心のイノベーション
【主観と客観】の認識
主観=柱(縦糸)と客観=梁(横糸)
日々多くの方に私どもの投稿を御覧頂き
とても有難いと受け留めています。
記事を書く者として、細やかながら
感謝の気持ちで訪問された方々の投稿
を出来る限り読ませて頂いております。
若手の皆さんの投稿を読んで感じるのは、
私達が若い頃にとても考えもつかない各々
の記事を書いている皆さんの持つ主観(感性)
=柱(縦糸)が確りと心の感じる素晴らしさです。
私見ですが、
個々人の主観=(縦糸)柱を支えているのは、
客観=(横糸)梁であると受け留めています。
(≒人間力の縦糸と横糸)
詰り、
主観は、一方通行の『信用』であり
一方の客観は、相手が居て生まれる
相互(両方)通行【信頼】と言えます。
当然ながら、相互通行の方が便利です。
それは、人間誰もが備え持つ「表裏一体」
の人間力(≒感性・個性)であると考えます。
言い方を変えるなら
主観は、生き方=取組み姿勢(切り口)で
客観は、それを支える人としての在り方
であるとも思います。
また、捉え方を変え、
他人の飯の味を知る体験をせよ、
失敗は成功の母、七転び八起き、
ライオンは崖から我が子を落とす、
などの古から伝わる様々な先達の教え(諺)は、
心=主観力を見磨く砥石は客観力(人生経験)
であると言こと意味していると思います。
結論は、
各々の持つ素晴らしい主観を磨くために
客観力である多くの実体験を積み重ねる
(=人間力の具体的な心身の活動を知る)
と言うことです。
おもてなしのモノ(≒柱)とコト(≒梁)の語彙で
ある以下の図を参考にして下さい。
👨主観と客観を備え持ち素晴らしい
結果を出している人は?👧
「その人は、実際に出会った魅力溢れる人、
プロの世界で活躍し結果を出している人、
人の上に立ち信望・人望・地位のある人]
🔲 一日一生の心を備え、
その心の活動が出来る
🔲 自らの足りなさを自覚認識し、
不足していることを補うよう努めている
🔲他人の批評批判は己に還るとの
心を備え行わない
🔲私的なフィルターをかけて人物、
事象、物事を観ない
(⇔無私の心&心眼を以って)
🔲人物、事象、物事を平ら(平等)な
目線で見られる
🔲 積極的に学び、知識の収集をし
自ら知恵と成るよう努めいてる
🔲 他人の目や思惑に左右される
言行、心身の活動はしない
🔲 自心に正直で自分自身を
偽り、嘘や言訳をしない
🔲私心や我欲、感情のコントロールが上手
🔲 共感、共有はするが同情は避ける
(≒相手への思い遣り)
🔲 見返り(≒・・・されたい)に関する
意識が無い薄い(≒利他・愛他意識)
🔲自ら発した言葉に責任を持てる
☞自分自身を大切にする
🔲自利・利己的なことは出来る限り話さない
🔲自ら言行、態度(活動)に、
自信・信念が伺える
(無言実行・有言実行)
🔲敢えて目標や課題を実行するために
言葉に出している
(例-プロスポーツマン)
🔲謝意(=感謝・御詫び・礼)を素直に表せる
(☜適時・適切・適正・適所)
🔲傾聴力に秀でている(≒受容・素直)・
🔲適時適切な現況分析力、
状況判断力、決断力を備えている
🔲何故の心を以って人や事象、モノを見られる
🔲自分を心から愛し、自心と正対できる
(≒真摯に向き合える)
🔲自己開示はしても自己顕示は控える
🔲自らの当たり前について
適時適切な自問自答が出来る
🔲 八正道を認識した言行が出来る
(正見/正思惟/正語/正業/
正命/正精進/正念/正定)
🔲周囲の人や物、環境の影響を
受けない心があり、正しい判断出来る
(※2.表象・判断が、個々人の人間や
