自作小説連動企画 第3話 「心肺蘇生」

 現在は当たり前になっていて、教科書にも載っていている心肺蘇生ですが、実は二つの技術が含まれています。

 人工呼吸と心臓マッサージと呼ばれています。この二つの技術の間には、かなりの時代差があります。


 人工呼吸については旧約聖書の中にすでに記載があり、エリシアという預言者が、死んだ子どもを生き返らせました。神の祝福というイメージで、奇跡だったんでしょうかね。キリスト教圏では「god breath you」なんて言い回しもあります。

 旧約聖書はキリスト教成立以前、ユダヤ教の経典ですので、軽く2500年以上前のことでしょうか。
 というわけで、一部の人がこの技術を知っていた可能性はあります。が、それからずっと一般化されることはありませんでした。

 再発見されたのは1950年代。ナチス時代のドイツ圏でのことです。それまでの蘇生法は、遺体にムチ打ったり、変な薬の煙をふいごで肺に流し込んだりするもので、科学的な根拠はありませんでした。

 しかし、科学の発展と共に、血中酸素濃度が測れるようになったことで、口対口の人工呼吸の有用性が認められ、ドイツの敗戦後に世界各国の軍隊に人工呼吸のやり方が普及し、そこから一般に普及したのでしょう。

 一方、心臓マッサージは、1860年頃の文献に残っています。麻酔で心臓が止まってしまった患者の救助法としてだったようですが、比較的新しいにも関わらず、これも一般には普及しませんでした。

 再発見されたのは1960年頃。たまたま心臓に機械を押し付けると、血圧計に反応があったことから、有効性の研究がはじまりました。

 つまり、どちらも今の世代から見て、祖母や曾祖母ぐらいの世代に生まれ、そこから定着した技術だということです。


 学校で学ぶことは社会に出たら役に立たないと感じている人は、僕を含めて多数いると思いますが、なぜ勉強の恩恵を感じられないかと言えば、それがすでに世界に溶け込んで空気のようになってしまっているからです。大多数が知っていて、例え知らなくても誰かがフォローしてくれるから、恩恵として感じにくいのでしょう。

 学校で勉強する事の大半は、実は中世以降に再発見されたものです。中世ヨーロッパではアリストテレスの4元素思想が化け物のように君臨していて、教会もそれを支持していたため、まともな科学が育たなかったのでしょう。

 だから産業革命も中世には起きませんでした。人間の賢さはさほど変わらないので新たな発見はいつの時代もきっとあったのでしょうが、異端認定されないために秘匿され、やがて失われたものと推察されます。

 これが変わったのは、17世紀頃に学会が生まれてから。学者は情報交換のために自説を定量的に説明することを求められ、その方法が秘匿されずに世界に広がる事で、ようやく世界は客観的に観測されるようになりました。

 心肺蘇生法がちゃんと確立したのは、血中の酸素濃度や血圧がちゃんと測れたからです。我々がその方法が有効だと信じているのだって、科学的な根拠を信じられるから。

 学校の勉強は、価値基準の統一に一役買っているのです。勉強をしないというのは、世の中に出て価値があるものとないものの基準がわからなくなるということです。

 空気がなくなったら困るように、勉強をしなくても困る事になります。


 えーと……。僕は何を書こうとしてたんだっけ。まぁ良いか。

 ちなみ連動先の小説の舞台は、神術と言うファンタジーチックな術が存在するものの、文明レベルは15~16世紀ぐらいのヨーロッパを想定しています。

 勉強という共通の価値基準が通じない異世界に転生してしまった受験生は、どう生きるんでしょうか?