インガ [scene004_18]

言い忘れていたが、アドワークスは倒産しなかった。
不祥事と云うには血と泥の臭いがし過ぎる事件を起こしたあの会社は、その事実の隠蔽と生き残ることに成功した。

それはアドワークス自身より、財善の意志によるところが大きい。

つまり、財善は自らを陥れた敵を告発しなかったんだ。表向きには———俺たち当事者に向けて、という意味だが———弱みを握ったまま奴らを飼い慣らすことで、東京への影響力を得る方が旨味があるという理屈をつけて。
しかし裏側…つまり本心としては、ただでさえ暴動で荒れ果てた東京にこれ以上の混乱を起こすべきではないという意図があった。

表裏が反対じゃないかって?
確かに、ある意味で汚い大人の事情を全面に出して、慈善的な意図を裏側に隠すというのは、あべこべに聞こえるだろう。

しかし経営層からすれば、損得勘定で説明をつけなければ俺たちの溜飲を下げられないと思ったんだろう。

…いや、単に「表向きは冷たい判断をしているけれど、本当は優しさ故のことなのだよ」という見せ方をした方が、俺たちの愛社精神みたいなものを醸成できると踏んでいただけかもしれん。

いずれにせよ、俺たちは事実上アドワークスを赦し、公に糾弾して事を荒立てようとはしなかった。代わりとして、アドワークスは財善に対するあらゆるリソースの無償提供を約束させられ、その一環でナノマシンテクノロジーの共有が行われていたんだ。

俺が長期休暇をもらっている間に、ハルは共有されたデータの解析にあたっていて、どうやら財善でも同様のシステムを扱えるように最適化まで済ませていたらしい。

最適化というのは、つまり…

そもそもナノマシンというのは、使用者の血中に流し込むことで生体情報を管理したり、脳に働きかけて特定のホルモン分泌量を調整したりする、極小のマシン———機械というよりはウイルスに近いらしいが———だ。

例えば戦場で使用者が被弾した場合、ナノマシンは即座に患部を特定したうえで生命活動への影響度を測定し、傷を塞ぐための血小板や痛みを和らげるためのオキシトシン、向精神作用のあるエンドルフィンなんかの分泌を促す。
それだけに留まらず、モブやPCデバイスに被害状況をレポートして、適宜応援要請を出すこともできる。
要するに、宿主を生かすためにあらゆる生体的・機械的な対処を取るわけだ。

その機能を発揮するために、ナノマシンは常に母体となる管理制御システムと接続されていなくてはならない。オンラインでなければ、ナノマシンは仕事をしてくれない。圏外のモブが、ただの四角い箱に成り下がるのと同じに。

つまり、この極小の働き者を適切に運用するためには、システムを宿したサーバーが欠かせないんだ。

そのサーバーやシステムの構成内容は、企業毎に多種多様を極める。
何が言いたいかというと、アドワークスのシステム下で管理されているナノマシンは、そのまま財善で使うことができない、ということ。

というわけで、財善の社員がナノマシンテクノロジーの恩恵を受けるためには、自社サーバー内に専用システムを構築したうえで、それと接続できるように様々な調整をする必要があった。
その作業をひっくるめて、“最適化”と云ったわけさ。

———ああ、お察しの通り、これもハルの受け売りだ。

物知り顔で言ってみたものの、正直俺にテクノロジーの詳細や背景は解らん。知ったかぶりをしたのさ。

だが、それが俺たち使用者にとってどんな意味があるのかというのは、イメージも理解もできる。

東京では、有事に備えて様々なシリンジを携行していた。爆風で転げまわったときの傷みを無視するために使ったものや、廃工場で敵員のひとりに差し出したのも、そのひとつだ。

あれも便利で重宝したが、物としてはかさばるし、状況に応じてどのシリンジを使うかを自分自身で判断しなくてはいけないのも難点だった。俺は爆発で吹っ飛ばされたときにアドレナリンを選ぶことができたが、意識を失ったタカハシに為す術は無かった。
つまり、意思決定能力を失った状況では役に立たない代物だったんだ。

