道徳の心『徳』を紐解く
『徳』を紐解く
🙏🏻人徳・徳を積む
「損得」より『尊徳』の勧め
「徳のある人」
「徳を積む」
「人徳」
という言葉は、書や書物などで
見たことがあると思います。
私は今迄に、
「あの人は人徳のあるから、
自然と人が集まってくる」
と言われる人に何度となく
出会い会話したことがあります。
そして、心のその人達から
普通ではとても得られない
盛沢山の『徳』を頂戴しました。
今でもその方達から頂いた様々な
心の教えが生き方に役立つています。
中でも代表的なことは
「普通に見える人も
様々な悩みや苦難を
抱えながら生活している。
辛い時は人を見よ!」
【自分中心に考えるな】
と言うことです。
では、
「人徳のある人」(≒人望・信望)
とはどんな人なのてしょうか❓
人が集まってくると言われる人は、
自然と傍にいたい人、詰り、
人を明るい気持ちにするような、
ポジティブで心を軽く温かく、
芯から元気にしてくれるような、
そういう会話や行動・態度の
取れる人ではないでしょうか。
※以下学びメモより転載
徳は、人間の持つ気質や能力に、
社会性や道徳性が発揮されたものです。
徳は卓越性、有能性で、
それを所持する人が
そのことによって特記さます。
人間に備わって初めて、
徳は善き特質となるものです。
人間にとって徳とは、
均整のとれた精神の在り方
を指しこれは天分、社会的経験
や道徳的訓練により得られ、
善き人間の特質となります。
この徳を備えた人間は、
他の人間からの信頼や尊敬
を獲得しながら人間関係の
構築や組織の運営を円滑に
進めることができるものです。
徳は、
人間性を構成する多様な
精神要素から成り立っており、
気品、意志、温情、理性、忠誠、
勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、
健康、楽天主義などが個々の
徳目と位置付けることが出来ます。
信あれば徳あり。
(引用-学びメモより転載)
【意味】 信じる心があれば、よい恵みがある。
【解説】神や仏を信じる心があれば、
あらゆるものへの疑いの心が晴れて、
清々しい気持ちになる、 ということ。
このことわざの元になっているものは、
次に説明する華厳経の中の
言葉ではないかと思います。
仏教の少し立派な人の話ですが、
華厳経というお経の中では、
菩薩が清らかな心で仏と法を信じ、
発心することをすすめ、
次のような句を説いています。
「信はこれ道の元、功徳の母なり」
=「仏と法を信じることは、
仏道になくてはならない
一番の基本であり良い徳性を生む
母親のようなものである」。
信仰に未知な人が信心を持った時、
菩薩に一歩近づくことになる、
と言うこと。
信ずることによって、疑いの心が
薄れて行くむということでもある。
また、正しくない間違ったものを
信じてしまうと、とんでもない
結果に陥ることになるので、
何が正しいのかを見極める学び
(勉強)も大切なことである。
熟語の意味
(引用-学びメモより転載)
信=信じる心。信心。
信じる=「信ずる」ともいう。
あることを受け入れ本当だと思うこと。疑わないこと。
徳=心の中の道徳性。
人の心に影響を与え、ある方向へ
導かせようとする力。めぐみ。
めぐみ=人々を幸福へ導くもの。
神=自然からのめぐみを得る為に、
お祭りして尊び祈ったりする
目に見えない対象。
仏=悟りを開いた者。釈尊。
あらゆる=すべての。
清々しい(スガスガシイ)
=さわやかで気持ちが晴れ晴れしている。
法=仏法。仏の教え。縁起、
四諦、八正道、四法印など。
菩薩=凡夫が仏法僧に対して
深く清浄の信心を起し
仏の真理を求めようとする
大乗仏教の修行者。
発心=凡夫の菩薩が全ての
衆生の苦しみを救うため仏と
その教えを信じ実践してゆこう
とする心を起すこと。
菩提心を起すこと。
功徳=善い行いをすることに
よって備わる徳としての性格。
仏道=仏が説いた実践的な方法。
八正道、六波羅蜜など。
華厳経=大乗仏教のお経。
毘盧遮那仏とさまざまな
菩薩の境地などを説いた書物。
徳性=徳としての性格。道徳を弁えた
正しい品性。≒道徳心。道義心。
凡夫=仏の立場から見た愚かな人。
苦の原因となる煩悩から離れられない人。
日本に伝わる古からの教えにも
目(意識)を向けてみましょう。