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インガ [scene004_15]

「やあ、久しぶり」

久しぶりに出向いた財善のオフィスで最初に顔を合わせたのは、ハルだった。

「…なぜ俺のデスクにお前が居るんだ」

「君が来るって聞いたからね」

ハルが座ったオフィスチェアを引いてスペースを確保してから、俺は自席に上着とリュックを置いた。

そして空席だった隣からチェアをもうひとつ引っ張ってきて、腰を下ろしてため息をつく。

「大丈夫かい?顔色は…まあ、悪くないみたいだけど」

「長期休暇を貰ったからな、これで元気じゃなかったら医者に行ったほうが良い」

東京から帰ってきた後、俺たちには1ヶ月のリフレッシュ休暇が与えられた。

色々あったからな、心身を休める時間が必要だと上が判断したんだ。

「勘は鈍ってないだろうね?ブランクがあるから動けませんなんて言い訳、現場じゃ通じないだろう」

「安心しろ、トレーニングは欠かしていない。それに———」

言いながら、俺はリュックからクリアファイルを取り出してデスクに投げ出した。

「勘が鈍っていたって、もう関係ない」

「…辞めるのか」

クリアファイルに入った退職届を見て、ハルが呟くように言った。

「驚かないんだな」

「まあね。あんなことがあったんだ…違う道を探そうと決意するには、十分過ぎる理由だろう」

「…」

「で、今日はそれを提出しに来たってことかい?」

立ち上がるハルの向こう側でドアが開いたのを見て、俺もクリアファイルを持って腰を上げた。

「ああ、それと…上司との面談だ」

俺の視線が出入り口に向いていることに気づいたハルが、振り返って軽く頭を下げる。

入ってきたのは、ハナヤシキ先輩だ。

「変わりないか、ヒバカリ」

「ああ。あんたも元気そうで何よりだ」

「ふむ、だがデスクワークというのは肩腰が凝っていかん。現場に出ていない時間の方が心身を病むような気がするとは、おかしな話だ」

首に手を回して顔をしかめるハナヤシキ先輩に、俺とハルは愛想笑いをした。

「会議室を押さえてある。行こうか」

踵を返す先輩について、俺たちは会議室に移動した。

財善本社には大小いくつかの会議室があり、個々人の面談程度なら2畳ほどのスペースしか無い小さな個室が選ばれる。

しかし、この日先輩が押さえていたのは、10名以上収容できる大きな会議室だった。
何より不思議だったのは、

「どうしてハルも?」

俺の隣に、ハルも座っていたこと。
退職というナイーブな話題を扱う面談に、当人以外が同席するというのは不自然だ。

「さあ?僕も気になってる」

「同じ話をするのでね、別個にやるのは非効率だろう」

同じ話?ハルも辞めるつもりなのだろうか。
そう思ってこいつの顔を見てみたが、訳がわからないといった様子だ。

頭上に疑問符を飛ばして顔を見合わせる俺たちを余所に、先輩が手元の封筒から2枚の書類を取り出して俺たちの前に並べる。
そこには、“辞令”の二文字が記載されていた。

手にとって目を通してみると、聞いたこともない部署名と俺の名前が並んでいる。つまり、異動を命じる書類だ。

「…先輩、俺は退職の話をしに来たんだが?」 

「わかっているとも。しかし、最終的な判断は話を聞いてからで遅くない」

俺はため息をついて、書類をテーブルに投げ出した。
反論したところで、どうせ話を聞かされる羽目になるだろうことは予想できた。
入社してからの数ヶ月で、頭の出来であの人に敵わないことは嫌というほど実感させられていたんでね。面白くはないが、ああいう場面じゃ素直に従っておいた方が効率的だった。

「で、こいつは何の招待状だ?」

「楽園への、と言いたいがそうではない。貴様らには、我が社の重要プロジェクトに参画してほしい」

「重要プロジェクト?」

「そう、過言ではなく世界を変える———いや、新世界を創る仕事。
名誉なことだ…何年後になるか判らんが、我々が築いた礎の上で、人々は真に繋がることになるだろう。否応なく変化する社会の様相、その目撃者ではなく当事者となれる。額縁に嵌め込まれた作品を眺める客ではない、絵筆を握りカンバスを彩る芸術家の側。そこに立つ権利を、我々は有しているのだ」

勿体ぶった言い回しをする先輩は、どこか悦に入っているように見えて、どうにも胡散臭い。
言い回しの解りにくさは、任務外では通常運転だったが———あの人と行動していたヨシノ君なら、わかるだろう?このときは、それに加えて目つきもおかしかった。爛々としていた。

怪しい宗教にでもハマってしまったのかと心配になり、声をかけようとしたとき

「ヒバカリよ、貴様は争いの本質を何だと考えている?」

「は?」

「人と人とが争うとき、その中心にある物は何だと思うね」

急に何を言い出すのかと思った。
いまいち意図を掴めず隣のハルを見てみたが、こっちに振らないでくれといった表情だ。

仕方なく、俺は質問に答えることにした。

「…利益だ。人は、それを奪うなり守るなりするために、他者とぶつかり合う。それが争いの本質だ」

アドワークスの吉川を思い返す。
奴の振る舞いは俺たちにとって“悪”だったが、それは俺たちから利を奪う目的に基づいていたから。奴の“意志”は“悪意”である———その評価は間違っていないが、その正しさだって立場次第で変わってしまう。

