至誠の心と活動=『誠実さ』
『誠実さ』=至誠の心と活動を知り理解する
一昨日12月8日は第二次世界大戦が
勃発した日ですが、年々ウェブでの
記事も少なくなりつつあります。
(個人的には日本人として忘れたくありません)
今の社会にも当て嵌まる第二次世界大戦時【海軍兵学校の訓】
誠実=至誠は正直であることと、
その気持ちを自分はこう考えると
表し伝えることですが、
受け止める側の心を軽視し、
思慮のない言葉や態度は
自らの心に正直なだけで、
相手への思い遣りに欠け、
誠実とは言い兼ねます。
その一例として、
震災後の記者会見での、
先年惜しくも他界された
前の石原都知事の発言、
「天罰と我欲」が社会で様々な
物議を醸しだし話題になりました。
一方、
行政機関の記者会見の場などで、
被災者や国民被災地に対し、
保身や思い遣る心の感じ取れない
不誠実と思われる発言も見受けます。
今回発覚した、名古屋刑務所での
暴行事件や行政機関での人として悲しい
様々な報道が毎日のように見受けられます
この様な態度は、
公僕としてあるまじき誠実な姿勢態度や
心を表し伝えるものではないと思われます。
角度を変えてみると、この誠実さ
は愚直と言う見方も出来ます。
誠実=至誠とは
己がどの様にしたら良いかを、
真面目に考えそれをやり遂げること。
仕事や人との触合いで相手に何か
指摘する際に相手の心や意識に
生まれ様々な可能性を考えた上で
発言することが誠実な言動です。
即ち、人として捉える【応対】です。
最近TVコマーシャルを流している会社が
【応対】である日本文化おもてなしと
合わせ電話対応と流している現実は❓
と私見ながら感じています。
人を大切に捉える日本文化、応対意識は
天皇家の御心、先ず人を思う、
思い遣る心が原点であると受止めます。
誠実さは日々の出会いや触れ合う人や
職場の仲間に対して、真面目で正直な
裏表がない人柄、生き方を意味します。
この裏表のない心はおもてなしにも繋がります。
それは、正に嘘偽りのないことです。
誠実とは、
心と心を繋ぐ大切な要素の一つです。
大切なのは、
先ず自分の心に嘘偽りなく
正当化する言い訳をしないことです。
誠実さは自らを省み、指差することで、
己の心に芽生え、育つものです。
別な表現をすると「利他の心」の原点
思い遣りではないかと解します。
そして誠実さによって得られる
精神的な豊かさ、行動の指針となる
正しい心の基準は人としての様々な
人間性を培って行くことになります。
信頼や絆の原点人として誠実と言う、
その人への深い信頼が伴わなければ、
いつの日か心が離れていってしまいます。
※至誠は、二宮尊徳の教えにもあります。
我が道は至誠と実行のみ。
故に才智、弁舌を尊ばず。
至誠と実行を尊ぶなり。
凡そ世の中は智あるも学あるも、
至誠と実行とにあらざれば事は
ならぬもとの知るべし。