人間同士の心の感性に依って出来ている)
※2.表象(辞書検索)
=イメージ。
直観的に心に思い浮かべる外的対象像。
知覚的、具象的であり、抽象的な事象
を表す概念や理念とは異なる。心像。
個々の個性は多様ですが、
人としての心や生活上の幸せを
手にするには先ず確りした主観
を備え持つことをお勧めします。
主観は、次のゴールデンサークル
で紐解くことをお勧めします。
この内容をお読みになりながら、
印(24)に☑を入れて数えてみること
も今現在の自らの持つ主観客観の
見直しとなり、自信になると思います。
そして、それは今から未来のための
自己啓発(コミュニケーション力育成)
にも必ず繋がると信じています。
子供~大人の心のイノベーション
「自然と社会環境危機感の自覚」
👨👧大人として知り、修得する
私達の社会環境は、選択に迷うほど
様々な情報が満ち溢れていると共に、
私たちの生活環境は物凄いスピード
で変化しつつあると感じます。
また、
情報の多さ故に正誤善悪の判断選択
にも迷う場合も少なくありません。
いま日本社会は少子高齢化社会に入り、
その中枢は団塊世代から団塊ジュニア
と言われる人達が担い、次の世代交代
になりつつありますます。
そして社会環境は少子高齢化社会に入り
コロナ感染症対策・ウクライナの戦争
2050年問題・地球温暖化と言われる
様々な苦境に直面し、今後の社会環境と
人心のとても重要なターニングポイント
の時期に来ていると思います。
その表れとして、コロナ渦で転職で
飲食店などフードサービスに関わる
若年層のアルバイト・従事者が年毎
に少なくなりつつあり、労働力減少
の結果として閉店する店もあります。
一方企業では、
新卒採用対象者数が減少しており
また、採用する企業側に於いても、
面接のハードルを下げたり、新入
社員研修の要素や新人研修内容の
スタイル変化や時間を短くしたり
すね様々な対応・対処しています。
今の新人研修も以前と異なり即戦力
となる企業人を育み個々人の個性を
伸ばし育てるための内容に様変わり
しつつあり、同時に企業の人財育成も、
この情報過多社会時代に見合った形、
OneオンOneや様々な指導育成手法、
テレワークも取り入れられてます。
私どものH.P.接客マナーは心の礎で
の検索語にも、新しい時代の研修
カリキュラムを模索する語句や、
一社会人として当然身に付けて
置くべきである「挨拶・躾・常識」
と言った語句が大変多くあります。
そこで、
現在のような変化が早く厳しい時代
に順応する為にも、大人として社会
に出る前の知識≒知恵としても予め
備えておき、個々人が修得しておく
ことについて取上げてみました。
🏡家庭と教育の場の「躾と社会生活上の知恵」の提言
1. 身に着けて置きたい項目
(ア) 躾(意識と仕草)➡罪と罰を含んだ新しい躾
(イ) 言葉の使い方(最低限の敬語)
(ウ) 一般的な挨拶と返事
(エ) 行儀作法
(身嗜み、人付き合いや食事などの一般的なマナー)
(オ) 年齢相応の常識と社会のルール
(カ) 時代環境に合わせた新しい既定設定
2. 予め学び知る知識(≒知恵)
(ア)社会の仕組みは?
(イ)人間力とは?
(ウ)モラル・コンプライアンスとは?
(エ)義務と責任、権利とは
(オ)思い遣りに関する知識と表現方法は?
(立場転換・感謝・誠実さなど)
(カ)イノベーション・ソリューションとは?
(キ)マナーとエチケットの知識と言行とは?
では、
子供達がこのことを知り身に着けるには
一体どの様にしたら良いのでしょうか?