その点ナノマシンなら、肉体の状況に応じた適切な処置を全自動で行ってくれる。常に血管を流れているわけだから、シリンジのように装備の負担にもならない。

それだけじゃない。
薬品を入れたシリンジは、あくまでも緊急時に使用する救急用品だった。一方でナノマシンは、血中で常に生体状況をモニタリングしてくれているから、平時においても機能する。

傷を負っているわけでなくとも、窮地になれば人間の精神は簡単に乱れてしまい、それは仕事の成功率はもちろん生存率までも低下させる。
そんな状況においてナノマシンは、精神安定を目的として適切なホルモンを適切な量だけ分泌させてくれる。
怪我の手当てをするだけでなく、怪我の予防や回避、あまつさえ目的達成のサポートまでこなしてしまうわけだ。

警務部という危険な現場仕事を請け負う身━━━いや、辞めるつもりだったんだがな━━━としては、それは素晴らしい新装備が開発されたものだと思った。
正直なところ、染井氏にIMGを見せられたときよりテンションが上がったな。
所詮、人間なんてそんなものだ。自分に近い話にしか興味を持てない。

さて、そんな話をいつ何処で聞いたかというと、この日のミーティングの場だ。

空の紙コップをゴミ箱に放り、早足でオフィスに戻っていくハルを見送ったあと、俺はモブでその日のスケジュールをチェックし、自分も同じミーティングに参加する予定になっていることに気づいた。

ハルを追うように、俺も駆け足で会議室に赴く。場所は、さっきまで染井氏と面談していた大会議室だ。

開始時刻ギリギリ間に合って入室すると、研究開発部の面々と警務部の同僚たちが着席していた。当然ハナヤシキ先輩の姿もあり、その隣には染井氏も座っていた。

俺は染井氏に軽く会釈して、空いていた適当な椅子に腰を下ろす。

「皆さん、お疲れさまです。本日の議題は、株式会社アドワークスの技術提供を受けて当社でも開発を進めていたナノマシンテクノロジーについて、共有および導入スケジュールのすり合わせとなります」

壁に掛けられたスクリーンを背に、研究開発部の部長が前口上を述べる。
彼が手元のモブを操作すると、スクリーンに会議資料のスライドが投影された。

「アジェンダとしましては、ナノマシン導入の目的共有、機能および警務への影響についての説明、運用体制と導入スケジュールの共有、最後に質疑応答の時間を取って終了となります」

研究開発部長がモブをタップするのに合わせて、スクリーンのスライドが切り替わる。タイトルから議題の概要、目次、そして大きくハルの顔が映し出された。

フルネームに所属部署、来歴といった簡潔なプロフィールと併せて、おそらくは入社時に撮影したのであろう初々しいスーツ姿のバストアップ写真。
突然友人が投影されたことに驚いた俺は、斜向かいに座っていた本人とスクリーンを見比べて、思わず吹き出しそうになった。どちらもガチガチに緊張した表情をしていて、違いといったら本体の方は羞恥心で頬を染めているくらいのもの。

察しはつくだろうが、こいつは注目を集めることが得意なタイプじゃない。無口なタイプではないが、社交的というわけでもない。
だから、これはハルとしてはかなり居たたまれない状況のはずで、心中を察した俺は申し訳ないが笑いを堪えるために腿をつねり上げなくてはならなかった。

「本件については、研究開発部きってのエース、新川晴彦君が高い技術力を発揮してくれました。
解析と最適化、そして運用ルールの整備にあたっても尽力してくれた彼が、今この場で誰よりナノマシンに詳しい存在と言えます。
そのため、ナノマシンの概要および機能説明については、彼に登壇いただきます」

なるほど、このミーティングの肝ともいえる部分をハルが任せられているのか。だから、こんな大仰な紹介を冒頭にぶち込まれてしまったのだな。

本人としては、しれっと説明に入って、誰の印象にも強く残らないようにしたかったろうに。
とはいえ、ああいった場においては登壇者の権威付けというのも必要なことだ。染井氏の言う知人・他人の違いじゃないが、人間というのは見知らぬ誰かの話は真剣に聞くことが難しかったりするものだからな。

