日本人の義とコンプライアンス
【義】正義を貫くに素直にあれ
日本人らしさの象徴「義」の心、正義。
これは私たち日本人の行動規範です。
昨日の投稿記事、批評批判や誹謗中傷
で我が国の大切な人的資源を失う事例
が相次いでいるのはとても残念です。
孔子が『論語』の中で著した、
「義を見てせざるは、勇なきなり」
(人の道として当然行うべき事と
知りながら、これを実行しないのは
勇気がないということ)
との言葉は余りにも有名です。
批評批判や誹謗中傷で計り知れない苦痛
を味わわざるを得ない方々の心中を想像
すると義の国に住む日本人としてなにも
出来ないことにとても心が痛みます。
この語の意は私利私欲に囚われず、
人として成すべき事を成すことです。
古き中国思想で常に利と対比される
概念です。
欧米風❓の利己主義即ち、
自己中心的な行動を取り他者への意識や
その存在を次と捉える利己的な態度では
なくて、先ず他者を思う利他的な行為を
することを促す意を持つと受止めます。
この意識をシッカリと備え弁えて居れば
他者を誹謗中傷したり批判したりする事
は到底できないと思います。
しかし、人間誰もが持つ情欲がある以上
この悲しい行為は避けて通ることの出来
ないことと受止めなければなりません。
他者を云々する前に自分の心身の活動
に眼を向けることが出来れば、多少は
軽い行動で済むかもしれません。
武士道での中心で克つ最も厳格な徳目
はこの「義の精神」とされています。
これを現代風に解釈するとモラル・躾、
コンプライアンスに該当します。
これは「義の精神」と真逆な心身の活動
事の持つ情欲や自己保全の「利」を中心
に捉えた利己的な取組み姿勢です。
「義」とは、打算や損得の煩悩のない人間
としての正しい道、即ち正義を指すもの
でありこの「義」から派生した言葉に大義
道義・節義・忠義・仁義・信義・恩義
律義、義理・義務・義憤・義侠・義士
義民・義挙などがあります。
武士と言われた古の人は、この「義」を
武士道精神の中心に据え、これを踏み
外した者は卑怯者として社会から糾弾
の対象とされた言われています。
現在の誹謗中傷や批評批判の行為は、
武士の世界では卑怯者に該当します。
またこの「義」には「正しい行い」と同時
に「打算や損得から離れた」との意味が
含まれ人間のエネルギーとされる欲望
を自制・制御しなければ成し得ないの
意があり、今現代人の多くが行動判断
の基準とする合理的精神は突き詰めて
言えば「どちらが得か」と言う相対的な
精神を意味すると考えられます。
それに対し武士道の「義」は、普遍的な
「良心の掟」に基づいた絶対的価値観を
基本とする、言わば不合理の精神が基
であり「義」を行う上では余程の自立心
を養わなければならないとされました。
新渡戸稲造はその著『武士道』で、
武士道の基は「フェア・プレイ」の精神
であり武士らしさの根源は「義を貫く」
と言うことであり、武士は例え戦いに
如何なる手段で勝っても不正な行為を
して勝った者は受容れられなかった。
このこころを今風に捉えると人の在り方
=人の道に照らして正々堂々と正対して
人と触合うことであり、影口や誹謗中傷
批評批判を真正面ですると解せます。
前記の「フェア・プレイ」の戦国時代の
「敵に塩を送る」の諺の元とされている
上杉謙信の有名なエピソードですが、
この話が美談として長年伝えられた
ことは裏を返せば、このような侍が
少なかったのでは?と考えられます。
武士道が「義」を最高の支柱に置いたと
言うことは言い換えればそうした至難
の「義」を追求する事で精神の「美学」を
追求したのではないでしょうか❓
自分自身の生死をかけた戦いに望む際、
全ての武士達が上杉謙信の諺のように
フェアプレイの精神を守り切ったとは
言えないと思われます。
生きるか、死ぬかという場面に於いて、
例え卑怯者と蔑まれようとも勝ちたい
と思うのが人情であり、又いつの時代
であっても人の本能は美学よりも強く、
理想は現実の前に打ち砕かれてしまう
のが世の常です。
だからこそ、
武士道はそのことを十分知りながらも、
その現実を超越する己の理想の指針と
して武士の規律とし厳しく求めました。
このような状況を打破するには、私達
各々の義の意識(=コンプライアンス)の
理解と自覚が必要である、と考えます。
一方で、
人間としての資質を問われる行為や発言
をして、国民や市民からの信頼を失う人、
失業失職する人も年々増え続けています。
当然ながら風当たりが強い世界で生きな
ければなりませんがこのような人の多く
は利己的で我が道を行くと言うタイプの
人が殆どで風当たりとも言える批評批判
誹謗中傷もどこ吹く風と受け止める人で
あると実体験しました。
誰もが日々進歩し続ける情報過多社会で
仕事をし生活していると言う意識を持ち
何事にも取り組まなければなりません。
と同時に現況に見合った和の国日本人
としての倫理的判断力を備え日々触合う
周りの人を思い遣る気持ち、自らを守り
律する自制心が必要であると思われます。
また、東京2020オリンピックでは「調和」
の精神が提唱されたことは皆さんも記憶
に新しいと思います。
