秋の彼岸 ➡ 「自分と向き合う期間」
彼岸と現在の日本の社会環境
秋分の日が、彼岸の中日とされる7日間は、
先祖に感謝し、自分と真摯に向き会い、
更に。徳を積みつつ己の悟りに努める、
ことと晩年になり仏教を少しだけ学び知りました。
春分の日の意味は
「自然を讃え、生物を慈しむ」、
秋分の日は
「祖先を敬い、亡くなられた人々を偲ぶ」
という意味があり、昔から先祖崇拝や豊作に感謝して
来た日本らしい文化が影響していると思われます。
即ち、秋分の日が中日の秋の彼岸は、
人として生きる為の内観(自省)の期間です。
それは、他者を思いやる利他の心の大切さを理解し、
そして自らの心の礎を築くために自らを顧み
「命の元の先祖に感謝し、己の徳を積む日」である。
※【自利利他】(自行化他・自益益他)
自らの悟りのために修行、努力精進する
と同時に、他者の利益や奉仕に尽くすこと。
彼岸の実践徳目「六波羅蜜」
彼岸の中日を覗く期間に自分と向き合う内容。
(仏教の教え)
一、布施
財施・無畏施・法施などの布施のこと。
二、持戒
戒律を守ること。モラル・コンプライアンスの遵守。
三、忍辱
耐え忍ぶこと。或は怒りを捨てること(慈悲)。寛容、寛大。
四、精進
努力すること。一所懸命・一生懸命。
五、禅定
特定の対象に心を集中して、 散乱する心を安定させること。
平常心、自制。
六、智慧
物事を有りの侭に観察する「観」を指す。
心眼を以って物事を観察する。
思考に依らない本源的な智慧を発現させること。
自己啓発・機知に富むこと。
彼岸の入りの今日、これからの少子高齢化社会で
自他に役立つ【自分と向き合う】活動に努めましょう。
未曾有の自然災害、それに伴って起きる人的被害 、
個人中心主義を誤解し、人間の持つ独自の感情が
自制出来ずに切れ易くなった人達の増加と供に
自分の快楽のため自制心が欠如して起きる犯罪。
年々増加する自己事情優先の無差別殺人事件、
国内の政治不信、イベント開催や安保などの不信感、
激しい社会環境の変化と各ソフトの進化や情報過多に
よると思われるイジメや様々なハラスメントの増加。
人間としてあるまじき犯罪や人的なうつ病(引籠り)の増加、
と言うことが多発している少子高齢化に入った社会環境、
今後の日本は、一体どうなってしまうのでしょうか?
日本の人的社会環境は、昭和から平成そして令和に移り、
人との触れ合いや社会生活は大きく様変わりしています。
そして、私達の生活環境は、数多くの豊かな物に溢れ、
選択できない程の情報の選択に戸惑ってしまいます。
このような中でも特に変化の著しいのが
接客や接遇、おもてなしを教える側の人達です。
マナーより心よりテクニック・パフォーマンスを
重んじる社会になってしまいマナーの心である
「思い遣る心」を軽視して、即実践に役立つ表面上の
「マナー」❓=形を重んじ指導する姿を多く目にします。
例えば、人は夫々にその人の持つ独自の顔があります。
それを無視し、明らかに作っていると思われる笑顔、
謝罪する目的に不適切でそぐわない表情・姿勢や態度、
その人の個性を無視して、人相に見合わない口角を
極端に上げていると思われる不自然な口元、
男性らしくない女性的な身のこなしや仕草、
原義を忘れカッコの良さのみを意識した手組み、
見た目や自己満足を重んじたこのようなことを
最近数多く体験したり、見聞きしたりします。
(この中の幾つかは過去に自分もして来ました😢)
また、人を指導し、管理する立場でありながらも
人を思いやる心が欠け、自己事情や感情を優先し
レスポンスや返事がないといったことも多く感じます。
このようなことが「当たり前」になってしまうことは
受け止め方によっては「いじめ」に該当することであり、
それが子供達の「いじめ」や大人の「ハラスメント」に
結びついているのではないかとも考えられます。
個々人を優先して物事を思考し行動する現代社会は
外見や人の目、他人の思惑を意識する人が多くなりましたが
一方では、個人が自分自身と向き合うことで心が強くなり、
個々の能力がより高くなり、世界レベルのアスリートや
様々な文化人、世界に進出する企業も年々増加しています。
個を優先しパフォーマンス化する社会となった今、
何事も「仏作って、魂入れず」にならぬよう
【人として、 何をどのようにすべきか】
(=一人の人間(日本人)の在り方と生き方)
に焦点を当てる時期に来ていると思われます。
そのために必要不可欠なのが、自分自身を、
「知り、許し、認め、受容、もてなす」、
と言う【自分と向き合う活動】に努めましょう。
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