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インガ [scene004_12]

アドワークス本社から20キロほど離れた場所にある、廃工場。そこが、移送隊との合流を予定して設定した中継ポイントだった。

今回の件について、裏側を熟知している要人。これを確保して中継ポイントに行き、移送隊とともに財善に帰還する。この計画は、概ね予定通り進んでいた。

致命的に計画を狂わせていたのは、確保した要人が狡猾にも裏で手を回し、俺たちよりも早く中継ポイントに部隊を向かわせていたこと。

しかも、その手引きをしたのは財善に引き入れた子供達のリーダーだ。

現場に到着した俺たちの目に飛び込んできたのは、その内通者とアドワークスの武装集団。ざっと見る限り、その数は本社で蹴散らした警務部員の倍以上。おそらく30名はいただろう。

円を描くように配置された奴等の中心には、財善の移送車3台と移送隊の面々が見えた。全員、両手を後頭部に回して膝をつかされている。武装は全て取り上げられたらしい。
子供達の姿が見えなかったのは、車の中に待機させていたからだ。

アドワークス側に立っているヤマト少年を見やったが、やはり彼の表情は虚で、顔はこちらを向いていたが目は何も見ていないようだった。

「ああ、君たち…良い仕事ぶりだよ。情けない格好で申し訳ないが、落ち着いて待っていてほしい」

吉川が、ナイフが突き刺さった脚を大袈裟に引き摺りながら降車し、アドワークスの部隊に声をかける。
その後頭部にはワタナベの小銃が突きつけられているが、奴めその状況で撃ち殺されはしないことを理解していて、如何にも余裕綽々といった顔つきをしていた。

「さて、財善の皆さん。取り引きをしようではありませんか。あなた方の要求は確か…そう、お仲間の安全、でしたね?」

こちらを振り返り、ハナヤシキ先輩を見ながらそう言う吉川。

「さあハナヤシキさん、人質交換といきましょう。と言っても、我々の人質は数が多い…ここは、まず私から仲間の元に戻らせて欲しいのですが?」

吉川の目をじっと見つめて、先輩はしばらく何も言わなかった。
少しの間があり、あの人は目を瞑って深呼吸すると、

「な、何を…ッ!?」

狼狽える吉川に大股で詰め寄り、奴の足に突き刺したナイフを掴んだ。またしても肉が少し裂けたらしく、奴が苦悶の表情で短い悲鳴をあげる。

「や、やめろ。何をする気だ」

「…これは私の仕事道具だ、必ず返していただく。よく覚えておくことだ、吉川警務部長殿」

怯え切った表情で小さく頷く吉川からは、先ほどまでの虚勢が剥がれ落ちて、無様な小心者の顔が露見していた。

それを見た先輩は、鼻を鳴らしてゆっくりとナイフから手を離し、アドワークス陣営に向けて顎をしゃくった。

傷ついた片脚を引きずりながら、そそくさと仲間の元に戻っていく吉川。そのとき俺は———言い知れぬ違和感を覚えていた。

遅々とした足取りで離れていく奴の姿に、ではない。

その向こうに並ぶ、アドワークスの警務部員達の様子に、だ。

立て続いたイレギュラーに疲弊した脳を働かせて、違和感の正体を探る。

違和感…つまり、道理とは食い違う何か。

何がおかしい?どこに異変がある?奴らは…奴らはなぜ、平然としている?

そうだ。俺が引っかかったのは、吉川に先輩が詰め寄った瞬間。

あのとき、アドワークスの警務部員達は誰ひとり射撃の構えを見せなかった。
身内に敵が勢いよく近づく様子を前に、なぜ奴らは微動だにしなかった?普通なら、威嚇の姿勢を見せて然るべき瞬間だったはず。

違和感の正体に気づいた俺は、小銃を握る手に汗が滲むのを感じた。

奴らは———奴らにとって、すでに吉川は救うべき仲間ではない?

