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インガ [scene004_22]

田嶋の聴取は、また別の担当者に引き継がれることになった。つまり、田嶋は全てを話すことに同意して、罪を償うことを受け入れたんだ。

「お疲れさまです、染井博士。見事なものですな」

「…私はただ対話をしただけですよ」

モニター室を出た俺たちは、聴取を終えた染井氏と合流して執務室に向かった。
田嶋のような被疑者を含む部外者が出入りする区画は、セキュリティの観点から業務スペースと物理的に隔離されていて、俺たちは自分の仕事場へと戻るために数分歩く必要があった。

その道中、俺はハナヤシキ先輩を引き留め、

「先輩…俺の退職願いなんだが」

先輩が足を止めて、こちらを振り返る。

「取り下げるよ。IMGとやらがどんなツールなのか、それを大衆が受け入れるのかは判らん。が、それを勧善装置として機能させられるなら、確かに俺の理想も実現できそうだ」

俺の目をじっと見つめて、黙り込む先輩。少しの間があって、

「…ヒバカリ、期限を設けたのは貴様の方だ。だのに、この場で決断してしまって、後悔することは無いか?」

「なんだ、辞めさせたいのか」

「そうじゃない。ただ、私は貴様にとって最善だと思える判断をしてほしいだけだ。無論、私としては今すぐにでもあの辞令を確定させたい。貴様を引き留める理由はあっても、退職を促す理由は無い」

気づくと、先を歩いていた染井氏とハルも足を止めてこちらの様子を見ていた。

俺はハナヤシキ先輩と彼らの顔を順に眺めて、

「ああ、後悔は無い」

と、退職届を破り捨てた。

そして、新しい仕事が始まる。
正式な辞令が下るのは翌月とのことだったが、俺たちは———そう、ハルもその場で辞令を受け入れた———その日から引き継ぎを開始して、翌週には染井氏のラボに席を移した。

ヨシノくん、ここまで長々と語ったが、こうして俺たちは君の親父さんと働き始めたんだ。



「さて———改めて、自己紹介をさせて頂きましょう」

ホワイトボードを背に、染井氏が一礼した。

そこはIMGプロジェクトのために新設されたラボで、場所は地下だった。最初の驚きは、それが本社から離れた位置にある“だろう”ことだった。

曖昧な言い方になったのには、ワケがある。

まず、財善本社の地下に降りた俺たちは、薄暗いトンネルに出た———会社の真下に道があるだけでも驚きだった。そこには小型バンが用意されていて、それに乗り込んで数分移動した先にラボがあったんだ。

セキュリティの都合なのか、それとも他に理由があったのか…何にせよ、車に揺られていた俺たちには、ラボの正確な位置は把握できなかった。一本道ではあったが、ぐねぐねと曲がっているようだったからな。

とにかく、文字通りに周りくどく案内された職場で、俺たちはキックオフミーティングを始めた。

「私は染井義昭、2年前まで技術開発室で室長を務めておりました」

「ということは、松田さんの前任を?」

これはハルの台詞だ。松田というのは、さっきミーティングでハルを紹介した上司のこと。
つまり、俺たちが財前に入る以前は、染井氏は春と同じ部署で最高責任者を務めていたわけだな。

「ええ、彼は当時のチーフですね。松田さんが優秀だったので、私はスムーズに今の仕事へとシフトできました。今の仕事とはつまり、IMGの研究です」

「染井氏は社長の勅命により単独でのテクノロジー開発を進めて、先日———我々が東京に行く少し前のことだが———経営会議で注力プロジェクトとして人的リソースと十分な予算が割り当てられることになったのだよ」

なるほど、つまり割り当てられた人的リソースというのが、俺やハル、それにハナヤシキ先輩ということか。

しかし、技術者であるハルはともかくとして、俺や先輩の役割が見えない。俺たち警務部も頭脳労働が無いわけではないが、やはりホワイトカラーというよりブルーカラー…いや、グリーンカラーだ。

「それについては、後ほど詳しく説明させてください。まずは———」

と、染井氏がポケットから取り出したモブを撫ぜると同時に、背後のホワイトボードに「IMGproject」の文字が浮かんだ。どうやら、表面にナノレイヤーが被せてあって、事前に用意してあっただろう資料を映し出しているらしい。