「さて、まずは本プロジェクトの目的についてご説明いたします。簡潔に申し上げますと、ナノマシン導入の目的は『警務作戦遂行時の諸リスク軽減および管理強化』となります。ナノマシンを導入することで、警務部職員の皆さまのバイタルデータをリアルタイムにモニタリングできる環境を整え、現場におけるあらゆるトラブルの回避、負傷時の迅速なケア、PTSDの防止等を期待します」

研究開発部長が、スライドを次のページに切り替えて━━━このとき、ハルが少しだけホッとした顔になったのを見逃さなかった━━━から、アジェンダの最初の項目である目的共有を行った。

要するに、警務職を安全にするためにナノマシンを導入します、という話だ。
東京で“あらゆるトラブル”を経験してきた俺としては、その内容は非常にありがたいことに感じた。実際、俺は何度も心が折れかけていたし、タカハシを始めとした殉職者のことを思うと、システマティックなリスクヘッジ体制を強化してくれるというのはとても助かる。

ただ一方で…仕方がないことなのだが、ああいう話はどうにも胡散臭く感じてしまう。内容というより、話し方の問題なんだが。

新しいシステムを導入すれば素晴らしい変化が起きるのですよと宣いながら、しっかりと“そうならなかったとき”を想定した言い回しを忘れない。まるで危険は全て無くなるかのような話をしておきながら、末尾は「期待します」などと濁した表現で結んでいる。

ビジネスマンとしては当然だが、それはつまり責任逃れだ。このサプリメントを飲めば、体重があっという間に10kg落ちます。ただし効果には個人差があり、必ずしもダイエットの成功を保証するものではありません━━━なんてな。誇大表現をしていないだけマシだが、せめて自信を以て言い切ってほしい部分はあった。

その点、ハルは違ったな。
目的説明を終えた部長からバトンを渡されたこいつは、さっきつらつらと説明したような話を淡々と述べた。
確実なところは断言し、不確定な部分は可能性の話に留める。

終始表情は引きつっていて、お世辞にもスムーズとは言えない話し方ではあったが、肝心の中身は整然としていて解りやすかったよ。

だから、俺には自然と疑問が残ることになった。

「ヒバカリさん、どうぞ」

手を挙げた俺を、ハルが堅苦しく名指しする(まあ、ああいう場でタメ口を利いたりはしないものだ)。

「1度取り込んだナノマシンを、体外に取り出すことはできるのですか?」

俺が気にしていたのは、言ってしまえばプライバシーの問題だ。
リアルタイムな管理のためにと導入されるシステムだが、裏を返すと使用者は四六時中監視される羽目になる。できれば、任務外においてはモニタリングを停止してほしいところだ。
何より、この時点で俺は退職という選択肢を捨てていない。辞める人間からすると、体内の監視役を排出できるかどうかというのは大きな問題だった。

「結論から言うと、それは出来ません。血中に取り込んだ後、ナノマシンだけを取り出すというのは物理的に不可能です。たとえ血液をすべて入れ替えたとしても、血管の内壁に付着したナノマシンはいくらか取り残されてしまうでしょう。
しかし、取り出すことはできなくても、システムによる監視を解くことはできます。というより、ナノマシンにも寿命があって、そもそもこのシステムを継続利用するには定期的な注入が欠かせません。個人差はあるものの、およそ4ヶ月程度でナノマシンは沈黙します」

