偽善 ⑨
【十二月十七日、ハーレムナイト】
翌日、向かったのは隣の市の繁華街だ。
ここには「ハーレムナイト」という大きなキャバクラがある。
書くという決断をしていないので、費用一切は自腹になる。
良いネタだと頭では分かっているが、書きたくないという思い、それと同じくらい葉山の心情が気になって仕方なかった。
慣れないキャバクラに入って、ゆあという女性を指名すると、けばけばしい化粧をした百合子さんがやってきた。
「はじめましてぇ、ゆあです」
上目遣いで私の顔を覗き込んで、腕に胸を押しつけてくるので、引き離して名刺を見せた。途端に真顔になった。
「めんどくさ! 帰ってよ」
けんもほろろに追い返されそうになったが、幾ばくかの金をちらつかせると、コロっと態度を変えた。
「店が終わるまで待って。終わったら相手してあげる。それでいいでしょ、おじさん」
ご丁寧にウインクと投げキスまでして、百合子さんは私を店から追い出した。
店の近くにある二十四時間営業のファミレスに入って待つ。
日付が変わり午後一時を過ぎた頃にやっと、百合子さんが店に入ってきた。
「それで、何が聞きたいの?」
席につくなり煙草に火を付けて百合子さんから切り出してきた。
私は元夫、荻野透氏との馴れそめからを質問した。
百合子が荻野徹と出会ったのは遠く大阪で、ふたりとも行く当てのない寂しい十代の少年少女だった。
「透はさぁ、少刑出たあと、お母さんに家を追い出されて行く宛てがなかったのよ。そんなときに知り合ったの。私も高校卒業してすぐに家出してソープで働き始めて寂しかったってのもあるけど。かわいかったの。気弱で母性本能を擽るって言うのかなぁ、ほっとけなくて、だから拾ってあげたの」
娘を亡くしたばかりとは思えない明るさで、けらけら笑いながら私の質問に平然と答える。
「一緒に暮らし始めて、最初のうちはよかったんだけど。透は短気ですぐに手が出るし、頭も悪いから仕事もできなくて。はっきり言えばヒモよ、あれ」
「なんで別れなかったんですか?」
あまりに悪し様に言うので、思わず訊いてみた。
百合子は長い睫毛をバサバサと揺らし、瞬きをしてから答える。
「そりゃ、怖かったからよ。透は団地の連中には愛想よくしていたけど、出会ってから別れるまで、私はしょっちゅう殴られてたの。別れるって言えば殴られて家を出ようとすれば閉じ込められて、怖かった」
百合子と透は俗に言う共依存のような関係だったらしい。
出会ったのが互いに十八歳のときで、透は少年刑務所を出たあとに母親に縁を切られて家を追い出され夜の町を彷徨っていたときにふたりは出会った。
意気投合してすぐに深い仲になり、一緒に生活を始めたが、経済的には百合子に養ってもらう関係だった。
「私が妊娠して夜の仕事ができなくなったから、透に言ったの。働いてって、働かないなら別れるって。そしたらアイツ、バカみたいに喜んで家族ができるって俺の子だって、真面目に働くってそう約束してくれた」
荻野透は家族というものに憧れを抱いていたようだ。
「で、いざ愛美が生まれたら今度はやれうるさい、手がかかるだの金が掛かるだの。文句ばっかり言い始めてさ。そのうちに生活費もろくにくれなくなった。だからまた働き始めたのよ」
百合子の話を聞いていると、透という人物の違う一面がわかる。
良き父、良き夫とはかけ離れた、未成熟な若者の顔を垣間見た。
「製鉄工場も、私が昔のお客に頭下げて入れてもらって、住む場所も紹介してもらったのに。あのバカは仕事がきついとか、おっさん連中がうるさいとか言って私にあたるんだもん。やってられないわよ。愛美のことがなくてもいずれは離婚するつもりだった」
そう言って、百合子はグラスの中の氷水を一気に飲み干した。
「愛美のことはかわいいみたいで手を出さないけど、私のことは殴るの。愛美が夜泣きすると叩かれるし、愚図れば私に当たり散らすし、それがいやでいやで我慢できなかった」
三歳の子を夜中、家にひとりでというのは誰が聞いても不用心に思うだろうが、家を空けていたのは百合子なりに理由があったらしい。
「透はさ、自分が愛美の面倒見てるみたいな顔をしてたけど、世話なんてロクにできやしないのよ。私がやらないと愛美はいつだって汚れた格好で、そんな愛美を見て葉山さんは言うわけよ」
「なんて?」
呆れ気味に聞くと、百合子は口を尖らせて答えた。
「ちゃんと面倒をみてあげなさいって。愛美ちゃんは女の子なんだから綺麗にしてやらないとかわいそうだとかなんとか。ほんっと、余計なお世話!」