「我々の目標について、目線を合わせておきましょう」

染井氏の言葉に合わせて、ホワイトボードの表面に映し出された文字が豊田市の風景に切り替わる。

「午前に申し上げた通り、我々が実現したいのは“平和な社会”です」

ナノレイヤーが描くジオラマに、真っ赤なアイコンがひとつ表示される。それを染井氏が指差すとウィンドウが開かれて、そこに市民同士の喧嘩が映し出された。
どうやら、監視カメラの映像らしい。

「この街———財善による企業自治が進む豊田市でも、こういった諍いは後を絶たない。彼らを暴力に駆り立てるのは、自他を比較したときに浮き彫りとなる格差だ」

格差を埋めることは、本質的には不可能。限りある資源の総量に対して、それを分け合う人々の数は増減し過ぎる。

「格差を無くせないなら、自他の概念を無くせばいい———皆さんには、すでにご説明しましたね」

「ああ、実現性についてはともかくとして、その理想にベットしてみたい…そう思ったから、俺はここに居る」

染井氏を急かせるつもりで、俺は言った。どうにも、ああいう前口上というのがもどかしくてな…ハナヤシキ先輩には睨まれたが。

「そうですね…理解を示していただけて有り難い。だからこそ、私はあなたに現実もお伝えしなければならない———いや、思い出していただくと言った方が適切でしょう」

現実。理想に至っていない、課題の山がそこかしこに積まれているこの世界。

「さて皆さん、これが現実です」

染井氏がそう言って一拍し、地下室に乾いた音が響く。と、ホワイトボードのジオラマに赤いピンが増殖した。
それはつまり、リアルタイムで発生しているトラブルの数だ。

明滅する警告色のピンマークはところどころで出現と消滅を繰り返し、規模の大小はともかくとして、この豊田も混沌の一部であることがわかる。

「このピンマークは財善の防犯システムをもとに表示しているので、言うまでもなく豊田しかモニタリングできていません。しかし、手始めに…という表現は些か不謹慎にも感じますが、ここから私達の新世界を体現していきたいと思います」

「つまり、このピンマークを恒久的に消滅させられたら、あなたの理論を証明できるってわけですね」

「いえ、証明に一歩近づく、ですね。世界規模に波及させるエビデンスとしては弱いですが、本土を平和に近づけるためのサンプルとしては十分だと考えています」

と、ジオラマが縮小されてミニチュアの日本列島が表示された。航空写真よりはグラフィカルな、ポリゴンとリアルの中間に位置するような描画。

タツノオトシゴの様な造形をしている列島の、腹のあたりが小さく明滅している。
そこは、この豊田がある位置だ。

「まずは財善の膝下で、IMGを根幹としたインフラシステムを構築。並行して勧善装置としての機能をテスト。次いで愛知エリア全域に同様のシステムを投入し、その後は隣接する各地域へと手を拡げていく計画です」

「えらくシンプルに聞こえますけど、そう上手くいくのですか?」

食ってかかる様な物言いになったのは我ながら大人気ないと思うが、それは自分の決断———退職の話を白紙にして、新規プロジェクトへの参画という意思決定を上書きしたこと———に正当性を持たせたかったからだ。

隣のハナヤシキ先輩が「いい加減にしろ」と言わんとする視線を送ってきたが、俺にとって重要な話題だったのでね、気づかないふりをした。しかし、返ってきた答えは———

「もちろん———いかないでしょうね」

「…なに?」

「当然でしょう。勧善装置という概念はもとより、そもそもがIMG自体がこれまでに無い新規のプロダクト。民衆にそれを浸透させ、そして思惑通りに運用するハードルは高い」

言われてみれば当然のことだが、俺は呆けてしまった。それまでに聞いた話から、てっきり染井氏の青写真は解像度高く描かれていて、あとはそれを実現させていくだけなのだろうと思っていたからな。

「…染井さん、ならばあんたは、どうやって絵空事を実現させるつもりなんだ」

俺の問いに、染井氏が微笑む。

「本題に入りましょうか」

ホワイトボードに、Road To IDEAという文字列が表示された。



「本プロジェクトの最終到達点は、人々から他人という概念を消失させて、善に溢れた世界を実現させること」

抑揚の無い声音で、読み上げるように染井氏が宣言する。

「そのためには、人々が互いの感情を知り、且つ慮ることが出来る環境を構築しなくてはなりません」

と、ホワイトボードに表示された“Road To IDEA”の文字が上方へスライドし、そこから直線が真下に伸びて“超共感社会の構築”という言葉が浮かび上がる。

「超共感社会———それを構築したとき、真なる平和実現に王手を掛けたと言って良いでしょう」

染井氏の言葉が続くのに合わせて、直線が更に下方へと伸び、そして2つに分岐した。枝先のひとつに、“勧善装置”と表示される。

「繰り返しとなりますが、IMGを普及・浸透させることで勧善装置を生み出します。
かのイエスキリストは言いました…隣人を愛せよ。人の感情を可視化するIMGは、その補助輪となる」

