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インガ [scene004_13]

東京に来て最初の任務、青山フカク小隊長の救出作戦。歌舞伎町のホテル前でハナヤシキ先輩と握手を交わし、財善の庇護を受け入れたヤマト少年。

アドワークス本社潜入作戦、その直前に俺たちのサポートを快く引き受けたヤマト少年。

その裏でアドワークス警務部長の吉川と通じ、あまつさえ身内になったはずのタカハシを殺めたヤマト少年。

駆けつけた廃工場で、敵陣の側で立ち尽くすヤマト少年。

懐深くに入り込んで最悪の裏切りを見せた彼が、「手助けをしたい」と申し出た。

その言葉に、俺が感じたのは———怒りだ。

「貴様…今度は奴らを裏切るのか」

仲間の命が掛かった状況でなければ、俺はあの少年に掴みかかって存分に叩きのめしていただろう。
子供に対してあれほどの怒りを感じたのは、後にも先にもそれきりだ。

「吉川から何を吹き込まれたのか知らんが、貴様の振る舞いは身勝手そのものだ。
これ以上風見鶏を気取るなら、その首ここで叩き斬る」

殺意を右手のナイフに込めて、ヤマト少年を睨みつける。そのときの俺は、あの子が何と答えようが次の瞬間に彼の喉笛を掻っ切るつもりだった。

しかし、明確な敵意と凶器を向けられているにも拘らず、ヤマト少年は冷静さを失わなかった。
いや、少し違う…その顔はまるで、ここで俺に殺されることを受け入れているような。

移送車のモニターに映ったときから感じていた違和感。その少年は、未だにそれを纏い続けている。

毒気を抜かれた、というわけではないが、俺の怒りは別の感情に追いやられてしまった。

「一体何なんだ、君は」

「…風見鶏、ですか。風向きに抗うこともできず、くるくると回り続ける———」

「なに?」

「ヒバカリさん、まずは僕が貴方を手伝わなければならない理由を話します。
簡単なことです…吉川は、僕らをコカトリスに感染させていたんですよ」

———コカトリス。
都民暴動のきっかけとなった世界恐慌、それを引き起こした世界中に蔓延する致死性の新型ウイルス。

今では特効薬とワクチンにより完全収束したが、当時はまだ治療法が確立されて間もなく、民間レベルでは依然猛威を奮っていた。

俺たちのような企業警務部員は、定期的なワクチン接種により予防を徹底できていたが、荒れ果てた東京に於いては脅威そのものだったろう。

特に、まともな医療物資の確保がままならない彼らのような少年グループにとって、コカトリスは戦場に飛び交う銃弾と等しかったに違いない。

しかし、

「感染させた、だと?」

感染していた、なら分かる。しかしヤマト少年は、「させていた」と表現した。

「ええ。…言いましたよね、僕が一時期アドワークスに身を寄せていたって。
実は、そのころのツテで仲間の食事を融通してもらっていたんです…その人は、かつての父さんの同僚でした。
定期的に、とはいかなかったけれど、社員用に仕入れられた食料品をたまに横流ししてくれた。
…皆にも内緒でした。言えるわけない、敵として定めた奴等の施しを、なんて。
それが、吉川に知られたんです。奴は食事にウイルスを混入させて、僕らを感染者にした。青山さんを襲った数日前のこと、です」

