やがて、その時君になる
かつてこのような文体を読んでいた。
懐かしい風はなにを思うのだろうか?
冷ややかな視線か?あるいは心地よく飛ぶ鳥か?
それは当人さえも目まぐるしく周囲=外的セカイとの関係否が応にもなく、応対する物だと思う。
すくなくとも僕はそうだ。
目まぐるしく動く世界に対して、否が応にもなく、適合しようとしてた受験期。
それを拒んだあの日々たち。
それを総括とでも言うべきだろう、日々が最近の僕の周りで行われている。
つまり、自分は今自己の環境をあらゆる尺度から選択する権利を持ち得ている。
それは言語を再び獲得、価値観を脱構築することによってしかるべき所に入ったということだろう。
俺は、自由主義だった。どこまでも澄んだ目でセカイを見る鳥になりたいのだ。
ここでタイトル回収といこう。やがてと予期した未来はいずれ来るのだから、その時まで抗い、獲得しそれ故喪失を繰り返し生きていくしかないのだと思う。
多分、未来は大丈夫。そう言えるだけの周囲の環境も手に入れた。
そして、自分にも自信を持てた。
結論がまとまらないのが俺らしいが、タイトルの伏線回収は後付けでいつでも準備不足でやってくる。
大丈夫、俺は俺らしくやっていくよ。