なるほど、ということはナノマシンを取り込んでから4ヶ月以内に同じ注射を受けなければ、いずれシステムからの干渉を受けなくてよくなるのか。

俺は少し安心できたので、「ありがとうございます」と言って椅子に座り直し、ハルは眼鏡に手をやって恥ずかしそうに「他には?」と言った。

すると、今度は染井氏が手を挙げて

「ナノマシンの注入は、どのように?」

一瞬、ハルの動きが止まった。答えに窮したわけではなく、この日初めて顔を合わせた━━━それも目上の人間の言葉に、緊張したんだろう…そうだろ?一拍置いて、ハルは

「シリンジによる注射のみ、です。経口摂取も検討しましたが、腸からでは100%吸収することができないため、コストの都合で断念しました。ナノマシン生成にはそれなりにコストがかかるので、可能な限り取りこぼすことなく接種できた方が良いと考えまして」

ハルの答えに、染井氏は「なるほど」と呟き、それから口を開くことはなかった。

それからは誰も手を挙げることなく、ミーティングは恙なく終了した。時刻は、13時ちょうど…昼時だ。

参加者が退室していく中、昼飯に誘おうとハルを待っていると、残っていた染井氏が相変わらずの無表情で立ち上がった。
そしてハルに近づき、

「お疲れ様です」

「え…ああ、お疲れ様です」

「興味深い話でした。よければ、システムの解析データをご送付いただいても?」

「も、もちろん」

と、ハルがその場でPCを開き、カタカタとキーボードを弾く。

「…いま、メールで送りました」

「ありがとうございます。……ふむ、やはり面白い」

モブを開き、おそらくは共有されたデータに目を通す染井氏。
何やらぶつぶつと呟きながら資料を読み込む彼を前に、緊張が解けないハルはおどおどとその様子を伺っている。
助け舟を出そうと俺が咳払いすると、染井氏は顔を上げてモブをポケットに仕舞い、

「…ああ、すみません。面白い物を見ると、どうしても我を忘れてしまう。ぜひ詳しい話を聞きたいので、今日どこかで時間を頂いても?」

「はい。16時頃なら、大丈夫です」

「ありがとうございます」

一礼して会議室を出ていく染井氏を見送り、ようやく解放されたハルが大きくため息を吐いた。

「まったく、慣れないよ…こういうの」

「だろうな。しかし、サマになっていたぜ?意外と向いてるんじゃないのか」

「冗談。2度とゴメン…とは言わないまでも、できれば今後は部長にやってもらいたいね」

俺は笑って「飯行こうぜ」と言い、頷いたハルの片づけを手伝って会議室を出た。

「胃に優しいものが食べたいな」

「そんなもの、この辺にあったか?」

「社員食堂にスープがあったけど…君、あそこ好きじゃなかったよね」

メディカルセンターでちらっと言ったが、財前の社員食堂はブタの飯だ。せっかく久しぶりに出社したというのに、いくら無料とはいえ旨くない飯を選びたくはない。

「悪いが、別の選択肢を考えよう」

「うーん、そうだな。じゃあ、少し歩くけど駅前の定食屋にしよう。あそこなら、素うどんがある」

ハルの提案を採用した俺たちは、財布を持ってビルを出た。
10月の街はひんやりと肌寒く、太陽が夏の次は秋であることを忘れてしまったのか、ほとんど冬みたいな気候だった。
いや、冬になればもっと冷え込むだけの話で、喉元を過ぎたら暑さも寒さも忘れてしまうものだから、例年この時期は同じことを思っているんだがな。

「そういえば、子供達の様子はどうだ?」

ふと思い出し、俺はハルに問いかけた。
子供達とはもちろん、東京で保護したあのレジスタンス達のことだ。

彼らは約束通りネオ豊田に移住してきて、さっそく財善で働き始めている。
学校教育を施す話も進んでいるが、労働力を提供する代わりに衣食住を保証するという契約だったからな。何より、子供達自身が仕事を欲していた。

———自分達の価値を証明し続けることが、大人じゃない僕たちが生きていく最低条件。

彼らは口を揃えてそう言った。それは、あのヤマト少年の言葉だった。

分を弁えた、それでいて子供らしからぬ考えだ。しかしヤマト少年らしくはある。
…いや、らしさが判るほど、彼のことを理解でいていたかどうか。
何せ、彼は大事なことを胸に秘めたまま、その身を文字通り散らしてしまったのだから。

