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インガ [scene004_09]

大手不動産会社が保有する、西新宿の中心に建つ高層雑居ビル。かつては複数企業が居を構えていたそこが、アドワークスの自社ビルだった。

感染症蔓延に端を発する世界恐慌の煽りを受けて、多くの企業がバタバタと倒産していき、当時そのビルでの生き残りはアドワークスだけになっていた。
建物の持ち主である不動産会社は辛うじて倒産を免れていたものの、ガタガタになったキャッシュフローを立て直そうと収益性が落ちた保有物件を売り払いだしていて、アドワークスは破格の値段で自社が入っていたビルを買い取ったんだ。

つまり、これから俺たちが潜入しようとしているのは、いち企業が保有する要塞ということ。

もともとは広告代理店だった奴らは、景気が傾き各クライアントが広告予算の縮小を進め出したタイミングで、いち早く潮目が変わったことに気付きあらゆる企業を買収した。
取り込まれた企業群には警備関連の会社がちらほらあって、そのノウハウを横展開することで警務部…つまり武装勢力を作り上げていった。それと並行して進めたのが、本社の魔改造。
陳腐な言い方をすると、ネズミ1匹通さないセキュリティ設備をふんだんに取り付けていったんだ。

実のところ、この豆知識はハルの調べで分かったことなんだが、そのハル自身が頭を抱えるほどセキュリティは鉄壁だったらしい。コイツは昔からハッキングのプロだったが、それでもアドワークスのセキュリティを無効化するのは難しそうだった。

ん?ああ、そりゃあ今のお前ならお茶の子さいさいだよな。だが、当時の俺たちは未熟だった。技術的にも、精神的にも。

そんなわけで、俺たちはまず水道局営業所跡地に戻ることにした。

目的は、爆殺されたアドワークス警務部員達の亡骸。

「これしか手が無いとは、神を呪いますよ」

ぐちゃぐちゃに四散した死体を拾い上げて、俺はハナヤシキ先輩に愚痴をこぼした。

「つべこべ言うな、としか言えんことを呪うよ、私は」

流石の先輩も、人の臓物を弄るのは精神的にキツかったらしい。
俺の恨み言を咎めるでもなく、ゲンナリとした顔をしていたよ。…あの人にしては、そんな表情を見せるのは珍しかったな。
まあ、それぐらい嫌な作業だったということさ。

何故、羅生門の老婆よろしく死体漁りをする羽目になったのか?
それは、アドワークスのセキュリティを突破するためだ。

『いいかい皆、アドワークス本社には大きく分けて2つのセキュリティシステムが備わっている。
ひとつが、赤外線センサーを始めとする物理トラップ。ふたつ目は、社員が持つセキュリティパスを用いた個人認証システムだ。
物理トラップは、君たちが持つ野生の勘ってやつと、タカハシとヤマト君のナビゲーションがあれば何とかなるだろう。
問題は、個人認証システムの方。これにも種類が2つあって、本社に入るだけなら社員証に内蔵されたチップがあれば事足りる。でも、君らが目指す経営管理室と警務部署エリア、それとサーバー室に入るには、一部社員に注入されているナノマシンが必要だ。
こればっかりは、アドワークスの社員になるしか突破する方法が無い。普通なら、ね』

「ああ、分かってる。だからこうして、吸血鬼みたいな真似をしているんじゃないか」

と、俺は拾い上げたアドワークス警務部員の腕…だった物にシリンジを突き立て、辛うじて残る血液を採取した。

すでに凝固が始まって、まるでプリンのような弾力を持ったドロドロの液体。
お目当ては、その中に漂う無数の極小機械、ナノマシンだ。

もちろん、血液の中からナノマシンだけを取り出すことはできない。少なくとも、その場の装備ではな。
だから、採取した血液を携帯用輸血パックに詰め込み、微細な電気を流すことで“持ち主が生きているかのように”偽装することにしたんだ。