その為に成すべきこととして、
既存の教育のシステムをすぐに変えることは
不可能なことであると思いますが、
小学校から高校、大学と言った教育の現場で
子供達を導く先生方や指導者の意識改革によって
身に着けられることは可能であると考えます。
そのヒントは、「釜石の奇跡」と言われた
震災時の子供達の行動にあると考えます。
様々な授業の中で低年齢の子供達には、
前記1.のことを学ばせ、高校や大学では
前記2.のこと知識として織り混ぜた授業にすることは
意外と容易に出来るのではないでしょうか。
また家庭に於いては、豊かな社会環境で育って来た
家庭生活の場で団塊ジュニアと言われる人達や
次世代の人達が、人としての背中を確りと子供達に
手本や見本として見せているか否か?自らを指さし、
振返ってみることにあると思われます。
古より「子は親の背中を見て育つ」「親は子の鏡」
と言われている通り、子供は親を見習い真似します。
もし、上記した1と2の各項目について、
子を育てる親として不充分である、
と思われるならば、直ちに学び、身に着けるために
速やかに行動を起こすことをお勧めします。
参照)大阪府教育委員会P.D.F.教材
以前私共で、
ほんの僅かな内容ですが寄稿した
大阪府教育委員会の中二年生向け
P.D..F.教材足袋の季節👈(クリック)に
思いやりについて書かれています。
【今求められる社会人の意識改革】
自制心の欠如、コントロールの
出来ないする一部の大人から
『子供達を守る活動』の勧め。
コロナ禍の中、政治家や行政機関
の従事者を始め、若者モラル欠如の
言動や日常生活に於ける自制心欠如
に因ると思われる大人のマナー違反、
人として成してはならない様々な
事件・犯罪・凶悪殺人事件の行為が
大きな社会問題となりました。
いま日本は、
高齢化による人口・労働力の減少
ばかりかコロナ感染症での若手の
労働者の死者の増加、自殺や殺人
と言える一人の人間として不本意
な死亡者が日々増えつつあります。
そして、
これからの日本の社会を担い牽引
する大切な子供達や若者若年層の
大人達の一部の人の自制心欠如に
よる多種多様な障害や事件となる
ことが毎日のように見られます。
このような正常な社会活動を妨げる
行為を起こす要因・原因を見つて、
それに見合った社会生活上のルール
や条例などの法令化も不可欠です。
勿論、
子供達には個々の生活環境に見合う
自分自身を守る意識=気持ちを植え
付けるための躾=周りの人に迷惑や
心配をかけないことや一人の心ある
人間として清吾善悪の行為や行動は
何か、それを犯したら制裁や対罰を
受けるということを日々の生活の中
で教えながら育むなどと言うような
時代に合った心の育成が不可欠です。
古より、
「子は、親の背中を見て育つ」
「子は、親を写す鏡」
「子は、親の心を実演する名優である」
と言われると共に、
日本人の特質である真似事から生み出す、
子共は「人マネ」の名人で「親の言うこと」
は聞かなくても「親のやること」は見事に
マネをすると言われるように殆どの子供
は親の姿を見ながらその真似をして育つ
ということも自覚しておくこと肝要です。
戦後の日本は団塊の世代、バブル世代など
と言われその世代夫々に特徴があります。
現在の小中学生の親の殆どは、団塊二世
と言われた人、豊かなバブル時代を体験
している人々が大半を占めています。
その中には日本人の心と言われている
【道徳教育】の上辺だけを学んだ人達
もおります。
このバブル世代から、
個人中心意識、個人プライバシー最優先
の社会生活が目立つようになりました。
それは東日本大震災以前まで様々な報道
がなされていた「核化社会・無縁社会」と
言われていた社会現象に表れています。
いつの時代でも、良し悪しに関わらず
「今の子供はたち」と言う言葉を聞きます。
このような社会環境の中で生活し育って
来た今の子供達の多くは、
🙂自分自身のことを中心に思考する
🙂自己中心的思考で思い遣りがない
🙂言葉や行動が乱暴である
🙂大きな声で確りと話せない
🙂意思決定や意思表示が上手く出来ない
🙂相手による態度の違いがある
🙂{『人は一人では生きて行けない』
と言う意識不足=生かされている教え
🙂自分自身の安全安心の意識が極めて強い
🙂挨拶や躾と言った基本的な生活習慣
が身に付いていない
🙂自転車通行に顕著に表れているように
「モラル意識」の低下と欠如
🙂認められることに対する意識過剰
🙂思い通りにならないと腹を立てる
🙂友達との関わりでガマンができない
🙂挨拶をしてもスルーし返事をしない
🙂外見を必要以上に気にする
🙂自分の非は認めず、周りのせいにする
🙂知足意識の自覚認識不足
🙂克己力の衰弱
このような今風の子供達になっている
要素に私見ながら次のようなことが
あるのではないかと考えられます。
この様なことの原因・起因・要因は
🔽欧米文化普及に伴い、
その悪いところも見習ってしまった
(欧米への憧れ)
🔽物が溢れ知足=足るを知るの意識を
忘れている(当たり前の大切さ)
🔽人と接する機会や場が少ない。
(核化・少子化・一人遊び)
🔽人との関わりを積極的にしない。
(核化・少子化・無縁化)
🔽見習うべきモデルが自己中心的である。
(親が自己中心的)
🔽見習うのに良いモデルが身の回りにいない。
(無関心・孤独・放任)
🔽したいことは何でも出来る。
欲しい物は何でも手に入る。
(自制心の欠如・甘やかし)
🔽子どもの行動を親が決める。
(情報過多・過干渉)
例えば、
幼稚園では上手く挨拶が出来ていたのに
年齢が上がるにつれて出来なくなる。
恥ずかしいのが優先してしまうのかも
知れませんがチョット頭を下げて礼を示す
行為がどうして出来ないのでしょうか?