「…じゃあ、君との通信で奴が言った『接種の準備』とは、まさか」

ヤマト少年が唇を噛み締めて頷いた。
つまり、吉川はコカトリスの抗体を餌に、この少年を操り人形にしていたというわけだ。

毒を飲ませた相手を、解毒剤をちらつかせて手駒とする。
馬鹿馬鹿しいほどにシンプルで、吐き気がするほどに下衆なやり口だ。

「君がそれを知ったのは?」

「青山さんの隊を襲撃した前日です。あの男は、財善コーポレーションを手中に収める計画とともに、僕に自社の部隊を襲わせる策を伝えてきた。…拒否、できなかった」

「だったら、なぜ俺たちに相談しなかった?コカトリスのワクチンなら、財善も保有している」

ヤマト少年が首を振り、

「それじゃ、ダメなんです。吉川が僕らに仕込んだコカトリスは、アドワークスの研究によって独自に進化した型だった…奴はそう言いました」

なるほど。
だから、この少年は吉川の言いなりになる他なかったのか。
独自の型をもつウイルスなら、俺たちの薬で治療できる保証はない。開発元のアドワークスが持つ抗体、それが彼の選択肢を奪う吉川のジョーカーだったんだ。

タカハシを…仲間を殺めた罪を赦せはしない。この少年の行いは、やはり間違いの上塗りでしかない。
とはいえ、その心中を察すると、何とも割り切れない感情が湧いてきた。

「…でも、これだけは信じてください。僕は、皆さんの命をこれ以上奪わせるつもりはなかった。
吉川も約束したんです。あなた達に手は出さない、取り引きをするだけだ、と。でも———」

「アドワークス警務部隊の連中は、つもりじゃなかった。そういうことだな。…ふん、肝心の吉川すらあのザマだ」

俺は廃工場の床に倒れる吉川に視線を向けた。
味方の銃弾を浴びて、ピクリとも動かない。

奴には似合いの最期だと思ったが、ヤマト少年にとっては困った事態だろう。
なんせ、彼の取り引きはまだ終わっていなかったのだから。

「それで、俺の手助けをしたい…か」

「はい、その通りです。吉川がああなったということは、アドワークスは僕らのことも始末するつもりでしょう。
たとえこの場で殺されなかったとしても、ワクチンは…」

心底悔しいといった顔つきになるヤマト少年を見て、俺はどうするべきかを考えた。

支離滅裂にも思えた彼の行動は、あくまで自分と仲間の命を優先してのもの。
なんて事はない、この子の脳もまたこの子を生かすために思考していただけなのだ。

死にたくない。生きていたい。

その行動原理は、薄っぺらな贖罪より信じられるものがあった。

「分かった。…少年、君に対する怒りが消えたわけじゃない。落とし前はつけてもらう。
だがそのためにも、今は君を使わせてもらおう」

俺はナイフをしまい、そう言った。
ヤマト少年は頭を下げて、

「ありがとうございます」

「早速だが、俺の仲間を移送車に移動させてほしい。
今のアドワークスは隊長やワタナベ達に集中している…一応は味方についている君なら、少なくとも俺が奴らの目を盗むより簡単にできるだろう」

「わかりました」

正直なところ、我ながら無茶なことを言ったつもりだった。
しかしヤマト少年はあっけなく首を縦に振り、さっそく梯子に手をかけた。

「気をつけろ、怪しまれる様子があれば無理をするな」

「大丈夫です」

そう言って降りていく彼を見送り、俺はアサルトライフルにスコープを取り付けて構えた。
いざとなれば、鉄骨の上から奴らに鉛玉を見舞うためだ。

胡座を掻くような姿勢から片膝を立て、直下の敵員をレンズ越しに見下ろす。

先輩達は、巧く時間を稼いでくれているらしい。
ヤマト少年と対話した時間は4分にも満たなかったが、あの状況では命取りになりかねないロスだ。だから、敵味方どちらも引き金を絞っていないことに、少しだけほっとした。

視点を移送車付近に移すと、地面に降りたヤマト少年が人質の見張り役をしている敵員に話しかけているのが見えた。
もちろん会話は聞こえないが、ややあって彼は俺の指示通りに動き始めた。

