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新成人の義務と責任(社会人の礎)

新社会人(成人)の義務と責任の理解

社会人の礎

1.社会人(成人)の義務と責任とは

社会人になると権利を得、同時に
社会人の義務と責任が生まれます。

社会人に成り立ての頃の義務・責任
の範囲と、年齢、様々な経験を重ね、
社会的な地位が高まって行くと共に
義務と責任は当然ながら変化します。

初めて仕事をする際に
【義務】は、
 会社または店舗との約束・規則と
 ルールを守りキチンと行うこと。
 (例) 勤務ローテーションや時間を守る。
【責任】は、
 与えられた仕事、指示や命令などを
 間違いなく、確実に行うこと。 
 (例) 
 指示を受けた事は間違いなく行い、
 結果の報告をする、と捉える。

簡単なようですが、
中々果たせないのが義務と責任です。
義務、責任、規則、規律(ルール)の
意識は、日々触合う相手や大切な方へ、
人としての「思いやりや感謝」を伝える
人間力の土台石「礎」です。

2.ルール(規律)コンプライアンス

私達が生活し仕事の場をする場は、
人間が行い、総て人に関わる場です。
みんなが守り、楽しく生活をし仕事を
することのための様々なルールです。

人が行う以上、人としての『マナー』、
モラルである『人間としての心』と
【様々なルール・倫理観】が必要です。

一人ひとりが、社会生活で触合う人々や
仲間への思い遣りを心掛けて心身の活動を
するることは大切です。

その為に社会には【ルール】があります。

ルールは皆さんが社会の一員として
《義務と責任を果たす》ためにです。

大切な自分自身の時間を有意義に生かし、
使うためにもルールを遵守しましょう。

ルールには以下のようなものがあります。
【社会人の倫理観≒コンプライアンス】
【社会のルール】
【会食のルール】
【人付き合いのルール】
【仕事のルール】
【チームワークのルール】
【組織のルール】
【権利を得るためのルール」
などの事項が代表的なものです。

ルールを堅苦しく考えないで、
自分の心を磨く砥石と捉えて、
意識しておくと良いでしょう。

ルールは、野球やサッカー、ゴルフに
ルールがもし無かった場合を頭で考え
具体的に想像してみて下さい。
あらゆるスポーツにルールが
あるからこそ、面白く楽しいのです

ルールに類似した言葉として、
「躾」と言われているものがあります。
一般的に「躾」とは社会生活をする上で、
規律正しくすることを指しています。

「あの人はしつけがいい」とか
「家庭のしつけが厳しい」
とか言いますが
「躾」は健全な社会生活をする上
での必須条件と言えるでしょう。

私見ですがこの「躾」は新調した
衣服の「しつけ糸」(形を整える)
の役割と同じと説明しています。

形を整える上で「躾糸」が有ると無し
では仕上がりと美しさが違います。

人としての躾のキチンとされた人は、
社会人として信用され、好感を与えます。

ビジネスマナー、
一般的マナーなどマナーの両足
とも言われていることは「躾」守り、
「常識」を弁えることを指しています。

この両足は人生の舞台に立ち、
夫々の人生の道程を歩く為にも
無くてはならないものなのです。

3.けじめ(公私の区別)

「けじめ」(けぢめ)の原義※辞書検索↓
[1]物と物との相違。区別。差別。
[2]道徳や社会的規範に従って言動に表す区別。
   節度ある態度。言動における節度。
   師弟のけじめ・公私のけじめ
[3]次第に移り変わってゆく物事の、前と後の違い。
   連続する物事などの境目。区切れ。
[4]隔て。しきり。

日常生活上でも、仕事上でも、
不可欠なこの様な理と言われる
「けじめ」について考えてみましょう。

社会で生きていく上は勿論のこと、
日常生活でも、仕事をする上でも
「けじめ」はなくてはなりません。

それは、
人としての【礼・義】を示すこと、
「モラル」「筋を通す」「誠実さ」
「敬意表現」をすることでもあります。

人から愛されたり、尊敬されたり、
親しまれたりするには普段の生活での
信用、信頼され、会社では与えられた
職責をキチンと円滑に行うことと共に、
信頼され期待される人となるためにも必要です。

己の立場を弁えた上で、
人として確りとした精神の指標=在り方
を備えた上で「良い悪い」の判断をし、
「言うべきことは言う」
「言うべき時にはハッキリと言う」
と言うことをキチンと遂行する
心身の活動がと言われるけじめです。

それには、先ず、社会や職場のルールを
キチンと守ることは最低限です。
また「良いことは良い、悪いことは悪い」
「出来ないときは出来ない、出来る時には出来る」
などの「けじめ」に心掛けることです。

そうして行く中で、何が良いのか、
何が悪いのかが、少しずつ理解出来て来ます。

大切な人に接する時の心構えに、
人の道=道理≒「けじめ」が有ります。

この「けじめ」とは“今は、何をする時か?
をよく考えてすることを指しています。

そうして過ごしていく中で、
人として何が良いのか?何が悪いのか?
が少しずつ理解出来ると実体験しました。

日本人は「和」を大切にするあまり、
「けじめ」を忘れてしまう場合もあります。

余程悟った人でない限り、人間は放っておくと
安易で楽な方向や行為に流れてしまいます。

中途半端な考えから「和」を実践しようとすると、
人間関係が乱れ易くなってしまうと思われます。

必要特定の人に対し、大局から見て「けじめ」
をつけることは、長い時間の流れから見ても、
人間が性善であることの表れと言えると受止ます。


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