本当に身に着く迄、
親としても大人の責任として指導する
必要があるのではないでしょうか❓
と同時に、大人や親により大切なことは、
大人がもっと自らの態度や言動を指さし
自分達大人の当たり前(常識的)にしている
心身の活動を真摯に振返り、現行態度が
これで良いのか❓と見直すことを積極的
に行うと共に、今の自らの考え方や常識
(当たり前の意識)を見つめ直す新たな時代
の意識改革に取組む必要があると思います。
十年前2011年年末の「絆」一文字で
表わされたのは、私達がこのような知足
の心足りるを知ることを改めて深く思考
するターニングポイントとして意識する
絶好の機会でありその活動を推進める。
その為に、何をどうすれば良いかを私達
大人ひとり一人が考え自ら意識改革に
取組み、行動に移す時である考えます。
個人主義の正しい理解➡【罪の意識と躾】
20世紀末頃迄は、日本人は他国から
人の目人種と言われ来ました。
子供達は親や肉親から人様に対する「恥」
の意識を柱に躾けられ
「そんなことをすると人
(誰々さん)に笑われますよ」
「我が家の恥になるようなことは止めなさい」
「みっともないから、やめなさい
(してはいけません)」
と言ったように、他人の目や周りの人の
思惑を意識した恥の躾で育てられました。
この意識からか、
現代社会はエゴサーチ?「ネット≒SNS」の
書込みをいつも気にする人も増えました。
この恥に対し、欧米の子供の躾は
キリスト教の教え「善悪」を前提にし
「それは悪いことだからしてはいけません」
「人に迷惑をかけると罰せられます」
「それは、良いことだからしなさい」
と言う風に躾られて育つと聞き及んでいます。
要約すると
20世紀末頃迄の日本は「恥の躾」、
欧米は「罪の躾」であると言えます。
21世紀に入ってからの我が国の
社会環境では、自らが進んで他者を
認知せず≒認めずに(認知)個人の考え
意志、利益・保身、安心安全を優先し
他者に認めて欲しい、認められたいと
言う利己的な意識を柱にし言行する人、
即ち、「己保全≒保身意識」が日本の子供
たちの躾になっているように思えます。
従って、
子育ては個を主に捉え、自己主張顕示の
パフォーマンスや自分さえ、自分だけが
良ければ、楽しければと言う考え方、
意識≒信念が無く上辺だけ褒められる
ばかりて周りからぬくぬくと育てられ
結果として些細なことでも打たれ弱く
自分の感情をコントロールパネルせず、
自制心欠如の【キレ易い体質】になり、
自己中の当たり前を信じるばかりに、
モラルやマナーの意識や取組みを低下
させて人を思い遣る心の欠ける結果と
なるということに気付のかないのでは
と受止めています。
社会の中枢を担う人達を指導教育する
立場の人に古より日本人が大切にして
来た人の心の礎とも言える「義や礼」、
社会人としてのモラルに乏しい人達が
多くなってるように受け止められます。
コロナ禍を体験した今こそ、
私達は。改めて日本人として原点=和の心
を見詰め「躾やモラル」の大切さを再認識
する必要があるのではないかと思います。
そして、
それは様々な社会環境に適合し日本人
ならではの新しい罪の意識も自覚する
「日本人独自の躾」を即急に作る必要が
あるのではないかと思います。
この躾は、コロナ禍の今だけに限らず、
社会生活上で求められる様々なモラル・
マナー・コンプライアンスの礎であり、
我欲を自制コントールする足枷にもなります。
人としての躾や社会人のモラルの修得は、
「学習化」⇒「習熟化」⇒「習慣化」⇒
「習性化」のプロセスで、ひとり一人が
身に付けること意識し、その中から日々
自分が出来ることから選び継続すること
であると受け留めています。