想とは? 両親が夜、家に居ず、いつも放置されていたからということですか?」
「それもありますが、あの人達は自分本位なんです。娘を大事だ、可愛いとか言いながら身勝手で我が儘で、愛美ちゃんはいつも両親の顔色を覗って遠慮してました。それが可哀想で仕方なかった」
 愛美ちゃんを預かるようになった切っ掛けは鈴木夫婦のケンカだったと葉山は続けて説明した。
「百合子さんの金切り声が私の家まで聞こえてきました。鈴木、今は荻野さんですね。彼の怒鳴り声がして、物の割れる音まで聞こえてきて、それで様子を見に行ったんです」
 四階と三階の廊下の途中に座り込んでいる愛美ちゃんを見つけて、葉山から声をかけたそうだ。
「愛美ちゃん、どうした?」
 愛美ちゃんは答えず、葉山にしがみついて声を殺して泣いていたと言う。
「胸が痛くなるとはああいうのを言うんでしょう。まして亡くなった娘と同じ名前の子ども、その子が声を殺して泣くんですよ。とても放っておけなかった」
 葉山はそう言って目を細めて自分の手を見詰めていた。
 ただの人、そこら辺にいるただの男。
 私がこの時葉山から受けた印象だ。
 一般的な道徳心を持ち、他人に手を差し伸べる人の良い中年男性。
 その中に僅かながら狂気のようなものが見え隠れする。
「それでどうしたんです?」
 私が問うと、葉山はふうっと息を吐いてから長い独白を始めた。
 
【葉山良一の告白】
 
 本当にかわいい子だった。名前のせいでしょうか、あの子を見ていると自分の娘が生き返ったような気がして、放っておけなかった。
 愛美ちゃんも私には懐いてくれた。
「おじちゃん、おじちゃん」ってね。いやぁ嬉しかった。
 鈴木さんとこ夫婦の事情というより、私は少しでもいいから愛美ちゃんの力になってやりたかった。だから、余計なことと思いつつ口出ししてしまったわけです。
 百合子さんは愛美ちゃんが小さいころから夜出歩いていました。それも決まって旦那が夜勤のときだ。そういうとき、愛美ちゃんは家でひとりっきりなんですよ。
 見かねて、百合子さんを捕まえて注意したんです。
 子どもをひとり残して夜に家を空けるのはやめなさいって、改めないなら児相に相談するって、私はそう言ったんですよ。そうしたら奥さんが泣き出してねぇ、こう言いだしましたわ。
「透はキレると暴力を振るうんです。あの人、愛美は殴らないけど私のことはサンドバッグみたいに殴るんです」
 百合子さんはそう言って、腕の痣を見せてくれました。
 そして、教えてくれました。
「透は昔、事件を起こしてて、その事件で小さな子を死なせてるんです。その子の名前がまなみ、自分の子どもに自分のせいで死んだ子の名前をつけてるんです。怖いんです。葉山さん、他人のあなたにはわからないでしょうけど、私は愛美を連れてここを出ていきたいの」
 そう言って、奥さんは泣き出しましたよ。
 まなみ、まなみですよ。田所さん。
 それでピンときました。
 あの男は荻野徹。私の聖子と真奈美を殺した犯人のひとりでしたわ。
 最初は荻野を殺そうと思いました。どうやって殺してやろう。そればかり考えていましたが、愛美ちゃんを見ていると踏ん切りがつかなった。
 子どもというのは健気なものです。愛美ちゃんはよく言っていました。
「お父さんがお弁当作ってくれたの」
「今日ね、お母さんが髪の毛してくれたの」
 些細なことで喜んで、報告してくれました。
 ああ、この子は両親が好きなんだなぁ。
 そう思うと、荻野を殺すのは間違いだと、そう必死に自分に言い聞かせてました。
 ちゃんと反省してやり直しているなら……。
 そう思って、考えないように努力しました。
 この子にできることをしてやろう。
 死んだ娘にしてやれなかったことをこの子にしてやろう。
 そう心に決めて、愛美ちゃんを預かると、私から提案したんです。
 うちに仏壇があると知ってからは、お花を摘んできて供えてくれたり、幼稚園で貰ったお菓子を持ち帰って聖子と真奈美にくれたりと、本当に気持ちの優しいイイ子でした。
 この子のために……
 私なりに頑張りました。反省さえしてくれてるならと。
 でも違った。あいつは……。

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