銃器の類は取り上げられているとはいえ、屈強な警務部員。手足を縛られた彼らを移動させるのは、子供の手には簡単な仕事じゃない。

7分ほどして、ヤマト少年によって3名の移送隊員が車に運び込まれた。
そのまま車を降りることなく、ドアを閉める少年。よし、手筈通りだ。

「全隊、聞こえるか。人質の安全は確保した」

『…ヒバカリか』

ハナヤシキ先輩の声だ。

「隊長、待たせて済まない」

俺はポーチからガスグレネードを取り出し、安全ピンを外して

「さあ、反撃だ」

と、直下のアドワークス陣営に放り込んだ。

勢いよく噴出されるガス。混乱に乗じて反撃に打って出ようとした瞬間、

「撃て!」

と、ハナヤシキ先輩とアドワークスの隊員が同時に叫んだ。

不意打ちでこちらの銃弾のみが見舞われるかと思いきや、双方の一斉射撃が始まる。撃ち合いだ。

なぜ奴らは取り乱さない?そう思った俺の足元から、鉄骨が鉛玉を弾く音がした。
俺も狙われている。

「くそっ」

地上に向けてフルオートで小銃をぶっ放しながら、後退を始める。
とにかく、仲間と合流しないと。

と、エンジン音が鳴り響いてアドワークス隊員の悲鳴があがった。

運転手はヤマト少年———いや、彼が解放したうちの隊員か、とにかく移送車が急発進して敵員を轢いたらしい。

「行け!」

思わず俺は叫んでいた。
とにかく、人質にされていた連中にはここから逃げてもらった方が良い。

「逃すな!」

敵員が叫び、煙幕から飛び出して出入り口に向かう移送車に追撃が始まる。
防弾仕様の車体は銃弾をものともしないが、それに気づいた敵員がグレネードを放った。

爆風に足元を掬われた移送車がバランスを崩し、派手な音を立ててスリップする。横転こそしなかったが、廃工場の内壁に突っ込んで身動きが取れなくなってしまった。

『グレネード!』

通信に切り替えた先輩の指示が、デバイスを通して飛んでくる。それと同時に、ワタナベが小銃をグレネードランチャーに持ち替えて敵陣を砲撃した。

数名の敵員が吹っ飛んだが、まだ20人以上が残っている。

ようやく壁際に着いた俺は、滑るように梯子を降りて味方の加勢に入った。

『ヒバカリ、移送隊の援護に回れ』

先輩の指示を受けて壁に突っ込んだ移送車を見やると、拘束を解かれた隊員3名が車体の影からアドワークスに応戦している。

俺は敵陣に向けて乱射しながら駆け出した。

それに気づいた敵員がこちらに銃口を向けるも、その一瞬の隙を突いた誰かの銃弾に頭蓋を砕かれて倒れる。
しかし数の有利を覆すのは困難で、こちらも何名かは致命的に被弾していた。
デバイスのスピーカーから、撃ち倒された仲間の断末魔が聞こえてくる。
しかし耳を塞ぐわけにもいかず、そもそもそんな余裕も無い俺は、とにかく移送隊のもとに駆けつけて援護射撃を繰り出した。

「被害状況は!?」

「1名負傷、子供達は無事だ!しかし車がパンクし———」

俺の問いの答える隊員の言葉が、背後からの銃弾に遮られた。
振り返りざまに小銃を乱射すると、2人の敵員が工場内に放置されている機材に身を隠すのが見えた。

角度的にこちらには遮蔽物がない。奴の射線を遮ろうと車体に回り込めば、今度は別角度からの攻撃を受けてしまう。

ここは距離を詰めるべきだと即断し、小銃を構えて突撃した。
単身で突っ込んでくるとは予想していなかったのか、奴らは目の前に飛び出てきた俺に狼狽えていて、容易にそれぞれの顔面を撃ち抜くことが出来た。

倒した2人の顔には、暗視スコープ付きのガスマスクが装着されている。なるほど、だから奴らは俺のガスグレネードに取り乱すことなく攻撃体勢を取れたのか。

おそらく、本社で俺たちがガスグレネードを使用したことを踏まえて、同じ轍を踏まないよう備えていたのだろう。
通りで、奴らは薄暗い廃工場の中で俺たちの位置を正確に捉えているわけだ。

———いや、待てよ。
その備えというやつを、逆手に取ってやればどうだ?

