習近平の解任、もしくは重体、死去の可能性と中国の権力の行方
はじめに
※ この記事はアーカイブ目的で残しているものです。最新の内容については、本稿を改版した「中国指導部の変質 ―習近平の権力闘争敗退もしくは重体・死去の可能性と集団指導体制への回帰―」をご覧ください。
三中全会(中国共産党第20期中央委員会第3回全体会議、7/15-18)の会期中に、中国共産党の深奥で何かが起きた模様です。状況証拠をつなぎ合わせると、かなり確度の高い話と判断しましたので、急遽本稿を書き上げました。事態がこのまま推移した場合に、場合によってはやがて「習近平主席の動静不明」という記事が各種のニュース媒体に踊ったのちに中国当局から何らかの重大発表がなされるか、そうした前触れのないまま、習の任期途中での退任ないしは解任が公表されることでしょう。あるいはすでに彼は権力闘争に敗退していて、集団指導体制を受け入れる代わりに残りの任期の期間を務めるという取り引きがなされている可能性もあります。
習近平はすでに亡くなっているか、意識不明または意思表示の困難な重体にあるか権力闘争に敗れて権限を大幅に制約されている(従来のように独断的には権力を行使しない誓約をしている)かのいずれかであると思われます。仮に亡くなっている場合でも、彼が脳卒中などで倒れたと噂されている大会初日の7/15日の夜ではなく、死去の日付は意図的に改竄されて後ろ倒しにされることでしょう(復帰の見込みがある場合には、プーチン氏が国内でよくやっているように、そっくりさんの替え玉を立てていることでしょうが、復帰の見込みがない場合には、いつまでも隠しおおせるものではないことから、日付はごまかすにしても事実は公表するという判断が指導部に働きます)。その場合にはこの秋に、次の国家主席を選出するための臨時の党大会の開催が必要になるかもしれません。
あらかじめお断りしておきますが、本稿は断片的にウェブ上に存在する記事をつなげて推論しただけの、いうなれば憶測記事です。彼の健在が確認された場合には、すみやかに非を認めて撤回するつもりですが、当方は現在の自身の直観に相当の自負があります。真相を言い当てていた場合には、世界で初めて体系的に、北京の奥の院で最近起きた事態の全容と現在の中国の権力構造について分析した論考となることでしょう。
1. フェイクニュースの存在
今日では、大マスコミのニュースを見ずに、好みのSNS上に現れる真偽のほどの分からない記事を真に受けて暮らしている人は膨大な数に上りますので、「すわ、一大事 !」とフェイク画像に飛びついて時間を空費する方もおられることでしょうから、あらかじめ以下のフェイク画像について注意を促しておきます。
広くウェブ上に流布しているこの画像は、それ自体は捏造ではありませんが、フェイクです。左上から時計回りに、飲料に手を伸ばした習主席が席から転げ落ちたように見えますが、3番めの画像は開催前や休憩時などに、会場のスタッフが席を確認している様子を写したもので、上の2枚とは直接のつながりはありません。
またこの個々の画像自体が、3月に開催された全国人民代表大会のさいのもので、今回の三中全会のものではありません ※1)。
※ 注1) この指摘は、日本ファクトチェックセンターによるもの(https://news.yahoo.co.jp/articles/4d2c882472d294acf26617d6ea054430a4ca53c3)。
なお本稿冒頭の画像もまた、上掲の
https://www.freiewelt.net/nachricht/hatte-xi-jinping-einen-schlaganfall-10097249/#google_vignette によるものである。
2. 権力の空白
いうまでもなく、ここからが本題です。3期めに入った習政権では、これまでの30年以上にわたり保たれてきた法や不文律がいとも簡単に破られることが常態化していますが、今期の経済政策を占う場である三中全会以来の事態はまさに常軌を逸しているといえます。
