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雨の降る夜が好き。まるで映画の主役になったみたいだから。傘なんてささない。服がびしょびしょになっても気にせず、たまにターンを挿みながら歩く。マンションにある花壇の茂みの奥にカメラがあるとして、含み笑いを見せてから踊る。そのためだけにイヤホンして踊る。夜で他人はいないしさらに雨も降っていてもう誰も僕を見ていない。いや、正確には花壇の茂みに隠れてカメラを構えているカメラマンは僕を見ているのか。
このさきバッドエンドでもいいし、ハッピーエンドにもなり得るようなシーン。きっと大きな決断をした時、人生が大きく揺れ動いたとき、大雨の中でびしょ濡れになって踊るんだ。
タイトルコールはいつにしようっていつも考えている。特に藤井風の『旅路』のメイキングビデオを見てからよく思う。過去にそんな場面なんてあったかな。思い返すも思いつかない。このさきそんな場面に出会うのかな。まだ先の未来知る由もない。とにかく心を揺さぶられるような人生を歩みたい。なんなら雨の中踊りながらあるていて、イヤホン大容量で、目を閉じて頭振りながら自分の中に没頭する。大好きなCメロがきて、ラストのサビが始まる瞬間に通り魔に刺されて死亡したって構わない。激情を、激情をくれ。
いま僕が生きているのは死に場所を探しているから。説明が難しいけれどなんだろ、中途半端な場面で映画を終わらせたくないって気持ちに近い。闘病の末にいままでの記憶がフラッシュバック、最後いままで愛せなかった自分のことを愛おしいと感じながら深い眠りに落ちる。いいね。這いつくばって生きてきたけど、あるきっかけで物事が上向きに、諦めなくてよかった。この道を選んでよかったって思いながら帰る途中、目の前にトラック。衝突。後味の悪い映画って賛否両論分かれてしまいそう。
別に劇的な死に方じゃなくてもいいんだけど、この先自分の人生を振り返ったときに自分が納得のいく物語であってほしい。
「あんなこともあったけどだから今があるんだよな」
「あの時の選択は間違ってなかった」
「いやぁ若気の至りってやつだよ」
きっと物語の整合性や出来事の意味っていうのはすべて終わった後に自分の中でどう落とし込めるかにかかっているんだろうけど。
じゃあ今の人生はどうなのか。それなりに他人とは違う人生を歩んできたと思っているしこの道を選んでよかったことや別の道に対する憧れもある。ただ一ついうならば、諦めてきすぎた、と思う。何かと理由をつけて、本気になることをやめてきた。ひとつを極めていくプレッシャーに耐えきれず、あれこれ手を出して、結局どれも手付かず、みたいな。今のままじゃただただ後悔に呑まれながら、来世の自分に祈るしかない。まったくの知らない他人に。まだ24。いつまで“まだ”でいられるんだろう。いつから“もう”に変わるんだろう。いや、もうすでに“もう”だ。
自分に言い訳して、環境に言い訳して、挫折することからすら尻尾巻いて逃げて、激情を浴びながら死にたいだなんてそれって結局中途半端だよな。誰も見向きのしない自主制作映画で終わるよ。冗長な物語が突然死で終わるなんて観客置いてけぼりだよ。
まだ見どころのないまま終わるなんて嫌だから、タイトルコールすらまだなんだから、映画の幕が開けるまで、這いつくばって生きていこうと思います。
では、次の雨が降る夜にまた。
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