そう考え、俺は仲間に一斉通信を行った。

「奴ら暗視スコープを着けている。隊長、アレを使いましょう」

『なるほど、良い案だ』

真っ先に反応したのは、ワタナベだった。

次の瞬間、敵陣の中心で強烈な光が炸裂した。
ワタナベが放った閃光弾だ。

途端、アドワークスの連中が頭を押さえて身悶えする。
少ない光量を増幅させて視界を明るくする装置を通して、肉眼で直視できないほどの閃光を食らったんだ。急激な光量の変化に、視神経が悲鳴をあげたに違いない。

「畳み掛けろ!!」

この耳ではっきりと聞き取れるほどの大声でハナヤシキ先輩が叫んだが、言われるまでもない。

混乱するアドワークス警務部急襲部隊は、俺たちの銃弾によって文字通りに蹂躙される。

20は残っていた敵員が、あっという間に10に、5に。
俺たちの一斉射撃が、瞬く間に敵陣営を削り取っていく。

今この好機を逃すわけにはいかない。

その一心で、俺は小銃の引き金を絞る指を緩めることなく、予備弾倉が空になるまで撃ち続けた。

視界を奪われて身動きがとれなくなった、ほとんど無抵抗の敵員。そいつらを一方的に撃ち殺すというのは、気持ちが良い行いではない。
とはいえ、その呵責は後回しだ。あの場で生き残るには、汚かろうがタイミングを逃すわけにはいかなかった。

撃って、撃って、撃ちまくる。
殺して、殺して、殺しまくる。

———気づくと、廃工場は静寂に包まれていた。

俺の前には、数名の敵員が死体となって転がっていた。

仲間の方を見やると、大量の薬莢が散らばる中、ハナヤシキ先輩が死体の山を前に右手を上げていた。あの人の前には、恐らくは意図的に残したであろう敵員がひとり。

「ぐぅ…畜生共め……」

死屍累々。折り重なるように倒れた屍のなかで、両腕と腹に風穴を開けられた生き残りが、息絶え絶えに言った。

「…諸君、銃を下ろせ」

コンバットハイにより殺気を抑えられなくなっていた俺たちに、ハナヤシキ先輩が静かに命じた。

不思議なもので、あの人がそう言うと、加熱されて脳天に上った血液が一気に引いていく。
冷静になって周囲を見渡すと、どうやら俺たちは壊滅を免れたようだった。

アドワークスも財善も、互いに多くの血を流している。戦いは終わったが、そこに凡そ勝者と呼べる者はいない。

そんな状況で、ただひとり敗北者と云うに相応しい男がいた。
アドワークス警務部長、吉川だ。

廃工場の真ん中で横たわる吉川を見ると、奴は驚いたことにまだ息をしていた。無論、虫の息ではあったがな。

「…貴様は人間じゃない」

ボロ雑巾の風態になった奴に近づき、俺は静かに言った。

「ヤマト少年から聞いた。子供に引き金を引けるエリートは居ない、だと?貴様はあの子らに毒針を打った」

「…」

「それだけじゃない、貴様は身内を…青山殿を捨て駒にした。なぜだ、なぜそんな真似ができた」

「…」


「何より…よくも、よくもタカハシを…!仲間を殺してくれたな」

語気が強まる俺に、奴が口許を引き攣らせた。

「……あ…あなた方も………殺した…私……以上に、殺した…」

そして、奴は息をしなくなった。

死んだんだ。

俺はなぜか、複雑な感情を抱いていた。
今考えても、奴は死ななければならない非道を犯したと思うし、たとえ生きていても最終的に誰かが殺しただろう。
そう思う一方で、死なせずに済む方法は無かったのかと、考えを巡らせる自分がいたんだ。

俺は見開かれた奴の瞼に手をやり、そっと閉じさせた。

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