正義の反対は、また別の正義である。

そんな台詞を思い出しながら、俺は争いの本質を“利の奪い合い”と定義づけた。

「…ふむ、それも正しい理解だろうな。だが私の考えは———否、あの人の考えは少し違う」

あの人、という言葉に引っかかったが、口を挟む余地なく先輩が話し続ける。

「争いの本質は、格差だ。人間は規模や次元に差があれ、誰しもが理想を追い求めている。幸せになろうとしている、と言い換えてもいい。
しかし、理想と現状は乖離しているものだ。たとえ現状に満足している者であっても、その幸福を維持することを理想とする。
その乖離…すなわちギャップを埋めるためには、大なり小なり課題を解決しなくてはならない。
争いとはつまり、乖離を埋めようとする所作の副産物に過ぎないのだよ。
自らの理想を実現するために他者を害する必要があれば、それを厭わない。自分に足りないものを誰かが有しているなら、それを奪う。その結果、相手の命が失われるとしても。
そういった野蛮な意思決定こそが、手段としての暴力を伴い、争いという現象を引き起こしているのだ」

滔々と語るハナヤシキ先輩の目は、俺たちでは無い誰か———いや、そこではない何処かに向けられていた。

話の内容も、正直ほとんどわからない。
何がって、なぜそんな話をしているのか、という点が。

「国が理想と現状の乖離を埋めようとして引き起こしたのが戦争、地域内のグループ間で同じことが起きたものが紛争、小規模な組織同士で繰り広げられるのが抗争、個人間にまで縮小したものが喧嘩。そう、規模の大小に限らず、争いというものは理想を求める心が招く———つまり、その格差を無くすことこそが、根本的かつ恒久的な平和実現の手段なのだよ」

話の途中から、ハナヤシキ先輩は立ち上がって会議室を徘徊し出していた。

横並びで座らされている俺とハルは蚊帳の外…あの人は、自分の世界に入り込んでしまったように見えた。

「平和という言葉は、まさしく平らな世界にこそ実現し得る。我々は技術革新によってそれを———」

「先輩、あんたの平和論はよく分かったんだが、それとこの辞令に何の関係が?」

こちらに背を向けていた先輩がくるりと振り返り、俺たちの目を交互に見る。

「新世界、だよ」

「…すまないが、何を言っているのか全く———」

「人と人を繋げて、格差のない平らな世界を実現させる。それが、貴様らが従事すべきプロジェクトだ」

俺はため息をついて、机の上から書類を取り上げた。
辞令ではなく、退職届を。

「御大層なプロジェクトを走らせようとしてるみたいだが、生憎俺はこの会社を出て行くつもりでね。
話を聞いてみたが、やはり意志は変わらなかったよ。
悪いが先輩、こいつを受け取ってもらえないか?」

立ち上がって先輩に歩み寄り、胸元に退職届を押し付ける。
多少は強気に行かないと、言いくるめられてもつまらんと思ったんだ。

しかし、ハナヤシキ先輩は書類を受け取るでも払い除けるでもなく、俺の目を覗き込んで

「ヒバカリ。貴様は東京での経験から、何を得た」

「…」

「少なくとも、あんな思いは二度と味わいたくない…そう思ったのだろう」

———都民暴動で荒廃した東京。
アドワークスと激突したあの廃工場で、俺には死体の山を前にして気づいたことがあった。

あのとき…ヤマト少年が移送車に仕掛けられた爆弾で吹き飛んだ瞬間、俺は自分の理想を信じられなくなった。
つまり、正義の味方なんて、程遠いのだと。

タカハシを殺したヤマト少年を“悪”と判じて、一度は本気で殺そうと考えた。しかし、彼が自己犠牲の死を遂げたとき、なぜ助けられなかったのかと己の未熟さを呪った。

ヤマト少年は悪だったのか、善だったのか。

その評価は、あの1日で容易く二転三転した。掌返しにもほどがある。

直接手にかけたアドワークスの警務部員たちはどうだ?
身内を殺された怒りで銃を握った彼らは、果たして悪だったのか。

そうじゃなければ、俺は何と戦っていたんだ?何を守るために、何を犠牲にした?

生き残ったのは、俺を含む財善の警務部員10名と、13人の子供達。
あの日俺たちが殺めた人数は、それを遥かに超えている。

23名の命を守るために、倍以上の命を奪った。俺の天秤は仲間達と子供達を乗せた皿の方に傾いていたが、その周りには数えきれない命がこぼれ落ちている。

———善悪など、何の意味もない。人の命を、そんな個人的な物差しで測ってはならなかった。

だから俺は、財善を出ようと思ったんだ。

組織に居る以上、俺の正義は組織のルールに基づくことになる。利益のために、銃を手に取らなくてはいけなくなる。

それじゃあ駄目なんだ。

俺は、俺の正義に殉じたい。
それが果たせる場所に行くために———無ければ独りで戦うために、俺は財善コーポレーションを辞めることにした。

「先輩、あんたの言う新世界とやらに居場所を持てない人間は、一体どうなる?そいつらは、やっぱり敵になるのか?」

「…」

「だとしたら、その人たちに銃を向けるなんて…俺は、したくない」

そう言って無理やりに退職届を先輩に押し付け、会議室を出ようとしたとき

「銃を向ける必要は、無くなる。敵という概念が、失われる———私が創るのは、そういう世界ですよ」

ドアが開いて、白衣の男性が入ってきた。

「ヒバカリ、せめてこの人の話を聞いておけ。彼は———」

「染井。私は、染井義昭というものです」

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