別れを惜しむ自分と直面し存外驚いた。
今まで一人で生きてきたものだから、人に執着する気持ちがあるとは思いもよらなんだ。
ただその気を悟られるのは癪だから、いつもと同じようにぶっきらぼうな返事をする。
いつだって屈託のない笑顔で真っ直ぐな言葉をその真っ直ぐな瞳で捉えて最短距離で届けてくるあなた。
いまでも目を合わせるのが難儀だ。すべてを見透かされているような気がして心が落ち着かない。
十分に隠しているはずの気持ちでさえ、あなたにはお見通しなのかもしれない。年甲斐の気持ちを隠しているのだから、それは無粋だろう。どうか気づかないふりをしていてほしい。その眼差しをわたしに向けないで。
うつむいて自分の手を眺めるのも焦れったくて、ひと呼吸をおいて視線を上げる。
あなたの瞳はただ、わたしのことを映している。真っ直ぐに。
目があうとあなたはまた、知ったような顔をして笑うから憎い。なんでそんなに得意げなのよ。
わたしは心底ムカついているのに、それをわかった上でわたしの髪を優しく撫でるあなた。
それも気持ちを見透かされているようで、どうも気に入らない。さっさと目の前から消えてくれたらいいのに、その感触をいちも早く忘れてしまいたいのに。
またうつむいたわたしの視界が滲んでいく。
のど元がつっかえて呼吸がままならない。浅くなっていく呼吸に肩が大きく揺れる。次第に落ちていく大粒の涙。
わたしの両手を優しく包み込むあなたの大きな手。ぽつりぽつりと滴が濡らす。
こんなつもりじゃなかったのに、せめても声を殺すけど、かえってうなり声のように嗚咽が漏れ出してしまう。
あなたの手のぬくもりを感じながら、わたしは今までのことを思い出していた。
レースカーテンをなびかせる初夏の風の向こうに真っ青な空が広がっている。
ほんのり熱を帯びた身体、となりですうすうと寝息をたてて眠るあなた。
いつもどこか遠くにいるようなそんな距離を感じていたのに、眠るあなたはどこかあどけなくて、どこか無防備で寝顔はこんなにも可愛げがあるのに…。とそんなことを思いながら見つめていた。
うとうとしてしまっていて、気づけば日が落ちていた。
となりにあなたの姿はなく、身体を起こすとリビングへとつながる扉の向こうからこちらを見ていた。
おはようと笑うあなた。リビングから差す光で顔には影が落ちている。
また、あなたを遠くに感じる。どうせなら、ずっとわたしのとなりで寝ていてくれたらいいのに。
無防備なままの、ありのままのあなたの姿をずっと慈しんでいたかった。
最後に思い出すのがこんな記憶だなんて最悪だ。
お願いだから名前を呼ばないで。困らせてしまっているのは百も承知だから、そんな悲しそうな顔でわたしを見つめないで。
みっともないわたしのことを、どうか見ないで。ただ、そっとしていて。
こうなることはわかっていたのだから。目を背けていたのはわたしの方で、あなたの気持ちに気づいていたけど、気づかないふりをしていた。
だから心の準備はできていたのに。こんなつもりではなかったのに。
あなたの手を払いのけ、背を向けて歩き出す。後ろでわたしの名前を
呼んでいるけれど、わたしは知っている。あなたは追ってきてはくれない。
ぐちゃぐちゃになってしまった顔を手の甲で拭いながらできるだけ遠くにと遠くにと歩いていく。
周りから変なやつだと思われているに違いない。けれどもそんな体裁を保っている余裕もなく、とめどなく溢れでる涙を拭うので精一杯だった。
追っては来てくれない。それはわかっていたはずなのに、いざ的中するとまたそれが胸を締め付ける。
本当に、ほんとうに終わったんだ。
本当に、ほんとうに。
ほんの少しでも期待していた自分にさえ嫌気が差して、ほら見てみろと嘲る。
まだ、あなたの手がわたしの肩を掴んで止めてくれるのだと、夢を見ている自分に辟易した。
あなたはきっと、その真っ直ぐな瞳で背中を丸めて歩くわたしの後ろ姿を見送ってくれているのだろう。
すこしでも、このわたしの苦しさがあなたと共有できているのなら、この先の人生でわたしことを思い出してくれるのなら。
また、そんなくだらない希望を抱いてしまった。
あなたはわたしにとって、かけがえのない人でした。
わたしはあなたにとって…。
ふりかえるとそこにあなたはもういなかった。
ただ、真っ青な空が広がっている。