「話の腰を折って申し訳ないが———」

俺は手を挙げて染井氏の話を遮り、ちらりと浮かんだ疑問を投げかけてみることにした。

「感情だけでなく、思考も可視化することはできないのか?喜怒哀楽に加えて、その背景にある考えを知ることができれば、より精度の高い勧善装置となるのでは?」

母親の心を殺された恨みで凶行に及んだ田嶋を思い出す。奴に刺された医師は、果たしてどんな意図を以て告知を行ったのだろうか。
凡そ、悪意や身勝手さだけが理由だったとは思えない。というのも、取調べ後にアクセスしてみた被害者情報データには、医師としての評判が上々だったことが記されていたからだ。

彼が告知に至ったロジックが解っていたら、田嶋は少なくとも事件を起こすことはなかった…かもしれない。

感情とは、アウトプットだ。その背景にあるロジック…つまり思考を共有できてこそ、真に理解し合う社会が実現できるのでは?

「ふむ…確かに、そう考えるのは当然ですね。私も、それが出来るなら理想だと思います。しかし———残念ながら、思考を可視化することはできません」

「できない?難しいではなく、不可能だと?」

染井氏が頷く。

「ええ…人間の思考を他人が言語化することは出来ません。というのも、我々はそもそも言語で思考しているわけじゃない」

「…少なくとも俺は、日本語で思考しているつもりですが」

「いえ、実のところそれは思い違いなのですよ。人間は言語で思考しているわけではなく、思考を言語というアウトラインに当てはめているにすぎません」

言語というアウトライン。聞きなれない表現だったが、その言葉選びは染井氏らしい気がした。

「紐解くと、言語という体裁をとらない様々な電気信号が脳内に発生し、それらが刹那の時間で言語にコンバートされているだけなのです」

「…」

「ピンと来ませんか?では、言語というツールを有さない人はどのように思考していると言うのです。
オオカミに育てられたサニチャー少年は、人間に保護されてから多少の社会性を身につけたようですが、最期まで人語を話さなかったという。
果たして、彼の思考は言語化されていたでしょうか?───私は、そうは思わない。
あなたは日本語で思考していると考えていても、実のところそれは、思考という無形でまとまりのないデータを、あなた自身が解読・翻訳しているだけなのです。まるで、通信士が暗号化されたモールス信号を日本語に起こすように」

なるほど、と思った。俺は俺自身の思考を認識するために、言語というツール…というよりは“型”を使っているだけだったのだ。
言われてみれば確かに、思考の中には言語化できない───「言い表しようのない」としか言いようのないものがいくつもある。それこそ、東京で味わった思いの数々が、それそのものだった。

「そして、その暗号解読表は、個々人がそれまでの経験をもとに作った独自のものになっています。
だから、他人の脳内に発生した思考というデータを検出できたところで、それを誰にでも判る言語に変換することは不可能と言って良いでしょう。
とはいえ、脳内に発生する電気信号をマクロな視点で分析すれば、ある程度のパターンを見つけることはできる。大脳皮質に現れる電気信号のマクロなパターン、それが───感情というものです」

海の波を思い浮かべる。ひと掬いした水に含まれるプランクトンや不純物の在り様、そこにパターンは存在しない。同じ場所で取り出した海水も、タイミングによって内容物の細部は異なってくる。
しかし、浜辺から見渡す波は凡その形が似通っていて、聞こえてくる波の音もロケーションや時間帯によって同じものとなる。

「人類の脳みそは、遺伝子という名の設計図をもとに構築されています。
そして、その内容は種全体でほとんど共通している。
設計図が同じである以上、脳が出力する反応が似通ってくるのも当然。
思考というミクロな視点では解析できなくとも、感情というマクロな視点ならそれができる。IMGとはつまり、それを行う分析ツールなのです」