廃工場から爆弾を持ち去った彼は、およそ1.5キロほど離れた場所で死亡した。

俺たちはすぐさま現場に駆けつけたが、半径50メートル以内は瓦礫と車の残骸ばかりで、人間の姿は見当たらなかった。
しかし、おそらくはヤマト少年と思われる———いや、やめておこう。

とにかく、彼は殉死した。

殉死、つまり財善警務部職員として命を落とした。

誰の慰めにもならないが、財善は「その時点でヤマト少年は社員であった」と認めて、その在籍は警務部となったんだ。

それと…ついでに話すことではないが、タカハシもやはり死亡が確認された。
それが確定したのは、実のところつい2週間ほど前の話だ。

本来ならあの日のうちにタカハシの生死を確認したかったが、またぞろ追撃を受ける可能性を否定できず、何より子供達を少しでも早く離脱させる必要があったから、後回しにせざるを得なかった。

ネオ豊田に帰ってからも、多くの殉職者を出した財善は再度の遠征を許可してくれず…。

結局、ヤマト少年が殺めたと言ったタカハシと移送隊員の安否は、アドワークスとの話し合い———賠償やら何やらのな———に決着が付いてから、やっと調査されることになったんだ。

調査には、ハナヤシキ先輩と専門部隊が当たった。俺とワタナベに同行は許されなかった。
先輩が「貴様らの仕事は休養だ」と言って、許可を出さなかったんだ。
思うところはあったが、それに従うことにした俺たちは自宅でハナヤシキ先輩の報告を待った。もしかしたら、なんて希望は…どうだろう、少しはあっただろうか。

どう思っていたとしても、事実は変わらない。
先輩からの報告は、「両名とも、遺体を確認。これより、回収して帰投する」だった。

結局、俺たちには何も成すことはできなくて、ただ殺して殺されただけ。という事実を突きつけられて、俺は初仕事の失敗を再認識した。

戦場というのは何もかもがクソったれで、個人に得るものなど何も無い。
組織として何を得たとしても、現場で銃を握った人間が勝利を実感することは出来ない。争い合う者は、皆何かしら傷を抱えることになる。
争いに介入するというのは、どのように敗けるかを選ぶことでしかない。
少なくとも、俺はそう思う。

だが、そう考えない者達も居た。

子供達だ。彼等は失ったものと得たものを天秤にかけようとしていた。
つまり、ヤマト少年の死を無駄にしまいと、幸せになろうと決意していた。

それが分かったのは、葬儀の場でだ。
タカハシ達の遺体が豊田に帰ってきて数日後、市内のセレモニーホールで殉職者達を送る企業葬が執り行われた。

当然、俺やハル、そして先輩にワタナベも参列していたのだが、その場に子供達の姿もあった。
規模が大きかったから、式場は部署ごとに区分けされていて、彼等と直接話すことは出来なかった。しかしヤマト少年の関係者を代表して弔辞を述べた子が、さっきの言葉を読み上げていて、その様子は社交辞令的に宣っているようには見えなかったんだ。

皆、涙を流して嗚咽を堪えていた。堪え切れていない子も、当然居た。

故人にどんな言葉を捧げたところで、それが届くかどうかはわからない。死人には口も耳も無いのだから。

だが遺された者にとって、心の整理をつける足掛かりにはなる。

子供達は、ヤマト少年の意志を継ぐことで———継ぐことを宣言することで、彼を喪った悲しみに折り合いをつけようとしたのだろう。

そうして彼等は、喪に服すためにも労働に身をやつすことにした。
丸1ヶ月も燻っていた俺なんかより、余程立派な姿勢だよ。

子供達が仕事に従事し始めたのは数日前のことだが、その内何名かはハルの手伝いに回ったと聞いていたので、俺はその子らの様子を聞いてみたくなった。

「そうだね、よくやってくれてるよ」

「何だ、そのありきたりな感想は」

「いや、正直まだわからないよ。任せているのはほとんど事務作業で、お願いしたことはちゃんとやってくれている。だから、よくやってくれている…というのが正直な感想さ」

どうやら、ハルとしてはどう評価したものか判断しかねているらしい。
…まあ、配属から数日でそこを見極められる奴など、そう居るはずもないな。俺の質問が悪かった、ということだ。

