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自分史を振り返る〜HSS型HSPである自分が今の悩みに書き出そうとしたら、過去の振り返りになった

私はhss型hspである故にして、素敵な人を見るとその人の良さ、良い点を自分なりに見つけながら真似ていく、参考にする。そんなところがある。
noteを再び書き出したのも、ある意味そういうこうなりたい自分が居て、それに近づくためにやっている行為である。
私という一人称にしたのもあれはセカイの全てだと思い注ぎ込んだ受験期の頃だ。
それから欅に出会い、高校時代に感じた社会や大人、学校に対する違和感、閉鎖された空間に嫌気がさしフェードアウトした高校時代。そして浪人期間、特にセンターの平手友梨奈に自分を照らせ合わせを、受験という科目に縛られいつの間にか義務化されてしまった勉強というモノに対しての原点回帰的なモノ(ロッキンなどのインタビュー記事を通じて、平手友梨奈そのままというのもそうだが、)彼女が表現する楽曲の中の’’僕,,という人格を再び自分の中に入れ戻すことによって、自分を見失わずに済んだのだと思う。
そうそう、その頃から限定的な’’僕,,と、公的なアカデミックな場での’’私,,と受験中途に発生したもっと自由にという意味の’’俺,,という呼称で呼ぶことにして(今は単純にその時の気分でラフに話している)安泰を保っていた。
でなければすでに死に追いやってしまっていたかもしれない。
part2へ続く
良ければそちらも書く予定(一週間、二週間以内くらいを目処に)のでご一読いただけると幸いです。
part2はhss型hspの今の自分の悩みについて話す。