思考は共有できなくとも、感情を見ることならできる。
言うまでもなく、それだけでも人同士のコミュニケーションにおいては画期的なことだ。

「———しかし、それだけでは足りません」

と、染井氏が言うと同時に、“勧善装置”のとなりにもうひとつの言葉が浮かんだ。

“懲悪機関”と。

「…俺たちのことか?」

染井氏が頷き、

「お察しの通り」

俺はハナヤシキ先輩をチラリと見てから、ため息を吐いた。

正直、予想の範疇ではあった。ここまでに見聞きしたのは、所謂キレイゴトだ。

しかし、荒れ果てた土壌を整備するには、それだけじゃあ済まない。そんなこと、言われるまでもない。

しかし、

「俺が言えた義理でもないが、それはあなたの思想に反するんじゃないか」

キレイゴトを成すためにヨゴレ仕事を担う。たとえ一時的な処置と割り切っても、実際には暴力が暴力を呼ぶ連鎖を断ち切れず、いつまでもヨゴレが落ちない———容易に想像がつく展開だ。

「本心を語らせていただくと、望むところではありません。本質的な解決とも考えられない」

「それでも、必要な手段だと?」

染井氏が頷く。

「最短ルートを進まなければ、勧善装置の実現は夢で終わります。そのためには、足元の暴力事件発生率を低下させる施策も、同時に走らせなくてはなりません」

暴力事件発生率———司法国家として機能していた当時の日本においては、犯罪発生率と呼ばれていた指標。

人口100人に対する犯罪者数を示した数値で、かつての豊田におけるそれは約2%だった。では俺が財善に居た当時の発生率はというと、およそ6%。
つまり、100人のうち6名が事件を起こしていたわけだ…そう聞くと、異常さがわかるだろう?
ちなみに、都民暴動直前の東京は15%を超えていた。

「勧善装置が機能すれば、自浄作用が働いて事件発生率は自然に低下していきます。しかしそのためには、市民が身の安全を確保できていなくてはなりません」

「というと?」

「勧善装置という概念の本質は、人間が持つ防衛本能の対象を拡大することにあります」

「防衛本能の…対象?」

染井氏がホワイトボードに手をやり、表示されている図を摘んで放るような仕草を取る。まるで本当に物体として存在しているかのように、それに合わせて画面の端にスライドするフローチャート。
そうして出来たスペースに、マジックペンで棒人間を6つ描き記す染井氏。
うち2つの間に矢印を加えて、

「個人間で争いが生じるとき、彼らは自らの防衛本能に従って暴力行為に及んでいます」

今度は3つずつ円で囲まれ、矢印で結ばれたそれらは集団同士の争いを表す。

「抗争や暴動においては、その防衛本能は同質化された集団にまで範囲が広がっている。
このとき、その集団内においては衝突が限りなく減少します…つまり、集団内における個々人は“他人ではなくなる”ということ」

最後に、染井氏はホワイトボード上の棒人間すべてを大きな円で囲った。そしてペンを逆手に持って俺に差し出し、

「さてヒバカリさん、ここに矢印を書き込むとしたら?」

「…」

ホワイトボードに近づき、受け取ったペンで“円の外周から、外側に向けて”矢印を引く。

そして染井氏に目をやると、彼は満足気に頷いて

「そう…本来なら、防衛本能のベクトルは集団の外側に対象を求める。しかし実際には———」

と、円の内側に居る棒人間たちを、無数の矢印で結んだ。

「…どういうことだ?」

「わからんか、ヒバカリ」

ハナヤシキ先輩が近づいてきて、イレーザーを手に取ると、棒人間たちを囲っていた円を消してしまった。

染井氏が深く頷き、

「残念ながら、その通り」

「何が言いたい?」

「ヒバカリさん、人間は愚かにも…“人格を有する何者か”を相手にしなければ、防衛本能による団結を成し得ないのですよ」

俺はもう一度、縁が消えて棒人間たちが孤立したホワイトボードをながめた。

…そういうことか。

「ならば…あなたの理論は、破綻しているのでは?」

つまり、だ。

全ての人間が互いに寄り添い、ひとつの集団として統合されたらば、その周囲に脅威は無い。

防衛本能とは、脅威から身を守ろうとする無意識レベルの思考パターンだ。
では、脅威とは何か?
言うまでもなく、自らの生存を脅かす者だ。

染井氏が提唱した勧善装置。
他人という存在を消失させて、内なる善を呼び起こすシステム。

それは明確な脅威を消失させ、外側には誰もいなくなったコミュニティを形成することを意味する。

しかしそうなれば、内側にいる個々人は“より生存確率が高い状態”を目指し始めて———そう、隣よりの芝よりも青く繁る庭を求めるように———隣人は再び他人に成り下がり、やがては脅威と見做すようになって争いが再発するだろう。

