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好きなものを否定されるということ

推し活、ブームですよね。
ブーム自体には賛否あるけど、「誰かを応援すること(金銭的にも時間的にもそこそこ費やして)」が一般的な趣味として浸透したことは良いと思います。

昔、好きなものをよく否定されていました。

中学3年生~大学生くらいの間、マイケルジャクソンが大好きでした。

そのころは、第一次のマイケルジャクソンブームは去っていて。
マイケルについて、テレビで放送されるのは奇行(のように映る映像)、整形、肌の色の話ばかり。

そして、あの児童性的虐待の裁判も行われていました。
当時、リアルタイムで裁判記録を翻訳して掲載してくれるアメリカ在住の方のサイトがあり、学校から帰宅しては読み漁っていた。

一方テレビでは、連日、裁判の内容や進捗を無視して自分の感情や偏見だけで語るコメンテーターたち。挙句の果てに無罪判決が出ても、疑わしさを含んだ表情を隠しもしない。
心底うんざりして、中3にして「テレビのウソを見抜く」みたいなタイトルの新書を読んだりしていた。笑

世の中そんな感じだったので、「マイケルジャクソン」=変人、少年愛、みたいな印象になってしまっており。
特に、第一次のブームを経ていない私たち世代のほとんどは、カッコいいダンスも歌も知らない。ただ変人のイメージだけがついてまわっていた。

だから、「マイケルジャクソンが好き」なんて言ったら、
「えーあの気持ち悪い人!」
「子供に虐待したんでしょ」
「白人になりたいんだよね」
…と反応されることは珍しくなかった。

真面目に反論したことも、適当に流したこともある。
心の中ではいつも悔しくて仕方なかった。
でも、自分が得られる情報のなかで、きちんと判断して彼を信じている、そういう気持ちを育めたことは、人生においてすごく良い経験だったと思う。

それに、そんな悔しい気持ちを吐き出す場所もあったし。
(前の記事で書いた、オフ会やダンパなんかのこと)

その経験があったので、
「誰もがみんな誰かの推し」というのは心に刻んでいるわけです。
ライブ会場や劇場で、お連れ様との会話で出演者の悪口やダメ出ししてる人。たまに見かけるけど…それ、ここにいる誰かが大切に応援してる人ですよって思う。言いたいなら別の場所でね。

誰かの好きなものやひとを否定することは、
本当に何も生まない。

もちろん、自分の好きなものを主張するときに、ほかのものを下げることも、何も生まない。
そんな時間があるなら、お互いの好きなものを共有し合いましょう。
小学校の道徳で教えておいて欲しいくらいだ!

あ、推し活以外の場でもあるよ。
「〇〇(芸能人)ってカッコいいよね」って言ったら「あなたの趣味はいつも理解できない」って返されること。そういう時はむっとして黙ります(笑)
「あなたといつも趣味合わないよね」←これはいいの。お互いの違いを理解しているから。

ともかく、最近はマイケルジャクソンのイメージも大きく変わった。今はもう気持ち悪いなんて言われない。
マイケルが亡くなって、その才能にふたたびスポットが当たったことがその主な理由だとしたら、少し悲しいことだけど。

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