「隊長…皆!車の後ろに廻れ!」

俺が叫ぶのと同時に、アドワークスの警務部員達が一斉射撃を開始した。

鉛玉が霰のように降り注ぐ中、俺は可能な限り素早く移送車の影に廻り込んだ。

「被害状況!」

俺と同じタイミングで身を隠した先輩が、鳴り響く銃撃音の中で声を張り上げる。

俺は位置がよかった。車体の端に立っていたので、奇跡的に無傷で銃撃から逃れられていた。
ワタナベも左肩に1発喰らってはいたものの、致命傷は免れている。

「2人やられました!3名被弾、他は無傷です!」

先輩が頷き、耳元を指差した。通信デバイスを使うようにと言っているのだ。

『諸君、聞こえるか』

各々、デバイスの動作確認をして親指を立てる。

『新川、奴等の様子を見たい』

先輩の指示を受けて、ハルが移送車についているドライブレコーダーの映像を寄越した。モブに映る奴らは俺たちを銃撃するのに夢中で、人質にされた財善の仲間や子供達は放置されている。

画面の奥、少し離れた所には吉川が倒れていた。やはりあの銃撃は俺たちだけでなく、もろともに奴も消そうとしたものだったんだ。

『…諸君、よく聞け。今この瞬間、財善とアドワークスは全面戦争状態となった』

淡々とした言い方だったが、俺はことの重大さに全身の筋肉が強張るのを感じた。
ワタナベや他隊員の表情にも、緊張が見てとれる。

『…が、この場で何よりも重要なことは、我々の仲間と子供達の命を守ることだ。敵もそれは理解している。人質を殺さないのは、彼らを餌に我々を釣り上げるためだ』

『しかし、それが目的なら人質の命は保証されていませんよね』

ワタナベの言葉に、先輩が頷く。

『そうだ。引っ張り出した我々を殺した後、奴らは人質も始末するつもりだろう。少なくとも、財善に生きて帰す気はあるまい』

そのとき、銃撃音が鳴り止み、廃工場に敵の声が響き渡った。

━━━財善コーポレーション警務部隊に告ぐ。武装を解除して姿を見せろ。10秒以内に現れなければ、人質を1人ずつ射殺する。

考える時間すら奪う宣告に、先輩が立ち上がった。

「私が出よう」

と、防壁代わりした車体の向こうに歩いていくハナヤシキ先輩。
反対の声を上げる暇すら無い俺たちは、文字通り矢面に立とうとするあの人を止められない。

絶望的状況に歯を食いしばる俺に、すれ違いざま先輩が言った。

「頼むぞ、ヒバカリ」

何を———そう訊く間も無く、先輩がアドワークスの射線上に立った。

「他の者は負傷して出て来れん!私が話を聞こう」

———両手を頭に乗せて伏せろ。妙な動きをすれば撃つ。

拡声器を通した敵の声が聞こえてくる。

『ヒバカリ、聞こえるかい』

と、通信デバイスからハルの声がした。

「ああ、聞こえている。ハル、このままでは全滅は免れん。どうすれば…」

先輩から「任せた」と言われたが、情けないことに俺は状況を打開するイメージを全く持てていなかった。

隊の皆の命という重責に耐えられなかった、というわけではない。むしろ、プレッシャーを感じる余裕すら無かったからな。
そうではなく、単純に勝ち筋を見出せてなかったんだ。

正直、指示が欲しかった。
しかしそれを出す立場にある隊長は、丸腰で敵陣を前にしている。

『そうだね、ここは僕らで何とかするしかない。でも複数人で行動するのも、敵の目に捉えられて状況を悪化させるリスクが大き過ぎる。ワタナベさんも、バイタルこそ安定しているけど万全じゃない。
…ヒバカリ、君が単独で動くしかないよ』

冷静なハルの意見に、俺は自分の手を見つめた。

できるか?この俺に。
どう動くべきか、そこに勝機がどれほどあるのか。
例え成功率の高さが数学的に保証された策があったとして、新米の俺にそれを成し遂げられるか…。

「ヒバカリ」

と、迷う俺の両肩をワタナベが掴んだ。

「隊長はお前に任せると言った。わかるか?
お前なら何とかしてくれる、そう信じているんだ。
俺はこの通り被弾して、100パーセントのパフォーマンスを発揮できない。俺が万全なら、俺の役目だった。
負傷した俺とお前なら、お前の方が成功率は高い———そういう判断なんだ。
信じろヒバカリ、その判断を」

真正面から見据えられ、俺は…ワタナベの後ろに居る仲間達に目を向けた。

皆、腹を括ったような目で俺を見ている。

配属されてから数ヶ月の訓練、実戦を想定したそのメニューを思い出す。
初の現場は、何もかも計画通りとはいかなかった。が、鍛えてきた肉体と勘は、俺を生かし続けてくれている。

