やっぱりきみたちが大好きなんだ。
3年前に書いたこの記事。一丁前にデカルトが云々とか言ってるけど若気の至り、今でも原文に当たったことはない。カッコつけたかったんだなぁハタチの自分。あわや、あわや恥ずかしい……。
ただこの考え方自体は今でも変わってない。結局自分のことしかわからない。自分のことさえもわからない。他人なんて現実か虚構なのか見分けなどつくはずもなく、この世界はただただ寸劇に過ぎないんだと思ってる。自分の死後も生まれる前も、なんなら別れたあともそこに残る、そこにある空間を確かめる方法なんてないと思う。他人の投稿なんてBotと何が違うんだ?世界情勢だって僕が生まれてから起きていることしか理解できない。教科書に載ってるのだって結局はゲームの取り扱い説明書、チュートリアル的な役割しかないじゃないか。いわば僕が生まれるまではプロローグ。これから生きる世界を簡潔にまとめてくれているだけ。僕が死んだ後はエピローグ。その後を知る由もない。
この考え方ってとても危険だと思う。自己中心的で退廃的。この現実が僕の命と結びついているのなら、他人に対する影響なんて知ったこっちゃない。ファストファッションも地球温暖化も万々歳だよ。僕を最大限幸せにしてくれよ。SDGsなんてくそくらえ。今この瞬間が一番大切なんだ。
それでも僕は大量消費社会に抵抗を感じる。できるだけサステイナブルな製品を手元に置いておきたい。収入に見合ってなくても、理念を大切としている情熱のある会社から物を買いたい。お金を介して他の人を支持したい。もし一発大きく当てることができたなら自分の好きを実現している会社や個人のパトロンとして生きていきたい。
でも本当に”僕”だけの世界であるのなら、この考え方ってチグハグだ。この世界を十分に満喫するために、普遍的なルールを守るというのはまだ説明できる。破って仕舞えばペナルティを背負って苦しむのは僕なのだから。
ただ刹那的にこの人生を楽しむことはなんら問題ない。思う存分楽しんで、後処理なんか知らない奴ら、Botに任せればいい。ことの顛末を迎える頃には僕はそこにいないのだから。
僕は人間が好きなんだ。この世界が好きなんだ。これが理由。
他人がフィクションだろうと関係ない。自分を含め人が好きだ。ただそれだけ。たわいない会話も心通じ合う瞬間も知らなかった一面を知る時も堪らなく愛おしい。笑って泣いて怒って感情がとめどなく溢れているところが好きだ。ああ、生きていてよかったなって。この人たちと出会えてよかったなって噛み締めて噛み締めて、嬉しくて泣きそうになる。嫌いな部分とか分かり合えない部分、がっかりする部分も沢山あるし苦手な人だってもちろんいるよ。だけどあなたのいいところを知っている。少なくとも僕が知らないだけで素敵な一面を持ち合わせているんだろうなって思う。本質的には変わらない。君たちが好きなんだ。
この世界が僕と共に消滅するとして、それが本当かどうかもわからない。圧倒的人類愛が僕を背中を正してくれるんだ。そんなんじゃダメでしょって。君だけの世界じゃないんだよ。君の周りだけの世界じゃないんだよって。身内にだけ優しい人っているよね。僕にとって身内は全人類なんだ。顔も知らない。一度も会ったことがない人たちも含めて皆んなが好き。一切合切まとめて天国ってところに連れていこう。大乗仏教って素敵だなぁおい。けどさ、天国に召されるよりも前にこの世を天国にする方が手っ取り早いやん。何もできない僕だけど、誰にでもできるなんてないことをしていくことで少しでもいい世の中にしていきたい。僕に愛されるってのが迷惑に感じる人も含めて愛してるよー!よろしく。 こんな自分に酔っているだけだとしても我ながら素敵な志だ。世界をもっと素敵な場所に明るいものにしていこうね。みんなで!
ここで一曲
LOVE ALL SERVE ALL