自らを素直に曝け出す自己開示(新)
自己開示の活動-人間力UP
自己開示は、先ず弱さ脆さを知り受容れる
私事で恐縮ですが、
還暦は人生の大きな節目となりました。
数年前に他界した母の看護と介護のため
それまでの仕事から離れ実家に戻った時期
同時に、H.P.「接客マナーは心の礎」を知人の
勧めで書き始めるキッカケに成った年、
人の心の学びの大切さに気付き、本心から
取組み始めた年、人として大切な自己開示
を知り少しずつ始めた年でもありました。
正直その年は、還暦と言う言葉の意を知り
看病で他人との触合いが減ったこともあり
少しでも生まれ変われたらと思いました。
今迄の人との出会い触合いで人間力である
心の力不足を痛感し、どうしたらよいか?
に悩み始め今迄嫌いだった読書に向き合う
時間を意識的に作り取組みました。
少なくなった人との触れ合う時間を有効的
に使いたくてその時出会った人へ「自己開示」
をほんの僅かずつしてみて考えていた以上の
手応えがありましたので続けていました。
その時先ず、知ったのことは心の中を空に
して人と触れ合う「謙虚さ」でした。
この謙虚さを学び高かった自尊心(プライド)
も僅かながら下がったように感じました。
それを続けて居たら人との触れ合いに今迄に
感じたことのなかった嬉しさ楽しさのような
不思議な気持ちが生まれました。
そうする内に触れ合う人への配慮「思い遣り」
の意識も実感できました。
そのような実体験から気付かされたことが
“生き抜く豊かな心を備える”ことです。
“生き抜く心を身に着ける”謙虚さ
人間は心身共に進化し、成長するために
未完成で適度に弱みと強みで作られている
のではとないかと体感しました。
一人の人間が、人(自他)の持つ様々な弱さを
知ることで、人間としての強さが何であるか
を知り理解することが出来ます。
人間としての強さは、どのような状況下でも
平らに自らの人間の持つ欲・感情・思考・志
をコントロールできる強さです。
一方、自分自身の持つ弱さを理解し
克服するには一時的に自分自身が
傷つくことは避けられません。
誰でもみんな、弱い自分の心を何とかして
強くしたいと望んでいると思われます。
(一般論)
しかし、どんなに自分を強くしようとしても
中々出来ないのは、一体何故でしょうか❓
自分が本当に強くなりたい、と心から望んで
いるのに何故出来ないのでしょうか❓
最大の理由は、自分が傷つかない
(自己開示や格好悪く辛い思いをしない)、
で楽に自分を強くしようとしているから
ではないかと受け留めています。
自らが傷つくということは、他人に知られ
たくない自分の心を相手に見せ見たくない
自分の脆く弱い面を素直に受入れ(謙虚に)
自分の嫌いな面に気づくことだと思います。
自分の弱さを認め、受入るということは、
自分に自信のない人には難しいことです。
ここにジレンマがあります。
なぜなら、
自分の弱さを認めると唯でさえ生きる基盤が
弱いのに一時的であっても自らの生きる基盤
が失われてしまうからです。
自分の弱さを認めるということは、
一時的には今迄の自分の存在基盤を
自らが否定することになるからです。
人は、
意外と他人に否定されるならば多少は
耐えられます、でも自分が自分を否定
することは耐えられないことなのです。
※必要のないプライドがある故。
ですから己のこの活動に耐えられない人は、
自分の弱さを認めることが出来ないのです。
故に、自分の弱さを受入れ認めることが
難しくて中々出来ないのではないでしょうか。
このようなことの弱みや自信のなさの悪循環
が自分を弱くしてしまうのだと思います。
自分に自信をつける上で自分の弱さを素直に
受入れ認めるということが必要不可欠なのに、
それを認めようとしないからいつまで経っても
弱い自分から抜け出せなのだと体験しました。
💪🏻挫折し、失敗してこそ強く成れる
今迄の人生の体験に照らしても
人間は、自分が傷ついてこそ強くなれる
と受け止めています。
自分が傷つくということは色んな場面で、
喜怒哀楽の経験を重ねるということです。
自分の気持ちが傷つくのが恥ずかしくて
恐ろしいと感じるから自分の弱さを中々
認められないと体感しました。
※人はおかしなプライドがある故。
素直に受け入れ認められないから、
いつまでも苦しみが続き辛い気持ちに
なるのではないかと思います。
自分が強くなりたいと切望しながらも
強くなれないで苦しんでいる人は、
果たして自らが傷つかないで強くなろう
としてはいないだろうか?と捉え方で
思考してみてはどうでしょうか。
自分が強くなるには
一時的にせよ今迄の自らの生き方を全否定し
絶望の淵に追いやられる意識になることは、
避けられない精神鍛錬だと考えます。
その絶望の体験「≒自己開示」を乗り越えた人
だけが強い自信を持てるのだと思います。
色んな絶望を乗り越え克服出来る体験を
したから自らの心に自信が付いたのです。
この自信は、心の基礎体力の鍛錬です。
人生で絶望や挫折のなかった人の自信は、
偽り物の場合が多く直ぐに崩れ易いのです。
周りで自信を持って活動している人を
よく見るとそう言った過去の経験のある
人が多いのではないか体験しました。
自分の本質を知り理解すると言うことは、
自分が傷つくことと同じことと思います。
人間は
「自分はどこから来て、どこへ行くのか」
と、古から言われてきましたが、
「自分は、何のために、どこから来て、
どこへ行くのか」を見付け出しながら
生きていくのが人生だと思います。
人は、自分の見た目を変えたり飾ったり、
生活環境などをどんなに変えたりしても、
強い自信は得られません。
自信を付けるためには、自分の心である内面を
素直に見つめるて見るしかありません。
自己開示(≒内観)して自分の内面を確り見つめる
ことで生きる安堵感が得られのです。
本当に心の強い人、自信を持っている人は
やはり自分の弱さを知り、理解していて
それに立ち向かう勇気を備えた逃げない人、
ではないかと体験から思いました。
そして、
自分の弱点も認め、人に素直に助けて、
と救いを求められる心身の活動が出来ること。
でも、中々そう言えない人が多いようです。
人に助けてって言えないから
自分でなんでもしてしまう。
逆に、
全く自分の(-)感情を隠し持ちながら、
何もないかの様に仮面を被ったままで
本当の姿を隠し通して接する人もいます。
例えば、
共通の話題や仕事関連に関する話は
仲間に入りすごく盛り上がるのですが、
プライベートネタになると、急に黙る。
折角親しい友人関係を続けようと思っても
相手に閉ざされている感があると誤解して、
それ以上の会話が成り立たなくなってしまう。
その結果、
人に会う時は自分の方が気遣いをし過ぎ、
結果として緊張感が漂い疲れます。
その緊張感を解こうと一生懸命に会話を
しようと努める、そうすると自分が疲れる。
しかも、全く距離が縮まった感じが得られない。
一方で、自分のことをきちんと包み隠さず他人
に語れる人(自己開示する人)には心を開いて
素直に接することが出来るものです。
このようなことからも、いつも
自然体で自らの弱さも認め、逃げない人、
そして、適切な人に進んで自己開示出来る人、
人を素直に認められる人、このような人は、
本当の強い心と自信=信念を備え持った人
ではないか、と実感しました。