モンゴルで羊の内臓を食らう
始まりの夕日
水平線が広がる砂漠の道なき道をワゴン車で。
沈みそうな夕日にヒヤヒヤしながらも目的地を探す。
僕たちは、今夜泊まるゲルを、なんの目印の無い砂の草原で方角だけを頼りに突き進んでいる。
今にも太陽は地平線に飲み込まれそうである。
遊牧民の家、「ゲル」
幾つかのゲルを経由して、目的のゲルに到着した。
「りゅうさん(僕)、野犬に注意してください」
通訳のガーナさんは、ゲルの前にいる黒い犬を横目にそう忠告する。
よく見ると滅法外部の人間に対して興味津々な様子の犬だ。
正直犬は小さい頃から苦手なのでなるべく関わりたくないと思いながら、小走りにゲルの中へ入場する。
ゲルに入ると、生暖かい空気と共に物凄い獣の臭気が漂う。
羊の皮で作られているから、無機物に囲まれて育った日本人の僕にとっては馴染めない匂いらしい。
途端、穏やかそうな表情の中年夫婦が我々を出迎えてくれた。
「%$%$’(()’)”!#$(%))&%%)!!」
歓迎の言葉らしき発音に、僕は思わず都会暮らしで培った完璧な作り笑いで応じる。
「(’&$(())&)」
遊牧民のお父さんが指で示したテーブルの上にはてんこ盛りの肉料理が載せられている。
おいしそう。
逆ヴィーガンを自称する僕にとっては天国。
となるはずだったのだが....?
謎のお肉
通訳のガーナさんは 、肉料理の皿を指さして
「これは羊の内蔵です、と言っています」
と説明してくれた。
「普通の、肉というか、そんなものはありますか?」
「ありません」
死刑宣告。
僕は生粋の逆ヴィーガン隊に先天的に配属されているのだが、その隊の中でも「だけど内臓は無理!」系の部隊に所属しているのだ。
しかし、こちらはゲルに泊めさせてもらっている客。
彼らにとって、貴重な家畜の一匹を殺め、客人に振る舞うのは最大のおもてなしだという。
そんな気遣いを無下にする訳にはいかない。
いざ…!
「え、あの、僕はいらない、です」
こうしている間にも、お父さんはニコニコして僕の皿の上に羊の肉を盛り合わせている。
苦笑いが僕の顔面に映し出され、冷や汗が首筋をつたる。
申し訳ない気持ちでいっぱいである。
しかし、僕の言葉を聞いたお父さんは不思議な顔をした。怒っているのか、悲しんでいるのか、理解できていないのか、はたまた何も感じていないのか分からない表情。
うん…え?
でも…とはいっても...
僕は我に返る。
どんな環境でも、大切なのは適応力だ。
一口は食べよう。
そう決めて羊の心臓を一口食べた。
「・・・」
「なんとも言えねぇ...」
悔しいが、漠然とした食べ物のイメージに振り回されて僕は肉の本来の味を直視できていないらしい。
正直、まるでゲテモノ料理を食べているような気分。(ほんとスミマセン…)
美味しいとも不味いとも判断できず、ただなんとなく気持ち悪い。
偏見に囚われる、僕が最も嫌う生き方なのだけど。
「すみません、やっぱ無理です」
そんな明らかに芳しくない僕の表情をどう汲み取ったか、しかしお父さんは僕の皿の上に満面の笑みを浮かべて肉を載せていく。
「...なんでだよ!!!」
心の中の全ての僕がそうツッコんだ。
黒い影、敵襲
食事を終えて、モンゴル教育大学の生徒であるjoy君が僕に、ションベンに行こう、と誘った。
「オーケー」
だだっ広い草原に豪快に撒き散らしていく、これが「モンゴリアン・スタイル」である。
ゲルの外に出て寒さに凍えながら草原を歩いていると、その時、黒い影がゲルの方向に見えた。
凝視してみると、なんと猛スピードに僕の方に向かって走っているではないか!
狼だろうか?
黒い影が大きくなり、僕は本当に死を覚悟した。
ああ、こんな所で死ぬなんて。
「ワンッ、ワァハンハァハァッ!!」
敵が闇から姿を現す。
犬だ。
しかし安心してはいけない。
犬であろうと、狼と大して危険度は変わらないのだ。
なぜなら、狂犬病を持っている可能性があり、噛まれたら冗談抜きに一貫の終わりだからだ。
瞬間に、黒い塊が僕と衝突する。
はい、死んだ。
「......死んでない?」
犬は僕を襲うどころか、腹を向けて寝っ転がった。
犬は、ゲルに入るときに忠告を受けた、あのやたら人に興味も持った犬だった。
犬はハァハァと息を荒くし、僕に愛情表現をする。
僕を撫でてよ!、全身でそう伝えているのが分かった。
犬は苦手だったが、ぐっと押しこらえて撫でる。
嬉しそうだ。
しかもよく見るとなるほど可愛いものである。
同行していたjoy君も、顔をくしゃりと綻ばせて犬を撫でていた。
彼は端から動揺していなかったようだ。
この犬はゲルの番犬的存在で、人懐っこい犬種なのだという。
無知ゆえに感じる恐怖でしかなかったらしい。
誰も知らないどこかの景色
夜風に吹かれて、草原に世界一爽快な放尿を済まし、ゲルに戻ろうとした。
すると、joy君が夜の天井を指さして言う。
「見てよ」
顔を上げると、そこには無限に広がる天空のキャンバスに、無数に散りばめられて光る星々の姿が描かれていた。
紅く輝くさそり座のアンタレスが美しくて、今にも掴んで持ち帰りたくなる。
僕は思わず、わぁ、と感嘆の息を零す。
都会では見られない、星々の壮大なオーケストラが聴こえた。
これはかつての人類が飽きるほどに眺めたはずの光景で、都会の空にも必ず存在しているはずの光景なのだ。
日本から約3000km。
かつてモンゴル帝国が栄えた異国の土地で、僕はある種の懐かしさに震えていた。
懐かしさ、そして圧倒的な美。
僕はひどく感動してゲルに戻っていった。
ゲルに入ると、もはや羊の臭気は気にならなくなっていた。
追記
その後、色々あってゲルに泊まり、色々あってゲルでの旅は終了した。
その後様々な出来事があったが、それを書くにはこの空白は狭すぎる。
というか、僕の体力がなさすぎる。
よって、このような純文学風のとりとめのない終わり方を許してほしい。
終わり。
もっと怖い話↓
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