人の家とは外からでは見えない部分がある。
これまで聞いた話から、透が娘の面倒を見ていたと勝手に予想していた。
「お節介でうるさい人! 毎日のようにやってきて説教するの。だからさぁ、むかついてねぇ」
百合子は煙草を吸いながら酒に焼けた声でけらけら笑い、喋りまくる。
「ねえ、いいこと教えてあげようか」
上目遣いで私の顔を覗き込み百合子が囁く。鼻に突く香水の臭いと酒の匂い、とても一児の母とは思えないし、子を亡くして傷心の女とも思えない。
「透の事件のこと、葉山に教えたのは私なの」
「どういうことだ?」
思わず荒い口調で聞き返す。
百合子は一瞬だけきょとんと、不思議そうな顔をしたが、すぐに探るような顔を私に向けて、それからまた喋り出した。
「ああ、勘違いしないでね。詳しいことは私も知らなかったんだし。私が葉山さんに言ったのは、透は昔人を殺して少年刑務所に入ってたんですってことだけ。透がやっちゃった子がうちの娘と同じ名前の子ども、まなみって言うんですって」
「なんで、そんなことを……」
「ただの嫌がらせ」
そう言って、百合子はまた笑う。
「だって、葉山さんも団地の人も透君はよくやってる、頑張ってるばっかで、私が家でどんな扱い受けてるのか知らないんだもん。とくに葉山さんなんか、旦那さんを支えてやらないとって余計なお説教して、ムカついたのよ」
「あんた……」
言い掛けた言葉を飲み込みぐっと堪える。
自分の娘が犠牲になったと言うのに、目の前にいる百合子は平然と笑いながら話をしている。おまけに、私に向かってこうも言った。
「別にどう思われようが関係ないけどね。約束のお金は頂戴ね。お金貯めて大阪に戻るんだから。早くこんな町を出てやり直したいの。愛美のことも透のことも忘れてやり直すの。透から聞いた話を葉山のくそジジイに教えたのは私よ。葉山も殺すなら透を殺せばよかったのに、なんで愛美なのよ」
自分の娘が犠牲になったと言うのに、目の前にいる女は平然と笑いながら話をしている。おまけに、私に向かってこうも言った。
「別にどう思われようが関係ないけどね。約束のお金は頂戴ね。お金貯めて大阪に戻るんだから。早くこんな町を出てやり直したいの。愛美のことも透のことも忘れてやり直すの。透から聞いた話を葉山のくそジジイに教えたのは私よ。葉山も殺すなら透を殺せばよかったのに、なんで愛美なのよ」
百合子は煙草をもみ消しそっぽを向く。その横顔は、厚塗りの化粧をした場末の女の顔だった。
葉山が、憎むべき犯人のひとりが近所に住む男だと確信したのは、予想通り、鈴木百合子の言動からだろう。
被害者である子どもの名前、まなみ。
この事実から過去を結びつけて、犯行に及んだのか。
そう考え、納得しそうになる自分の心境が、恐ろしいとも感じていた。
「百合子さん、あなたは佐山弁護士をご存じでしょうか?」
百合子は大きく溜め息を吐き、そっぽを向いたまま首を縦に振った。
「知ってるわよ。葉山が捕まってすぐに連絡してきた弁護士でしょ?」
私と目線を合わせようとしない。あらぬ方向に視線を向けて、どこかぼんやりした顔で頬杖をついて、表情を隠す。
「佐山弁護士はなぜ連絡してきたんですか?」
「意見陳述書にサインしてくれって、しゃあしゃあと言って来たのよ。愛美のことは透が過去に起こした事件が原因だって、あいつから聞かされた」
ありふれた手法だ。被害者に接触して反省している旨を伝えて意見陳述書を貰う。それによって減刑を訴える。
「どういうことですかってあたしが聞いたら、あの弁護士が言ったの。透さんが過去に起こした事件について、葉山に教えたのは奥さんでしょうってさ。あたしのせい、あたしがうっかり愚痴ったからよ」
改めて気づく。百合子もまた被害者遺族なのだ。
刑事事件の犯人はありとあらゆる手を使って減刑を訴える。反省を口にして被害者に許しを乞い、一言許すと言えば、それによって減刑が認められる。
佐山弁護士のやり口は非人道的にも思えるが、れっきとした手段だ。別に違法でもなんでもない。
「透さんは知っているんですか?」
私が訊ねると、百合子は顔を逸らしたまま答えた。
「言ってないから知らないわよ。やっと離婚できたんだし、もう関係ない。もうどうでもいい」
「そうですか。お話を聞かせていただきありがとうございます」
それ以上言うべき言葉が見つからない。私は紙幣をテーブルに数枚置き、伝票を持って店を出た。
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