これを機に今まで日本社会全体が目を向け
て来なかったジェンダーの取組みである
【男女平等の課題=ジェンダー】について
真剣に向き合う時が来ていると思います。
日本の礼・義・和の精神は
コンプライアンスに大切な心と活動です。
と同時に、誹謗中傷や批評批判に対する
解決策も礼・義・和の精神の活動にある
と受止めています。
この取組み意識は今後の少子高齢化社会
を乗切るための心の礎であると受止めます。
コンプライアンス⇒「義」の心
昨今、日本の社会で起きている、
一般の組織・政治家・行政・スポーツ界で
コンプライアンス意識の認識不足が原因で
様々な問題や事件が以前より増加してます。
このようなことは国の予算に多大な影響を
及ぼす大きな社会問題となって来ています。
これは、
対象と成る国民や組織・団体・会社で働き
活動したりする人々を第一に思い考える
思い遣る心=○○○○○ファーストの意識、
顧客(ファン)目線で思考する意識など、
相手を第一に意識し敬意と「思い遣る心」
(≒もてなす心)の欠如と職責の認識不足、
或いは自己保身や利己的な心を抑制する
コンプライアンスの理解と認識の欠如に
より生じることであると受け留めています。
極端に言えば、
日本人の心である【おもてなしの心】と
風土文化・唯一無二の国民性(武士の義)
の素晴らしさと日本人の誇りの自覚不足
に拠ることではないかと推測します。
コンプライアンスは大きく捉えれば、
日本人の「義の心」でありNippon人力でも
あると捉えても良いと考えます。
■コンプライアンスの概要
※コンプライアンス意識は、
社会的立場・職責により異なります。
人間として正しいコンプライアンスを
備え持つことは他者を引立て成長させ
誹謗中傷などで人を蹴落とす行為行動
の自制心(制御力)となります。
1.コンプライアンスの認識
職業人としての社会的な責任を自覚すると共に、
国の定めた法令、人として必要とされる最低限の
モラルや職場の規定、ルールを遵守し、誠実且つ
公正公明に職務を遂行する能力と取組姿勢を言う。
2.法令・諸規則(規定)の把握と認識
イ)企業・組織(店舗)の社会的責任について
把握し、認識をしている。
ロ)社内生活上で必要とされる法令及び
法定の知識を理解し、認識している
ハ)企業・組織(店舗)で定めた就業規則や諸ルール
及びコンプライアンスの遵守上で問題となり易い
関連法令の知識とその内容を熟知している。
ニ)職業人としての確りとしたプロ意識、社会的責任感、
職業に関する倫理意識を保有している。
ホ)経営理念、ビジョン・社是・モットー・社訓、
倫理憲章、行動様式規範等の内容を熟知している。
ヘ)企業活動全般に関する法的・倫理的問題についての
具体的事例を理解し、それが自社に及ぼす影響を理解している。
3.法令・諸規則(規定)の遵守
イ) 公の利益と企業の利益が相矛盾する際に、
企業倫理感の下、公正且つ適切な判断をしている。
ロ) 公私の区別(≒規律性)の適切な基準を保有し、
それを明確化した言動をしている。
ハ) 日常業務の遂行において法的或は、
倫理的な要素の問題に直面した際は、
上司同僚に積極的に相談したりするなどし、
より良い的確な解決策を模索している。
ニ) 日常の業務に関連する法定、又は倫理的な問題に
ついての具体的ケースについて自らの明確な見解・意見を保有している。
ホ) 社会道徳的に望ましいモラルや意識を有し、
その言動を率先して行い、日常業務上で経営理念、
ビジョン・社是・モットー・社訓、倫理憲章や行動規範を
自ら具現化している。
ヘ) 部下・後輩の倫理的な相談に対してアドバイスや
サポートをすると、共にその解決に向けて
一緒に考えるなどして取組んでいる。
チ) 営業上の不測の事態や事故災害に関しても
冷静沈着な現状分析に基づき、必要とされる
適切な問題解決力を保有し、実行している。
4.コンプライアンスマネジメント
イ)現在に至るまでに発生した問題の事例や
他社の出来事などについて、その要因や誘因となる
背景や構造を分析し、運営陣、主管部門と連携して、
担当部門の倫理規定や行動規範規定などの企画立案を行っている。
ロ)倫理規定や行動規範規定を現場への伝達及び指導の徹底など、
コンプライアンス・マネジメントの運営管理に関する
中心的役割を遂行し、役目を果たしている。
ハ)コンプライアンス・マネジメントの効力をあらゆる
観点から予測分析し、結果の評価をしている。
地球温暖化、少子高齢化社会に入った
現在の日本では、いつどこで起こるかもしれない
未曾有な自然災害や事態に備えるため、
また、年々増え続ける高齢者を支えるため、
国内で起きている様々な悲しい出来事や犯罪を
少なくするためにも、誰でも今から直ぐ出来る
「人と和し人との繋がり」を深めていく意識で
活動・言行するはことが必要だと思います。
近年頻繁に起きている自然災害、並びに
人としてあるまじき自己中で刹那的な
行為や犯罪の多発などの要因・起因・原因
それは、IТや個人主義が広まることと共に
日本の素晴らしさを軽視し、ビジュアル重視に
なっている社会への天から日本人への警鐘、
ではないか、と受け留めております。