勧善装置は刹那の寿命しか持ち得ない、ということになる。

他人という存在を消失させるという理論は、すでに破綻しているのだ。

「だからこそ、懲悪機関が必要なのですよ」

「…?」

「いいですか。勧善装置が機能した社会の姿は———」

染井氏の親指が、全てのベクトルを拭い消す。

「こうです。衝突そのものが発生しない状態、それこそが平和」

「…わからない。防衛本能は、文字通り本能でしょう。遺伝子に刻み込まれたそれを、人為的な仕組みでどうこうできるのか」

またも染井氏は満足気に頷いて、

「その通り。防衛本能は無くせない…ベクトルは、必ず矛先を見つけ出す。
防衛本能の根幹は生存本能。かのマズローが区分した5段階の欲求、その頂点に立った人間ですら、さらに上を目指して———つまり、より安全かつ幸福に生存する状態を求めて、それを阻害するものを脅威と見做します」

「…ならば、やはり破綻していないか?」

染井氏が被りを振って、ホワイトボードに大きく人間の輪郭を描き、

「こうすれば、解決です」

と、内側に向けて矢印を引いた。

「防衛本能の矛先を…自分自身に?」

「そうです。自らの生存を脅かすのは、他ならぬ自分自身である…そういう認識を形成することで、勧善装置は機能し始める」

「確かに、図解すればそうなるだろう。しかし染井さん、それはあくまでも理論だ。具体的には、どうやって?」

染井氏はこちらを振り返り、

「ですから———懲悪機関、です」

「ヒバカリ、貴様にも経験はあるはずだ」

と、言葉を引き継ぐようにハナヤシキ先輩が口を開いた。

「スーパーでもコンビニでも良い。会計に並んでいるとき、誰かに割り込まれたとする。ムッとする振る舞いだ。
そこで文句をつけたお前を其奴が小突いたとして、怒りのまま拳を振るったりはしないだろう?」

言われたシチュエーションを脳内で再現する。
確かに、そこで手を出すようなことは無さそうだ。

「ふむ、それは何故だ?」

「…馬鹿馬鹿しいから、だ」

「それだけか?」

俺はため息を吐いて、誘導されるがまま答えることにした。

「騒ぎを起こせば、より面倒なことになるからだ。理解したよ、染井さん」

“自らの生存を脅かすのは、他ならぬ自分自身である”という認識。つまりは、感情に身を任せた短絡的行動を起こそうとする自分自身に対して、防衛本能を発動させれば良いというわけだ。

そうか。
懲悪機関の必要性も、ここまで来れば流石の俺にだって理解できる。

“悪いことをしたら、自分の身を滅ぼす”という認識を手っ取り早く大衆に根付かせるには、まさしくそれを実践するのが最適。

つまり、草の根運動というわけだ。

「草の根、そうですね。スタート段階では、どうしてもそうならざるを得ません」

「ならば、この問いにも答えがあるのでしょうね。そのローラー作戦を実施するために、如何ともし難い人手不足という問題は、どうやって解消するつもりで?」

財善が統治権を有する———この時点では、その予定になっている———豊田市という地域に限定されているとはいえ、流石に俺とハナヤシキ先輩の2人だけではカバーしきれない。

当時の事件発生率は6%。
人口およそ40万人の豊田市においては、軽犯罪も含めると1日あたり800権前後のトラブルが発生していたのだからな。

俺たちがコミックスのヒーロー並みに強靭かつ俊敏な肉体と超自然的能力を持っていたとして、とても捌き切れる規模じゃない。

「もちろん———」

染井氏が、さも当然といった表情でそう言い、モブを高く掲げて画面をタップした。

…ラボの奥、思えば不自然なくらいに整理された区画———棚もデスクも置かれていない———の壁面にひと筋の切れ目が入り、“ひらけゴマ”と命じられたが如く左右に割れた。

そして、規律正しい隊列が足踏みするようなリズムで、無数の金属音が鳴り響き始める。

何が起こるのかと身構えた俺の前に現れたのは、

「…ロボット?」

金属で構成された、人型の機械群。
マネキンのようにのっぺりとした面が張り付いた頭部、それを乗せた嫌に手足が細いボディ。

もう、判るだろう?

そう———IMGアバター、インガだ。

俺は、俺たちはこのとき初めて、インガという存在と対面したんだ。

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