「…ハル、まずは人質を何とかしたい。手伝ってくれるか」

俺は、覚悟を決めた。

ハルは『もちろんだ』と答え、早速オペレートを開始した。

『いま敵方は、ハナヤシキ隊長およびその背後にいる君たちに注視している』

「ああ、奴等の視線を掻い潜って向こう側に行くのは無理だろう。匍匐姿勢でも、この状況じゃあ1発で気付かれちまう」

『真正面から行けば、ね。ヒバカリ、上を見てくれ』

ハルに言われて、俺は視線を上に上げる。
普通の建物なら3階建てに相当する屋根の高さを持つ廃工場、その空間には幅60センチほどの鉄骨が張り巡らされていた。

「あれか」

『そうだ。移送車で敵の目を遮りながら、壁まで進んでくれ。点検用の梯子があるはずだ』

壁際に目をやると、確かにそこには細長い梯子が掛かっていた。
俺は「了解」と小さく答えて、速やかに行動を開始した。

といっても、足音でアドワークスの連中に動きを悟らせるわけにはいかない。
中腰になって抜き足差し足、できる限り静かに移動する。
壁に到着した俺は、背後をちらりと見て敵の視界に入っていないことを確認し、梯子に手をかけた。

一段、また一段と梯子を登っていく。
あのときの緊張感は、東京に行ってから従事した全ての作戦を超えるものだった。
敵に気付かれたら、俺はもちろん仲間の命が全て失われてしまう。
ひとつ上の梯子に掛ける手、身体を持ち上げる足、すべての所作に細心の注意を払った。

しかし、もたもたしてもいられない。
ある程度登ってからは、否応なく敵方の視界に身を晒すことになる。留まり続ければ、遅かれ早かれ俺の動きは捉えられてしまうからだ。

と、そのとき。

———武装を解除しろ!

敵の声が響き渡り、俺は戦慄した。気付かれたのか?
いや、そうじゃなかった。

恐る恐る背後を見ると、移送車の前、ハナヤシキ先輩の前にワタナベ達が立ち並んでいた。

注意を引きつけるため、仲間達はその身を敵前に晒すことにしたのだ。

ワタナベが張り上げた声が聞こえる。建物内の鉄骨や内壁に反響し、何を言っているかは判別できなかったが、とにかく俺は梯子を登り切る時間を得た。

一気に上部の鉄骨まで登り、姿勢を低くする。どうやら、敵に気付かれずには済んだらしい。

ほっと一息つく、というわけにはいかなかった。
すぐに匍匐姿勢をとり、鉄骨で下からの視線を遮りながら移動を始める。

廃工場は電気供給が止まっており、灯り取りの天窓から差し込む月光だけが、俺の進行方向を照らしていた。

慎重に、かつ速やかに。

衣擦れの音すら極力立てないよう注意しつつ、匍匐前進を続けた。

やがて対面の壁にたどり着き、梯子に手をかけようとしたとき———

「ヒバカリさん、静かにしてください」

心臓を鷲掴みにされた気分だった。
梯子の下から顔を出したのは、ヤマト少年だった。
俺がそうしたように、この少年も鉄骨まで登ってきたんだ。

咄嗟に、腰からナイフを引き抜く。
大声を上げられる前に、何とかしないと。
そう身構えた俺に、ヤマト少年が銃を突きつけた。

「…どういうつもりだ」

怒りを込めた俺の言葉に、ヤマト少年は鉄骨に降り立ちながら

「すみません、ナイフを納めてください」

「質問に答えろ。なぜ裏切った?なぜ、俺の仲間を殺した?」

「そうするしかなかったから、です。…お願いです、話をさせてください」

様子がおかしい、と思った。いや、違和感はずっとあったんだ。
タカハシを手にかけたと告白したときから、彼はずっと心を押し潰したような顔をしている。

このときも、その複雑な表情は変わっていない。少なくとも、そこに殺意の類は感じられなかった。
しかし———

「ヤマト君、悪いが付き合っている暇はない。今は一刻一秒を争う…邪魔をするなら、容赦はできない」

そう、優先すべきは人質。
少年が凶行に及んだ事情は気になるが、後回しだ。

「そこを退け」

ナイフの切っ先を少年の胸元に向けながら、俺は静かに言った。

「…ヒバカリさん、もう僕は皆さんの信用を失ってしまいました。でも、お願いします。
僕の話を聞いてください。それから———」

ヤマト少年が銃を逆手に持ち替え、こちらに差し出した。

「最後に、あなたの手助けをさせてください」

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