輸血パックには、移送隊が持ってきたシール型の通信デバイス———財善メディカルセンターで、俺とヨシノくんが使ったようなヤツだ———が貼り付けてあり、それが人間の持つ生体電気を擬似的に発生させて…まあ、その辺はハルに説明してもらうのが早いんだが。
…いや、長くなりそうだ。またにしよう。

とにかく、その輸血パックこそが、アドワークスに侵入するためのパスポートになったわけだ。

「隊長、4名分の採取完了しました。あとは…」

肉片からシリンジを抜き取り、俺はハナヤシキ先輩に声をかけてある一点を見やった。
そこには、最後の1人…青山フカク元小隊長が横たわっている。

「…私がやろう」

そう言って先輩は青山殿の亡骸に近づき、膝をついて両手を合わせると、その腕に丁寧な手つきでシリンジの針を挿入した。

ごぼり、という音がして、輸血パックにゼリー状の血液が溜まっていく。

「これを無駄にはせん。彼の魂は、我々が弔う」

意志を継ぐわけではない。彼自身が何を望んで逝ったのか、それを知る術はもう無いのだから。
そもそも、彼は本来俺たちの仲間ではないしな。

だが、無念だったろうとは思う。自らを捨て駒として扱った所属企業に、言いたいことは山ほどあったろう。

だから、せめて安らかに眠れるようにと、俺は彼の魂に作戦の成功を約束した。

「よし、これで準備は整った。状況を開始する」

ハナヤシキ先輩が宣言し、俺たちはアドワークス本社ビルに向かって歩き始めた。



『ハナヤシキ隊長、タイムリミットは1時間。日付が変わると、輸血パックのナノマシンは殉職者として登録情報が変更されてしまい、使い物にならなくなる。それまでに、サーバー室を占拠してください』

本社ビル付近に到着した俺たちは、夜を待って行動を開始した。
すぐに侵入しなかったのは、発見されるリスクを少しでも下げるため。
従業員がうろうろしている日中に正面突破、というわけにもいかんからな。

「問題ない。これより、アドワークス本社ビルへの潜入を開始する」

ハナヤシキ先輩の号令で、先行隊が一気に動き出した。

このとき、合流した移送隊メンバーを含めた財善の隊員数は10名。内、俺とハナヤシキ先輩を始めとする5名が、先行隊としてビルへの侵入を始めていた。
隊を2つに分けたのは、手に入ったナノマシン入り輸血パックが5人分しか無かったからだ。

先行隊の役目は、残る5名がビル内に入って来れるよう、サーバー室を占拠してセキュリティをダウンさせること。

『皆さん、目標地点は12階です。普通ならエレベーターで行けますが、今回は非常階段を使ってください』

ヤマト少年が、通信デバイスを通してルート案内をしてくれる。

「現在、地下駐車場Aブロック。非常階段はどこにある?」

『1階の防災センター内です。センターには警務部員が3名常駐しています』

「了解」

ハナヤシキ先輩がヤマト少年と短く言葉を交わし、モブを操作してマップ上に中間目標地点をピン留めする。
即座に俺たちのモブにもデータが共有され、俺たちはまず地下駐車場の端にある階段を目指した。

「ステイ」

先頭のハナヤシキ先輩が足を止め、小声で指示を出してくる。そしてハンドシグナルで前方を示すので、俺たちは柱の影に身を潜めて様子を伺った。

そこには、アサルトライフルで武装した警務部員らしき人影があった。

「巡回中の警務部員か。定時連絡をしているだろうから、排除するわけにもいかんな。あれは無視して行くぞ」

先輩の判断に従って、足音を立てないよう慎重に迂回して階段に向かう。
“敵の目を盗んで忍び込む”という所謂ステルスミッションは、俺たち企業警務部員にとってお手のもの…というわけではない。どちらかといえば正面切ってドンパチ遣り合うのが主たる任務だし、俺に至っては現場に出たばかりの初心者だったからな。

