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人間力の基礎=心の礎

人と企業人の「礎」

礎-イメージ図

心を支える礎=土台石って何?

」は、一般的に土台石。
物事の基礎となる大切なもの。
また、その人。のことを言います。

それは、思い遣る心に溢れ心豊かな人、
個性的で魅力的な人間力を育む土台石です。

これからの少子高齢化社会の社会生活に
なくてはならない人間力の基礎です。

その「心の礎」は、
日本人としての大和魂、武士道、道徳、
モラル、人として正しい判断、認める、
筋を通す、感謝、受け入れる、素直、
謙虚さ、立場転換、誠実さ、敬意などの
様々な土台石(要素)によって作られます。

では、そのような土台石一つひとつは、
どんな語彙で、どんな活動でしょうか?

その取組みをする際に、心掛けるべきことは、
心の器を空にする謙虚さと知識を得るために
自分の当たり前(常識)を総て捨てることです。

一例をあげれば
「感謝」それはどんな言葉の意味で具体的に、
どういった気持で表わし伝えることなのか?

即ち、
先ず「感謝」がどんな語彙を表すのかを知識
として確りと心に植え付けることから始めます。

この「感謝」は、
一般的に相手に伝えるものと考えがちですが、
その気持ちだけでは感謝の心のは伝わらない
と言うことを確り心に刻み込むことです。

私心のない遜った謙虚な心で
「嬉しい・有り難い・お陰様で」
と深く念じてこそ自然に何気なく
その場その時に触合う相手の心に通じ、
心に響く感謝の伝達が出来るのです。

この感謝には、
「私心無き感謝」と「見返りを望む感謝
の二つがあると考えます。

二つの感謝

「私心無き感謝」のひとつの例は、
忘れられない東日本大震災後に見られた、
被災者が話していた感謝(拝謝・深謝)を
表し伝えるお陰さま有難いですこの言葉です。

未曾有の自然災害を被災された人々が、
心の底から感謝を感じているからこそ
自然にとても重みのあるこの言葉で
表現しているのだろうと感じ取りました。

人は心の底から感謝を表し伝える時は、
「有難いです」
「お陰さまでありがとう御座います」

と自然と口に出るんだなぁと感じました。

と同時に、
この言葉の重さ、大切さを思い知らされました。

生活やおもてなし、接客・接遇サービス
の仕事の場(お客様との会話)で耳にする
ありがとう御座います」の言葉自体に、
果たしてこんな重さがあっただろうか❓
見返りを望み私心無く伝えていただろうか❓
と改めて考えさせられました。

この「見返りを望む感謝」はある意味、
感謝は人を引き寄せる自ら感謝しない人
が一方的に他の方から感謝を受け取れない、
と言ったことも当て嵌まると考えられます。

また、見返りを望む利己的な自分の損得、
個人的な好き嫌いの感情、親交の度合い、
年齢や上下関係、社会的地位などを基準に
感謝の表現の要不要を判断する人がいます。

私心無く、
お世話になった他人に感謝することと、
その人への感情や想い、損得勘定は
全く別なものであると思います。

大人(社会人)になって善し悪しに関わらず
「見返り」と言う言葉の持つ意味を知り、
よく子供の頃に見かけた親達が何らかで
お世話になった方々に忘れずに何か形で
お返しをしていたことを思い出しました。

日本では、
何かをして頂いたり、物品を頂いた時など、
こちらから感謝をしなくてはならない時、
何らかり形でその心を込めたお返しをする
文化=風習(お中元・お歳暮)があります。

凡人は、他人の出来ないお世話をしたり、
何らかの物などを差上げたりした時、
人は無意識の内に感謝と言う見返りを
心のどこかで求めてしまうものです。

折角、他人に親切にしたのに、
何も感謝の言葉や態度を示されなければ、
そのようなことをした側はがっかりします。

時に、感謝の言葉や態度が示されず、
その人の気持ちを決して許せなくて
御縁が途切れてしまうこともあります。

但し、人として当然「」として体現し
なければならない感謝が示されない時は
疎遠になっても仕方ないと思います。

我欲の一つとされる何らかの「見返り」を望み、
求め期待する気持ちを持たないように心掛ける
ことは実際、頭で判っていても出来ないものです。

人は感情を優先し、
自分が先に親切にしたのだ」と思うから、
感謝の見返りを期待してしまうのです。

では、どうすれば、見返りを求めずに
他人に感謝することが出来るのでしょうか。

感謝の心身の活動

他人への感謝、愛情、善意、情け、奉仕
の活動はいつか何らかの形必ず自分に返る
と体験からも受け留めています。

喩え、その相手から直に感謝されなくても
巡り巡って、関係がない他の誰かが返して
くれるものであると体感しました。

行為そのものが返ってくると言うより、
そういう態度や心掛けが巡り巡って
幸せな気持ちを引き寄せ呼び込むのです。

折角他人に親切やお世話をしても相手から
感謝されなければ、やはり損だ無駄になる、
馬鹿馬鹿しいなどと見返りを心のどこかで
考えたり思ったりし尻込みしてしまうのも
感情を持つ人間である故無理はありません。

しかし、自分のした親切の行為行動を
「感謝の見返りを求めて、親切やお世話をする」
のではなく、
過去に受けた親切やお世話に恩返しをする
と考えるようすれば良いではないか、と考えます。

感謝の活動(言行)は、
見返りを望まず求めず、私心の無い真心を
込めて伝えるように心掛けたいものです。

感謝と別な道理や筋を通す、苦難から知ること、
心配や不安を与えないも「心の礎」の一つです。

先心後技の意識で取組む

先心後技

感謝ゃ御礼を表現する際、
「先心」
即ち、先に日本人や人としての
心の知識を知ると共に、「後技」で
語先後礼」の表すための礼の形や言葉、
仕草を身に着けることで互いの心に通い合い、
響く感謝の表現が出来るのだと体験しました。

このプロセスを日本人としての大和魂、
武士道、道徳、感謝、認める、誠実などの
夫々に当て嵌め、学び知りそれを日々の
対人関係の活動の中で積み重ねることで
素晴らしい人間力を育むことが出来ます。

そして、
確りとした自分自身の心の軸を支える
心の礎を心の中築くこと言い換えれば、
個々人に合わせた魅力がある個性的な
人間力を先ず身に着けるために、
心の軸」の土台となる様々な
「心の礎」の要素を学び知り、それ確りと
築き創り上げて行くことではないでしょうか。

人として、企業人としての「心の礎」を築く

以下の図に体験を元に組立ててみました。
随時、自分と真摯に向き合う活動(=内観)
の心身の活動をするようにしましょう。



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