さようならという言葉に
あなたにはもうすでにバレているかもしれない。私があなたに話しかけている時は、うまくいってない時だ。人は鬱屈している時の方が創造力が高まるという。売れっ子の小説家はどうか知らないが、私が書くということはそういうことだ。
人生に飽き飽きし、斜に構えたままで、数十年。気づけば仕事のできない人間になっていた。根は真面目なのか知らないがそんな自分で開き直ることもできず、また、変わろうとする気力を持つこともできず、ただ、現実逃避の方法として私は執筆する。不安定な出力のまま勢いに任せて綴られるそれらの物語は歪で、起承転結もなく、冗長とした文字の羅列に過ぎない。
鬱屈している時はどうやら創造力が高まると同時に、自己分析もはかどるみたいだ。
私が今まで書いた小説は10本にも満たない。8000字を超えたものはその中でも数本。1万字を超えたものはひとつしかない。消化不良の思いが解消されれば、執筆に対する原動力も失われる。そうやって書きかけのまま放置した物語が書き上げたものの数倍はある。
これでも一時、物書きに憧れていた。夏目漱石の『草枕』つかみどころのない文章で、ふらふらと生きる物書きの小旅行が記されていた。そんな生活に憧れていた。遊牧的でのどかで、時間とは無縁の生活に憧れていた。お金を貯めようとアルバイトを始めた。創作する時間を作るために始めたアルバイトに創作する時間が奪われる。気づけば創作する時間すらも、別の余暇のために使うようになった。退廃的で退屈な家と仕事場を往復するだけの生活。その仕事すらもまともにできていないとなるといよいよ生きるのが申し訳なくなる。時間に対して疑念が生まれるのだ。
そうして現実の重荷に耐えられなくなった私は、いつも、文を書く。
見切り発車で打ち込まれていく言葉達は連結が弱いので、辻褄が合わなくなってくる。そもそも設定が空に浮いたまま書き始めているのだからそうなるのも無理はない。いわば私の小説は気まぐれに書く日記みたいなものだ。そこに意味はない。あるのは自己満足と起きたら忘れる達成感だ。自分で書いた小説を自分で咀嚼して消化する。後には何も残らないので、仕事を辞めるわけにも、また仕事に対するやる気や成長にはつながらない。根がさらに腐り、徐々に無気力に苛まされていく。
これは私の日記である。姿をかえ、場所をかえ降り立つ人物は私の鬱屈とした気持ちを代弁する鏡にすぎない。思想の片寄った偏屈な主人公がまた私を代弁する。
「さようならという言葉に価値なんてない。いくら別れ際を美化しようたって、あなたとの思い出がまんまいいものになるわけじゃないから。あなたが根っからのクソ野郎だってこと、一生忘れないから」
そう言いながら彼女はうつむいて肩を震わせていた。グサグサと刺さる彼女の言葉を受け止めながら、言葉とは裏腹に別れを惜しむ彼女を目にして複雑な心境になる。ただそれ以上になにも感じない。ここを離れると決めたあの日から、私は彼女のもとから既に別れを決めていたのだ。ぽたぽたと次第に量を増していく涙が彼女の足元を濡らす。染み入ったアスファルトだけ黒く滲む。彼女にかける言葉は見つからず、その場を静かに去った。きっともう彼女と話すことはない。彼女にとって「さようなら」には何の価値もない。ただ私にとって「さようなら」は彼女との思い出を美化するためにきっと必要だった言葉なのだ。思い出すだろう。数十年経った後、車椅子に座り、ヘルパーさんに押されて散策する春明けの午後。真っ青な太陽を見上げてはおぼろげな記憶がふわりと香るはずだ。そう夢想しては自分に言い聞かせる。
「今からどこに向かっても遅いよ。完全に時期を逃してる。それなら目の前にあることに集中したら?」
若さだけが取り柄の自分が、気づけばダンボール数箱もって運ぶだけで息が切れる40手前のおっさんになっていた。その体たらくで夢を話していると、ひと回り下の同僚に言われた。若いというだけでちやほやされる時間は驚くほど短い。そりゃそうだ、20過ぎて社会へ出て、10年もすれば老いとの闘いが始まる。いやもっと早いか。自分の衰えを感じ始めたのは28の頃だった。今からすればその時もまだ充分若いと思う。なにせいくら二日酔いでも頭痛いと笑いながらも働けていたのだから。この先待ちうる1、2年と、取り返せない過去の1、2年。大した努力も勉強もしてこなかった。それでも過ぎ去っていった過去の時間の方が貴重で大切な時間だった。勉強しろ勉強しろと口うるさい大人が嫌いだった。90点取ろうが成績優秀だろうが、変わらず口酸っぱくいってくる大人が理解できなかった。若いんだからとことあるごとに言ってくる上司が嫌いだった。若さがステータスの一つとして認識される理由が知りたかった。若さより、経験の方が圧倒的に大切だと思っていた。
勉強しても勉強しても足りないということがこの歳になってようやくわかった。若さは経験を積む上でも成長する上でも要なのだと衰えを感じてからようやく腑に落ちた。人は生きていく上で成長していく。その人独自の生き様を経てある種の集合知へと帰結していく。わかりきっていたはずなのに、口うるさく言われていたはずなのに、その身を持って実感するまで取り返しのつかない過去を嘆くことすら叶わない。後どれくらい世代交代を繰り返せば、。人類は‘’適応‘’できるのだろう。この時間の流れの残酷さとその神聖さを。そして大人が言わなくても、己の若さを自覚し、自ら経験を積んでいくことのできる青年が育つようになるのだろう。それとも、この無自覚の怠惰は人類にとって必要なものなのだろうか。あるいは、神によって設けられた神と人類を分けるボーダーラインなのか。
「人との関わり方に容赦ないよね。おもちゃみたいにその時の気分で弄んで。満たされてないんでしょ。その孤独が。そりゃそうでしょ。いくら人といたって、君はいつだって1人なんだから」
彼女の顔がみるみる歪んでいく。張りつけたような笑顔も硬直しきって、今ならデスマスクも作れそうな勢いだ。これで私の学生生活は終わった。人気者の彼女にこんな捨て台詞を吐いたのだから。ひそひそ話が聞こえる。一瞬にして静まりかえった教室がふたたびざわつき始める。数分前とは違う湿度の高い空気感。彼女は何て言い返してくるのだろう。握りしめた拳が手汗でじわりとにじむ。やけに大きく聴こえる心臓の音。緊張で体温が上がり息も乱れている。ずっと彼女の目を見据える。彼女は感情のわからない複雑な表情のまま、一歩こちらへと足をすすめた。身構える。ぶたれたとしてそれだけの仕打ちを受けるだけのことは言ってしまった。もう取り返しはつかない。もう一歩、近づいてきた。額から汗がにじみ出てくる。気持ちの悪い。喉が締め付けられていくような気がした。
いよいよ、彼女が目の前まできた。充血する彼女の瞳をみて、場違いにも綺麗だなと思った。涙がひと粒、彼女の頬を伝っていった。ひと粒はふた粒に、ふた粒はよっつ、むっつへとその数は次第に増していき、いよいよ彼女はその場で泣き崩れた。呆気を取られた私はその場で立ち尽くし、腫れ物を見るような視線を感じながら、遠くで鳴る始業のチャイムの音を聞いた。
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