To be an artist.
こんばんは。岩上魁星です。次の給与でわずかですがインセンティブが入ってくる予定なんです。ワクワク。クライミング再開しよ。
兎にも角にも世の中お金が必要なシーンが多い。生活する上ではもちろんのこと、呼吸するだけでお金がかかるのだから困ったものだ。最近有名な成田教授が『木曜日は本曜日』という著名人の人生を変えた本を紹介する動画に出演されていたのだが、その中で
「あんまりコスパとか求める人間じゃないんですよ。そんなの死ぬのが一番コスパいいじゃないですか」とおっしゃっていた。まさにその通り。生きているだけでお金がかかる。
だからか知らないけれど、世の中的に自分の趣味性の高いスキルを活かしてお金を稼ぐということが推奨されているように思える。ハンドメイドしかり、イラスト、写真、etc…。
絵が描けるんだったらそういうお仕事をすればいいのに!
レジンのアクセサリかわいいから販売しなよ。
写真集でも出したらきっと売れるよ。
もちろん、自分の好きなものでお金が稼げるっていうのは素晴らしいことだと思う。労働=しんどいもの、つまらないものではなくなるし、何よりも仕事に繋がれば社会的に認められたというわけだからより一層自分のスキルに自信が持てるようになる。
ただここだけの話、僕はそれだけこの社会が困窮しているんだなと感じてしまうのだ。
以前、他の記事でこのようなことを書いた。
自分の趣味を資本つまりビジネスに変えると本来趣味に含まれている自己満足的、内省的な側面が欠落してしまうと思う。端的にいうと自分の好きなようにできなくなってしまう。どうしても社会的需要を考えた上での趣味活動へと変わってしまうのだ。それって趣味と呼べるのか?
もちろん、それも悪くはない。悪くはないのだけど、何のための趣味なのか、誰のための趣味なのか、そこがぶれてしまわないだろうか。
僕は文章を書くのが好きだ。言葉で表現することが好きだ。だからnoteを書いている。
『じゃあライターになりなよ。アフェリエイトで稼ぎなよ。月数十万稼げるよ。今は暗号資産がホットだよ。』
例えばそれで稼げたとする。でも本当に僕がしたいことってこれだったっけ?文章を書くのが好きというは単なる手段であって本当にしたいことは自己表現じゃないか。
最近は写真にハマっている。お金もかかるし大変だな。
『いいじゃん、写真販売したら?インスタでフォロワー獲得すればそこまで難しくないんじゃない?今はローコントラストのふんわりとした写真がトレンドだよね』
実際にうまくいったとする。僕が撮りたい写真てこんなだったっけ。もっと誰も目を向けないようなそれだけ生活に根付いている風景や好きな人たちと過ごした瞬間、そういうのが撮りたかったんじゃないんだっけ。
趣味の良いところは何にも縛られない自由にあるのではないだろうか。その自由を、自分のための時間を明け渡したとして対価に見合うのだろうか。
極論なのはわかっている。仕事で絵を描いている人が息抜きで自分のために描くことだってもちろんできるだろう。僕が言いたいのはそういうことではない。社会全体として趣味を趣味として楽しむだけの経済的余裕、時間的余裕が失われてきているのではないかということが言いたいのだ。
いつも読んでる『ホモ・ネーモ』さんの記事から今回の記事を書くきっかけをいただいた。よければ併せて読んでみていただきたい。語彙も知識も豊富でどの記事も面白いのでおすすめだ。
ここからはさらに個人的な信念の話になるのだけど、僕は趣味の純度を高いまま維持したいと思っている。どこまでも自己満足、自己完結を目指して趣味に没頭したい。そのためにはお金がかかる。おいおい生きるのって楽じゃねえな。パトロン募集してます。毎月フィルム1本から支援可能です。
つまり僕はライターでも写真家でもなく表現者として生きていきたいんだよなぁあ。
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