現代社会生活上の「道徳心」
人の道と言われる「道徳心」
【道徳⇔心身の姿勢&活動】≒徳育
日本人のモラルとも言える
「道理・責任」=「人徳」(=仁徳)
「人の道」と人として生きる為に
必要な心モラル≒道徳心の学び。
社会人と言われる人は、
社会の中枢を担っている
多くの大人の皆は果たして
道徳=人の道を理解認識し、
その説明が適切・適正に出来、
自らが気持ちを持ち、それを行動
で体現し示しているでしょうか❓
と言われてみれば、
そうではない人が多いと思います。
それは、
過度な自己安心安全意識(自己保身)、
モラルの欠如、道徳心の希薄、
自己顕示、思いやり不足、
ハラスメントなどと言った
行動や態度に表れていると共に、
社会現象となっている学歴、
スキル、実績優先や外見の執着
と言った外面≒体面を重んじ、
倫理意識の元となる道徳心(人間力)の
育成に目を背けていると思われる
ことが多々見受けられるからです。
それは、
以下のようなことではないでしょうか。
💟道徳心育成は≒人の道
▶己の心と「向き合う」ことを好まないが、
他人のことはあれこれと言う。
▶自己の都合を優先し、
自ら発した言葉に責任を持たない。
▶自分の快・不快い的「感情」に従う。
(自制心不足・刹那な生き方)
▶苦労することに背を向け、楽に向かう。
▶一人の人として「筋を通す」意識が希薄。
▶人としての常識と言われる
当たり前を判断する境界線=ラインの低下。
▶自らの行動規範は、
節度や礼儀に対する意識が薄い。
▶人に良く思われたい、自分を身の丈以上に
良く見せたいと言う思惑意識が強い。
▶指導的立場の人の誇大な自己表現。
(自己顕示)
▶人間としての活動に見返り優先意識を持つ。
(人との損得感情)
自分中心の個の社会と成った現在、
以上のようなことの無いようにするには、
一人の人間として、子を持つ親として
相対する人や子供達と正面から向き合う
心身の姿勢の取組みが必要である思います。
世界中で活躍しているエンターテナー、
スポーツマン、文化人、賢人達は
このようなことを決して成さず、
高い目標や明確なビジョンを備え、
自分自身と真摯に向き合っています。
と同時に、次のようなことを常々心掛け
日々取組んでいると思われます。
🌈日々の心掛け=心得
🔺組織やチームのために、
自分は今何をすれば良いか?(役割・役目)
🔺人としての道は、
自分にとってどのようなことなのか?
🔺人の文字を認識し、心から
人やものに感謝出来ているか?
🔺人として、
何が正しいことなのか?
=理解と判断・決断
🔺人として、
礼や義に欠けることはないか?
(心身の姿勢とその活動)
🔺人として、
邪な感情に流されていないか?
=感情の自覚・分析・コントロール
🔺人として、
自分の成すべき役割・役目は何か?
=目的・成果予測・先読み
🔺人として、
適切な感性を備えているか?
=感情の分析と理解、目的認識
🔺人として、
組織人として自分に足りないものは何か?
=不足の対象項目の理解と自分の器の認識
🔺現れた結果に満足せず、
上を向いてチャレンジ出来ているか?
=現状分析とチャレンジ内容の自覚・理解
私達、普通の人間は、
この総てが実際に出来ませんが、
自分自身が出来ることはするように
日々心掛けること肝要であると思います。
📖老子「道徳」の教え
老子の道徳経は
【道可道、非常道。名可名、非常名。
無名天地之始、有名萬物之母。
故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。
此兩者同出而異名。同謂之玄。
玄之又玄、衆妙之門。】
の書き出し文から始まります。
【世界より前に存在したものがある。
物質でもなく、心でもないそれを、
道と呼ぶ、という原則が
あるのが分かると説かれている。
詰り物質ではなく、肉体でもなく、
心や考えのような抽象的なことでもない。
二つのどちらでもないものが、
世界より前からあった。】と解する。
(以上の引用・・・学びメモより)
私見ながら、
これは、特定が出来ない
多くの時や場で意識され、
活用される様な概念であり、
私たち日本人の「和の心」
であると考えられます。
📚【道理】辞書検索
出典:デジタル大辞泉
1.物事の正しいすじみち。
また、人として行うべき正しい道。
理(ことわり)。
2.筋が通っていること。
正論であること。
また、そのさま。
📖諺 (出典)故事ことわざ辞典
無理が通れば道理引っ込む
【意味】
道理に反することがまかり
通る世の中なら、道理にかなった
正義は行われなくなるということ。
【解説】
道理にかなわない不正が
平気で通用するようになれば、
道理にかなった正しいこと
が行われなくなるという意味。
また、いくら道理(正しい筋道)を
主張しても聞き入れられない場合は、
引っ込んでいるほうが身の安全だということ。
「無理」とは、
道理に反し、正しい筋道が通っていないこと。
「無理が通れば道理が引っ込む」
「無理が通れば道理そこのけ」
「無理通って、道理通らず」
「道理そこのけ無理が通る」
とも言われています。