「じゃあ、子供らは元気にやってるのか?」

「うーん…」

「なんだ、それもまだ判らんのか」

「いや、見る限りには元気だよ。でも、そう装っているだけにも見える。身内を喪ったんだから、子供らしく落ち込んだって誰も責めないのに」

どうやら、子供達は一切の泣き言を吐かずに仕事をしているらしい。もちろん、周囲の大人は彼等の心中を気遣っているようだが、それを拒むかのように明るく振る舞っているようだ。

そうすることで平常心を保とうと必死なのか、単に大人が信用できないだけなのか、それともその両方か。

何にせよ、本心であるはずがない。

親しい人間を亡くして心を乱さずにいられるのは、サイコパスか悟りを開いた仏かのどちらかだろう。少なくとも、それを指して大人と呼んだりはしない。

できれば弱音を吐いて頼ってほしい…そう願うのは、押し付けがましい大人のエゴでしかないのだろう。
それでも、子供達が殻に篭り続けることがないよう、手を差し伸べ続けるのを辞めてはいけない。

「わかってるよ。でも、過保護に接するのも違うだろ?彼等は確かにまだ子供だけど、子供扱いし過ぎるのも失礼だと思うよ。なに、心配はいらないさ。こういう問題こそ、時間薬に任せた方が良い」

「まあ、な…」

ハルの言い分はもっともだ。いや、自分の傷を癒すことに精一杯で自宅に篭り切りだった俺なんかより、傍で子供らの様子を見続けていたこいつの判断の方が、何倍も信用できる。

そもそも、俺は彼等の保護者では無い。
外様から口を出すのも筋違いだろう。

「…で、結局コカトリスは?」

「ああ…聞いてるだろ?ブラフだったよ」

———コカトリス。アドワークス警務部長の吉川は、あの新型ウイルスの変異体を子供らに植えつけたと言い、その治療をカードにヤマト少年を操っていた。

しかし何のことはない、それはハッタリ…真っ赤な嘘だったんだ。

「メディカルセンターで念入りに検査したけど、変異体どころかコカトリスウイルス自体が見つからなかった。ハナヤシキさん経由でアドワークスにも内偵してもらったけど、結果はシロ———そもそもウイルス研究自体が行われていなかったらしい」

つまり、ヤマト少年はまんまと踊らされたわけだ。
ありもしないウイルスの脅威に怯え、他人の命のみならず自分自身をも滅ぼしてしまった。彼の魂が天国と地獄のどちらに行ったのかは判らないが、悔やんでも悔やみ切れないだろう。

そう思って、俺は改めて吉川に対する怒りを感じた。
奴も故人だが、生前の非道を思うと手を合わせてやろうという気にはなれん。
因果応報とか自業自得とか、そんな四字熟語がピッタリの最期を遂げたわけだが、かといって溜飲が下がることは無い。

「…無理かもしれんな」

「え?」

「染井氏の理論さ。全ての他人が知人になれば、争いは無くせるという勧善装置。あれはやはり、机上の空論に過ぎないだろう。あの吉川という男、たとえ奴の心が目に見えていたとして、俺はあれだけの非道を赦す気になれん」

ハルはじっと俺の目を見つめて、

「じゃあ、辞めるかい?」

「…いや、その結論は週明けに取っておく」

そんな話をしているうちに、定食屋に着いた。
そこは大阪出身のオーナーが切り盛りする小さな個人店で、夜には居酒屋になる。

昼時の店内はほとんど席が埋まっていたが、運良くカウンターが空いたので、俺たちはそこに腰を下ろした。そして、厨房に向かって各々目当てのメニューを注文する。

それなりに空腹だったから、今か今かと配膳を待っていたんだが———残念ながら、この日俺たちは昼食にありつけなかった。

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