アリストテレスの誤謬

 先に断っておくと、僕はアリストテレスに詳しくない。ただ、「受験生の異世界転生」という小説を書くにあたって、中世ヨーロッパの知識水準と、現在の教科書に載っている知識がいつどのように発見されたか調べていくにつれ、アリストテレスの影をはっきりと見るようになった。

 世界の文明発展が遅れた要因は、かなりの比率でアリストテレスが誤った知識を広げ、誰も否定が出来なかったことに起因する。多分この人がいなかったら、人間はもっと早く進歩していたかもしれない。

 まず、アリストテレスについて軽く説明しておこう。

 この人、今からだいたい2400年ぐらい前に古代ギリシャで活躍した哲学者で、「万学の祖」と呼ばれている。大変な功績を残した人で、今でも思想の大家として知られている。

 小説家になろうを読んでいる人なら、「4元素」とか「4大エレメント」とか「地・火・風・水」属性とか、ああいうファンタジーの元祖の思想を作った人と言った方がわかりやすいかもしれない。

 まぁそれだけなら、古い学問だから正確性に問題があっても仕方ないよね、と思うだけだったろう。

 だがこの思想、後世においてモンスターと化してしまう。アリストテレスがアレクサンダー大王の家庭教師であったことが影響したかどうかはわからないけど、アリストテレスの思想は各地に広がり、宗教や権力を巻き込んで絶対的な正解として君臨してしまった。

 今やサブカルでも大人気になっている錬金術だって、アリストテレスの思想に基づいて構築されているし、ガリレオ・ガリレイが否定しきれなかった天動説もそうだ。

 地動説を唱えたガリレオ・ガリレイとアリストテレスの間には、1800年以上時間が経過していて、なお拷問と裁判にかけられたと言えば、その呪縛の時間がいかに長かったかがおわかりいただけるだろう。

 魔女裁判でも、アリストテレス思想が、魔女たちの思想が異端であるという根拠となって、人々を萎縮させている。

 例えば、アリストテレスは「神は空虚を嫌う」と唱え、「0」を数字として認めなかった。だからもちろん、負の数の存在も認めなかった。「0はあります」と声高に主張するだけで、殺されても文句は言えなかったわけだ。

 このように、正しい理論を提唱すると命に関わったからだろう。中世に至るまで、ヨーロッパの文明はあまり進歩しなかった。

 今教科書に載っている知識を紐解くと、面白い事にほとんどがアリストテレス以前に発見されたものか、アリストテレスの思想が権力を失った17世紀以降に発見、提唱されたものに集中している。

 中世のヨーロッパは世界的に見て進んでいた、と日本人である僕らは考えるかもしれないが、実はそんな事はなかったのだ。

 例えば識字率は、活版印刷発明前の14世紀で10%程度、聖職者や商人に識字者は集中していた。当時の役人の割合が何%かはわからないけど、現代の日本で10%、韓国で15%、アメリカで27%程度であることを考えると、役人の大半は字が読めなかったと考えられる。

 当時、先進的な学問はリスクが高かったのも関係しているかもしれない。

 その後、活版印刷の登場で聖書が大量に印刷された事で、風向きが変わりはじめる。聖書を読んだ聖職者以外の多くの人々が、教会が聖書に書いていない事を主張している事に気付いてしまった。

 それが結果的にルターの宗教改革をまねき、教会の権威が徐々に失墜していったことで、アリストテレス思想による人々の弾圧は弱っていったのだろう。

 日本ではちょうど戦国時代頃の頃の話だ。イエズス会が世界で暗躍していたのもこの頃で、多分思想的に失墜し始めていたので焦っていたのかもしれない。

 だが、その後も変化が急激だったわけではない。17世紀に至ってなお、識字率は30%程度と低く、大学でも字が読めない生徒のために、授業は教科書の音読によって行われていたらしいといえば、どの程度かは想像できるだろうか。

 17世紀後半、最先端の変わった事を言っても異端だと殺されないようになると、学会が生まれて知識が共有され、技術力が急騰して産業革命に発展していきました。

 ここらへんでようやく、アリストテレスの思想は時代遅れのファンタジー思想に生まれ変わっていきます。

 アリストテレスの理論はでたらめでしたが、自然界を説明するためにはよくできていました。

 そしてそれが、「絶対の正解」だと認識されたことで、世界の進歩を2,000年近く止めてしまいました。天動説にしても、「惑星(まどう星)」と呼ばれるように、その理論から外れる星があることは古くから知られており、ゼロの否定にしても少し数学に詳しくなれば簡単に存在を肯定できたはずです。

 「絶対の正解」への信仰は危険です。

 違う見解を提示されて、否定された気分になってしまう人や、自分の中の正解に反する人を取り締まってしまう人は、すでにアリストテレスの誤謬に憑りつかれてしまっているかもしれませんね。

 そしてそういう人が増えてしまうと、人間は再び進歩をやめるでしょう。

 僕らも注意して生きていきたいところです。