Nと S について
MBTI を少しでもかじったことがある人なら、人の性格を 以下の要素をもとに 16 のタイプへ分類することができることを知っているだろう。
T (思考型)
F (感情型)
S (感覚型)
N (直観型)
J (判断型)
P (知覚型)
今回はこの N (直観型) と S (直観型) についてかんたんに言語化を図る。
N は 実際のところ Ne (外向的直観) と Ni (内向的直観) に分かれている。
N 機能の差異について
Ne は 発散的で演繹法的でより現在に近い。
一つの物事から様々な可能性 (要素) を見出すことができる。
各要素を分解し、蜘蛛の巣のようなつながりを見出していく。
Ni は 収束的で帰納法的でより現在から遠い。(未来を志向する)
様々な要素から極めて抽象度の高い共通事項を見出すことができる。
それはまるできれいに引かれた一本線のような確度の高い要素を抽出することができる。
S 機能の差異について
同様に S についても Se (外向的感覚) と Si (内向的感覚) に分かれている。
Se は瞬間的でより現在に近い。
今の瞬間を五感で敏感に感じとる。
想像ではなく、絶対的感触。
今目の前にある事象についてそのまま受け取ることができる。
Si は伝統主義的でより現在から遠い。
生きていたこれまでの記憶からつながる現在、経験をもとに今直面している事象を知覚する。
私自身がどうしても N 型なので S に対する理解や言語化が乏しいのはある程度目をつむっていただけると嬉しい。
各機能の関係性や補完性について
Ne は Si と、Ni は Se と相互補完の関係性にある。
では、なぜ、Ne / Se および Ni / Si の補完関係は成り立たないのか。
そういうものだと言ってしまえばそうかもしれないが、できる限り説明を試みようと思う。
まずは Ne と Se の共通事項について。
どちらも外向的機能であることが挙げられる。
つまり、外界 (世界) でおこるイベント、事象を知覚しはじめに反応する機能である。
ここで大まかなイメージで申し訳ないのだが、Ne も Se も分散的であり事象における各要素はそれぞれ独立している状態で知覚される。
Ne の例 (りんごを見たとき) :
赤い、甘い、果物、実がぎっしりとしている、長野、山梨、青森、樹に実る。
各要素は分断されており、どの要素も対等で優劣がない状況である。
Se の例 (りんごを見たとき) :
色、大きさ、数、りんご
Se については、あまり得意ではない機能なのであくまで想像であるし、これが私の言語化の限界で大変申し訳ない。
何が言いたいかというと、上述のとおり、あくまで知覚される事象は 分断的で独立しているということ。
つまり、Ne と Se では知覚する要素は異なれど、事象に対する役割は同一である。
そのために、補完関係は成り立たず、情報をただ取得するだけとなり、いうなれば 無量空処に置かれた漏瑚 のように情報がいつまでの脳内で完結しない、そんな状況になりかねない。
同様に Ni と Si ではどちらも内向的機能であり、ひらたく言えば知覚した要素を内省する機能である。
前提として内省を行うには何らかきっかけ (刺激) が必要である。
きっかけなしの内省ではただただ堂々巡りに陥ってしまうのみで、何も学びや目新しさがない状態となり内省を行う意味を失ってしまう。
そのため、Si / Ni の組み合わせについても健全とは言えず、補完関係は成り立たない。
Ne / Ni、Se / Si の組み合わせはなぜ成り立たないのか
N は情報から要素を抽出する機能である。
情報を抽出化するには共通事項を見出すための前提、判断材料が必要だろう。
ここで有名な演繹法の代表例を引用する。
これを帰納法で言い換えるのであれば、以下のとおりになるだろう。
あまりにも杜撰な例で申し訳ないが、ここで強調したいのは、N 機能では抽象的事実を観察した結果より導き出す機能 (思考) であるということである。
その手法が異なるだけである。
