和(調和)の表現-モラル・マナー
調和意識とモラル、マナー、礼儀
最近とても驚いていることが有ります。
何事何人に対しても事後対処対応意識、
即ち、何かことが起きてからのその事
の対処・ルール作り=規制、対策ばかり
を優先する社会です。
しかし、その事象が何故❓起きるのか?
その原因や起きる、起因・誘因・動因?
と言う源に眼を向けない社会生活環境を
僅かでも減らせたらと思っていました。
いまの自分に出来ることは一体何だろう
と常々考えていました。
現在の世情を鑑み、
先ず動かなくてはと判断し、人を導く方と
一般人がよく使うブログサイトを見出して
そこで日本人の本質(心の在り方)と向き合い
自他の人間力のUPを図れる人たちに僅かでも
影響や気付きを与えられたらと考えました。
2ヶ月前位からとあるブログサイトに記事の
投稿をしておりました。
貴重な体験から学び動く
現代社会をモロに表し、成程と受止められる
体験を幾つかしました。
①記事内容を読まず「いいね」などの訪問数
伸びました。
②コメント・挨拶のメッセージを入れても
見事に無視・スルー殆どレスは無し。
③現実離れした夢のような文言(言葉にあらず)
で勧誘する(=推測)方が多数見られる。
④明らかに作り話と解せる自分の体験談を
多種多様な餌(手引き・ガイドブックなど)
にし、LINEで招き入れる。
⑤自分の偽り❓の成功体験や偽自分軸の説明
をあたかも当たり前のように書いている。
⑥しかも7~8割位は中年の美意識過剰❓と
思える女性経営者❓(HPは無)
⑦文章の殆どが一人称で自己中書かれている。
(書いていて情けない社会に成った😢💦です)
雑っとこんなことを感じ、
これでは人口減少の日本の将来が危ぶまれる、
一人でも良いからこの様なことを平気でする
人に気付かせすことが出来たらと思いました。
現代社会の細やかなイノベーションのために
このようなことが大手を振ってまかり通る
現代社会は、自己保身、他人の思惑を優先し
見た目の恰好良さと心の伴わない形ばかりの
パフォーマンスが重視されています。
そして、楽しくもない自分と「向き合う」こと
に背中を向け楽な他人との上辺や形で向合う
傾向が強まっていると思われます。
こう書くと現実にそぐわないと言う人も
居られるかも知れませんが私は生されて
いる間にたった一人でも気が付いたら🙏
との思いで書いております。
古から日本人の心の原点と言われている
「和を以って尊しと成す」は人と人の本質
とその調和の意を表わすと思います。
これを実社会ての対人関係で生かすために
モラル・マナー・礼儀の体得は欠かせません。
人の心は活動や態度に表れ、それによって相手が
どんな人物かは、体験からある程度解ります。
では、
私達はどう言うことを意識しどのような態度
言行、心身の活動をすれば良いのでしょうか?
🧡マナー💞モラル💜礼儀(作法)
🧡マナー
思い遣りの形。触合う人への行儀作法。
💞モラル
社会や個人の道徳・倫理観。コンプライアンス。
💜礼儀
敬意、慎み深さを表す行動や作法。
対人関係で敬意表現をするにはマナーやモラル
ではなくその人の心を表す「礼儀」に則ったもの
と今迄の体験で気付きました。
私見ながら
礼儀は(=心遣い・心配り)であると言えます。
この「礼儀」を形や物で表すと「贈り物」となり、
言葉や態度で表すと相手へのリスペクト心=
「敬意」と「承認認知」「謙虚さ」「感謝」です。
また、マナー(思い遣りの所作)は、
ただ単に他人を意識するだけとは限りません。
例えば、
御飯をお箸で食べるのは人が見ているから
ではなく相手や料理人への感謝と敬意です。
モラル(コンプライアンス)は、
自分の意識(道徳倫理心)が大部分を占めます。
他人が見ていても、観られてなくとも正しい
ことは正しいと判断出来ることがモラルです。
言う間でもなく
この「礼儀」は対人関係の敬意表現に大切です。
まとめると、礼儀(=敬意表現)は、
相手に対する心遣い(配慮・敬意表現)なのです。
人の発する言葉は、
意図する気持ちが正確に伝わってこそ、初めて
相手の心を動かしその心を生かす為に発します。
🟧マナーは、
思い遣る心を表す形であり触合う人への行儀作法。
=自他の保護
🟩モラルは、
社会や個人の道徳・倫理観。
=善悪の判断基準
🟪礼儀は、
敬意、慎み深さを表す行動や作法。
=その心の表現伝達活動
例えば、
「私はあなたを尊敬しているからこ
の気持ちを受け取って!」
「こちらは慎みの気持ちでした
ことなのに解って貰えない」
などと言うことで押しつけてはいけません。
いくら自分が英語をペラペラ話しても英語を
知らず理解でない人にとってはただの「音」で
心と心を通わす【言葉=心】と言えません。
同じように
「意味や気持ち」が正確に相手に伝わらないのなら
大切な時間を使い会話をする意味などありません。
「こちらには敬意があるから、言葉はどうでも良い」
では通用しない相手や場面が一般的にあるでしょう。
また、
下手で無理や作為を感じるられる敬意表現なら、
自他にとって全く逆効果と言えるのです。
使うならやはりある程度の知識=知恵(体験)
が備わっていなければなりません。
勿論、聞く相手にも、その知識と心が無ければ、
互いの心の通い合いには成らない、と言うことです。
礼儀を捨て、挨拶もしない人は殆どいないと思います。
(但し、芸人と言われる人は例外、
理由は作り出したキャラクター故)
敬意の表現は、双方がよく相手を理解した
表れとして使うのなら、とても便利であり、
有意義な表現と言えるのです。
他人の批判や悪口は、人としての軸(礎)が
確りと安定しないからと体験から思います。
どんなに優れているスキルや所作・仕草と
パフォーマンス力を備えていても、人間と
しての心の軸(礎)=本当の自分軸が安定を
しない限り礼儀や敬意を表す上辺の形だけ
の所作=パフォーマンスの仕草ではその時
その場限りで相手の心に届きません。
聞く人読む人の目線で話、書くことも💖思い遣り
相手が在る文章や会話上で「自分が」と言う表現
を多用することは避けましょう。
このがは「我」を何となくイメージさせる故に
出来る限り使わないことが肝要です。
出来れば「は」を使うようにしましょう。
文章ただ段落を付ければ良いと捉えず
文の流れを考えず全体の文章を構成する。
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