恙なく足を進められたのは、先輩やタカハシのサポートがあったからだ。
先輩のサポートというのは、言うまでもなく現場における適切な指示出しのこと。
タカハシのサポートとは、移送隊が持ってきた屋内偵察用小型ドローンによる斥候のことだ。

広範囲を俯瞰するには向いていないが、小型ドローンは超音波を用いて閉鎖空間を立体的に探知できる。
モノ自体も羽虫ほどの大きさしかないので、少なくとも巡回中の警務部員に視認される心配も無い。

『モスが検知した敵兵の配置は、ハルがリアルタイムでマップデータに反映してくれる。ったく、良い仕事しやがるぜ。
そいつを見ながら進めば、余程のマヌケじゃ無い限りステルスを貫けるだろうよ』

タカハシが、いつもの調子で通信してくる。
モスというのは小型ドローンの愛称で、見た目が大きめの蚊(モスキート)に見えることから、奴はそう呼んでいた。

モブを開くと、地下駐車場のマップに4つの敵影がピンマークで表示されている。その全てを難なく回避して、俺たちは1階ロビーに辿り着くことが出来た。

「タカハシ、このフロアもスキャニングしろ」

『言われなくたって。ほい、完了しましたぜ』

スキャニング、つまりモスの超音波装置による索敵。タカハシが作業の完了報告をすると同時に、モブのマップが更新された。

現在地は、1階ロビーの端にある小型エレベーター脇、階段出口。マップデータによれば、正面に見える防災センター内に警務部員と思しき敵影が3つある。ヤマト少年の言う通りだ。

フロアにはそれ以外に人影は見当たらず、俺たちは軽く打ち合わせをしてから、囮役をひとり残して防災センターに近づいていった。

ドアの影に潜み、残してきたひとりに先輩が合図を送る。それを確認した囮役が、持っていたボールペンをへし折り小さな音を立てた。

異音に気づいた防災センター内のひとりが立ち上がり、窓ガラス越しに様子を窺う。しかし薄暗く見通しの悪いロビーでは、直接目視しないと判断がつかないため、異音の正体を探るためセンターから出てきた。

内側から開錠されて開いたドアに先輩が足を挟み、銃を構えて押し入る。

「動くな。妙な真似もしないように。わかるな?」

端的な脅迫に、センター内の3名が凍りつく。
それぞれに銃口が向けられているので、誰も警報装置に手を出すことが出来なくなっていた。

「ヒバカリ、左の1人を残して拘束しろ」

言われた通り、俺はホールドアップして硬直している2名の背後に回り、手早く結束バンドで両手足を縛った。

「貴殿らに危害を加えるつもりは無いが、それは我々に協力してくれるならの話だ」

自らに突き付けられた銃口を見つめながら、真っ青な顔で頷くアドワークス警務部員たち。

先輩の言う「協力」とは、定時連絡の継続…つまり、何事も無かったように振る舞うことだ。
見張り役として味方を2名残し、俺と先輩、そしてワタナベは警務部員に開かせたドアを抜けて非常階段に進んだ。

モスと肉眼で警戒を怠らぬようにしつつ、12階を目指して階段を駆け上がる。
監視カメラはあったが、その映像データが送られるのは制圧済みの防災センターのみ。そして、流石のアドワークスも非常階段にまで人的リソースを配置してはいない。
つまり、俺たちは難なく12階に行くことができて、気がつけばあっという間にサーバー室前だった。

『皆、輸血パックは落としてないね?今、君たちはアドワークスにとって身内だ。あくまでもデジタル的な意味でね。ナノマシンはリアルタイムに個人認証をパスしている。そのまま進んでくれ』

ハルの言葉を受けて、俺たちはサーバー室の扉を開けた。

「不法侵入ですよ、財善の皆さん」

そこには、アドワークス警務部長、吉川氏の姿があった。

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