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シリア(3)

我々の研修は毎晩遅くまで続いたため、あまり観光などに時間を費やすことは残念ながらできなかった。研修の初日に二人の同僚と、タクシーでダマスカス市内を一望できる小高い丘に行ったこと。ランチに二度ほど研修会場を出て、レストランに行ったこと。同僚にゴラン高原、ウマイヤドモスク、そしてスークに連れて行ってもらったこと。これらで、かろうじてシリアの人たちの生活の様子、街の様子などを垣間見ることができた。

ダマスカス市内

シリアに渡航する前に、渡航への心構えを記した文書を配布された。そこには次のような注意事項が記されていた。

1.公共での政治的な発言は慎むこと
2.アメリカ国旗のついた物を携帯しないこと
3.物乞いが来ても金品を渡さないこと
4.野良犬、野良猫に触れないこと
5.水道水の飲料を控えること

以上だったと思う。もう15年以上も前のことなので、明確には覚えていないのだが、上記の1.と2.については当時のシリアの政治情勢を色濃く示している。

3.は当時シリアはイラクからの難民を多数受け入れていたこともあって、更なる救いを求めて街をさまよう子供たちの姿を町でよく見かけた。その都度、声をかけようかと心はかなり揺れ動いたが、一人に物を分け与えてしまうと、我も我もと多くの子供たちに囲まれてしまうので、要注意とのお達しだったので、子供たちには近づかないように気を付けた。

4.は渡航前に予防接種をしたし、5.は毎日研修会場にボトルに入ったミネラルウォーターが用意されていたので、この二つについてはあまり心配はなかった。

研修中、仕事の関係等で一時的にシリアに在住している日本人の方々とも、知り合いになる機会に恵まれた。彼等の話では、イスラム教国は戒律が厳しい為、すりやひったくりなどの軽犯罪に巻き込まれることはほとんどないとのことだった。彼等のうちの1人が、
「東京都内の歓楽街を歩くより安全ですよ。」
と、言っていたのがとても印象に残っている。

ダマスカス市内を歩いてみると、インフラは日本と比べたら、とても整っているとはいえなかった。コンクリートの陸橋のところどころ割れていたり、道路のそこここに穴があいていたり。でも恐らくダマスカスは、シリア国内のどこよりもインフラを整えて、首都たる威厳を保っていたように思う。このような状況下でも、私の目には、ここで暮らす現地の人たちが不便さを感じているようには見えなかった。

ゴラン高原

シリア滞在も後半に差し掛かった頃、研修で知り合った同僚が、ありがたいことに私と数人の同僚を車で観光に連れて行くと言ってくれた。我々はその日の研修が終わるとすぐに、カメラを片手に車に乗り込んだ。

最初の訪問地はイスラエルとシリアを分け隔てているゴラン高原。軍の施設がたくさんあるので、写真撮影は厳禁だと事前に告げられた。車窓から見える景色は、ダマスカス市内とは比べ物にならないほど、殺風景なものに思えた。至るところで見られる倒壊した建物の残骸は、第4次中東戦争でイスラエル軍に攻撃されたときのもので、プロパガンダとして無残な姿のまま、そこに残しているのだという。

ゴラン高原には、イスラエルとシリアの停戦を監視する目的で、1974年から活動を開始した、「国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)」が駐屯していたので、ゴラン高原に近づくにつれて、銃を身に着けた兵士たちの姿や、セキュリティポイントの数が増えていった。

ゴラン高原に足を踏み入れると、窓から見える景色がとても不自然なものに思えた。右手には青々と茂った草原が。左手にはひび割れた地面の荒野が広がっていた。案内を買って出てくれた同僚は、イスラエル軍がシリア側への水の供給を意図的に止めているからなのだと説明してくれた。私にとって、あの光景は今でも忘れることができないほど、衝撃的なものだった。

マーケット

我々がダマスカスに戻った頃には、辺りはだいぶ暗くなり始めていた。まずはウマイヤドモスクを訪問し、最後にスークのナイトマーケットへと足を運んだ。

夕暮れ時だったからなのか、理由は定かではないのだが、モスクの中を除くと、そこに女性の姿はほとんど見られなかった。少しだけでも中を見学したいと思い入口に行くと、同僚の1人が半袖のブラウスを着ていたため、上からマントのようなものを着用するよう指示された。モスクの中に入ると、あまりの荘厳さ、そして信者たちのひたすらに祈りを捧げる姿に、ぴーんと張りつめた空気を感じた。そして見学のためにモスクに足を踏み入れたことに、なんとなく居心地の悪さも感じていた。

モスクを出て、歩いてスークへ向かうと、目の前にたくさんの人が行き交う、活気ある市場の景色が広がった。一つ一つの店はそれほど大きなスペースは有していなかったが、店先には所狭しと商品が陳列されていた。一番目を惹いたのは、女性用ランジェリーの店。イスラム教の国にいることを忘れさせるほど、ショーウィンドウには煌びやかな下着がディスプレーされていた。宝飾店には金のジュエリーがたくさん並んでいて、店の照明に照らされて光り輝いて見えた。世界中で高い人気を誇る「アレッポ石鹸」を販売する店も多数あった。でも、どこの店に入っても「メイド・イン・チャイナ」の商品が幅を利かせていて、少しがっかりしたのを覚えている。

「メイド・イン・チャイナじゃないものが欲しい。」

と、私が話しているのを耳にして、案内をしてくれた同僚が、地元の女性たちが作成する布小物を販売している店に連れて行ってくれた。そこで私は、ベージュの生地に金の糸で刺繍が施されている、テーブルクロスとナプキンを買い求めた。15年以上経った今でも、特別なシーンで我が家の食卓を彩ってくれている。

To be continued.


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