Ne / Ni の組み合わせについても Ne / Se や Ni / Si がそれぞれ補完関係になれないように、同一の役割を持っていることから、補完関係とは呼べない。
S 機能については反対により現実にもとづいた具体的な事実を知覚する機能であると言えるだろう。
Se / Si どちらにおいても感覚を通して事象の詳細を知覚することができる。
繰り返しにはなるが、どちらも同様な役割であるため補完関係は成り立たない。
以上より、 Ne ‐ Si / Se ‐ Ni の二通りでしか補完関係が成り立たないのだ。
(結論の飛躍がところどころみられていることは重々承知だが、まあいいじゃないかそこまで格式ばらなくても)
Ne ‐ Si の補完関係について
次に Ne ‐ Si の関係性について考察していこう。
はじめに、外界からの刺激を受けるのは Ne になる。
あくまでも意識的に言語化した場合ではあるが、対象から各要素を抽出し (Ne)、記憶というデータベースをもとに参照する (Si) ことで異なる要素との関連性や、各要素における優劣を判断することが可能なのだろう。
そのため、Ne が強くみられる ENFP / ENTP などは、各要素を抽出することに長けているため、思考の柔軟性や適応力が高いことが知覚型 (P 型) と呼ばれる所以だろう。
反対に Si が強くみられる場合 (ISTJ / ISFJ) は、過去の記憶 (これまでの慣習やデータベース) を重要視することから、より物事の詳細に目が届き、比較対象を十分に備えているからこそ、判断型 (J 型) に分類されるのだと考えている。
ただし、Ne 優位においても決断を行う必要があり、その妥当性であったり判断材料については Si を使用した内省による比較結果によるものが大きい。
また、可能性の幅を広げてくれるのは知識や経験 (Si) であることから、Ne 本来の自由さや柔軟性を最大限に発揮するには Si の機能を同時に活かし育てていく必要がある。
反対に、Si 優位な性格においては、Ne による均一な可能性や要素抽出の能力を蔑ろにしてしまうと、新たな知識や経験の獲得の場を自ら閉ざしてしまうことになるため、頑固な人間へとなってしまう。
そのため、自身の可能性を広げるためにも、新しいことに挑戦をしていく必要がある。
Se ‐ Ni の補完関係について
はじめに外界から情報を近くするのは Se だ。
Se では現実の身に起こった事象をそのまま知覚する。
これはあくまでも推察の域を出ないのだが、身のこなしが天才的な人がいるとしたら Se 優位なのではないかと考えている。
というのも、身に起こった事象に対する反応速度が Si や Ne、Ni などと比べて一番現実に近い分早いのだ。
そのため、頭で理解するよりも先に身体を動かすことで理解することが可能なのではないかと思う。
そうして得られた情報をもとに Ni は内省を重ね、類推を行い可能性を絞っていくのだ。
Se が優位なタイプ (ESFP / ESTP) は身体の反応速度が早いため、その場その場の状況について機敏に察知し適用することが可能であることから P 型であると考えられる。
Ni が優位なタイプ (INTJ / INFJ) は類推能力が特に際立っており現在地点を始めとした未来に対する可能性について明確な優劣をつけてその時点で一番妥当性の高い選択肢を導き出すことができるだろう。
そのため、状況に流されず確固とした目的を掲げて行動ができるため J 型であると考えられる。
Se が優位である場合には、Ni による先を見通す力 (= 目標を建てる力) が弱いと身体的享楽ばかりに身を投じるようになりその場しのぎのギャンブル性に富んだ波乱の人生を歩むことになるかもしれない。
Ni が優位な場合にも、Se をおざなりにしてしまうと、現状に対する情報の収集ができず持ち前の類推力を活かし誤った方向に大きく舵を切ることになりかねない。
最後に
これはあくまでも、私の気づきをもとに作成した考察であるため、その正確性については担保致しかねる、が、MBTI におけるタイプ間の違いについて何らかの形で理解を助けるような手助けとなれば幸いである。