周知のように、中国の現指導部は「核心」と称する習近平主席を扇でいえば要とする構成で、共産主義青年団(団派)や江沢民派といった対抗勢力は7人からなる政治局常務委員から完全に排除された一方で、「習派」というものは実際には存在せず、福建省厦門や浙江省杭州、上海市といった、習近平がトップを務めて党中央へとステップアップしていった地方の政府や党組織の時代のお気に入りの部下の寄り合い所帯なのです。したがって習近平に何かがあったときには、現在の指導部は取りまとめることのできる人物が存在せず、さまざまな勢力がばらばらに動き出して分裂してゆかざるをえない構造になっています。今まさにそれが進行していると仮定すれば、現在起きている異常な事態の説明はすべてつきます。
以下、先月中旬来の出来事の生じた順に述べてゆきましょう。
2.1 新華社特別稿の撤回
以下は状況証拠になりますが、新華社(国営の通信社)がおりしも三中全会の初日の7/15日に配信した、長文の特別稿「改革家习近平」(改革者習近平)※2)が、まだ会期中だった配信のわずか2日後の17日に取り下げられたという異例の出来事が起こります。この記事は主席を礼賛する内容の、いうなれば提灯記事で、鄧小平の改革開放を超える改革思想として、2022年10月の党大会で提起された「中国式現代化」※3)を位置づけることで、政策的に新味のないことが開催前からあきらかだった三中全会に対する援護射撃を行い、大方を納得させるために周到に用意された原稿でした。
この撤回をめぐっては、当時いくつものウェブ上の記事で論じられていました ※4)。
※ 注2) 今も読める全文は、記事の配信先の一つである香港紙『文匯報』(https://www.wenweipo.com/a/202407/16/AP669584b7e4b096aa108845f8.html)である。
※ 注3) この前提になるのが「中国の特色ある社会主義」であるが、両者は論理的に同義反復に近いので、内容は空疎である。政治局常務委員にまで上り詰めた理論家の王滬寧が、この時の党大会で総書記として異例の3期めを迎える習の求めにより、3期めを飾るにふさわしい華々しいスローガンとしてひねり出したものと思われる。
※ 注4) たとえばhttps://toyokeizai.net/articles/-/782663。
この筆者は差し替えの理由について「トーンが強すぎて本人のお気に召さなかったのか、現在は削除されている」としている。
2.2 解放軍機関紙の論評
7月27日、人民解放軍機関紙『解放軍報』はその二面の「強軍論壇」において、「党内政治生活の低俗化は戒めるべき」との論評を掲載します。そこには、「いま、個別なところでは党内政治生活が正常さを失い、個人は党組織の上に凌駕し、家長制的なやり方で、鶴の一声で物事を決めるようなことが起きている」※5)と記されていました。
これは軍の範疇を越えた党のあり方への、越権ともとれる論評・批判であり、特定個人の名指しを避けて一般化した形で個人の強権について論じていますが、毛沢東時代の反省を忘れ、個人崇拝に戻るかのような権限の集中を進めてきた習近平その人に対する痛烈な批判であり、これまでの習体制が強固であった時代には到底考えられなかった事態です。この間に習個人ないしは指導部が、従来党の内外に有してきた力を何らかの理由で失い、党内外の組織なりグループが、短期間のうちに相当自由にものが言えるようになったことを示しています。
注5) 石平訳(https://gendai.media/articles/-/134750?page=4)。この筆者は解放軍報の論評に対して、「軍ぐるみのささやかな「造反行為」である可能性」があるとしている。
2.3 軍管区人事
7月31日に報じられたところによれば、南部戦区で王秀斌上将(60歳)が司令官を解任され、第20期(今期)中央委員で22年から中部戦区の司令官の任にあった呉亜男上将(62歳)が起用されます ※6)。この人事異動はこの日まで報道されておらず、また司令交代の理由も不明なままです。南部戦区司令だった王秀斌の消息については、まったく分かっていません。王氏の前任者2人は、事実上の定年である65歳で退任していましたから、この異動が通常の退任ではなかったことはあきらかです。王は習近平の腹心として知られていました。
また北部戦区司令には、元中部戦区司令でやはり第20期中央委員の黄銘が着任します。中部戦区司令については、一部報道では元北部戦区司令で、第20期中央委員の王強が中部戦区司令に着任するとされていましたが、そうは発表されず、王強の身柄がどうなっているのかについてもあきらかではありません。
三中全会後に突然、五大戦区のうち北部戦区・中部戦区・南部戦区の司令が異動になっていたのでした。交代はあきらかに戦区単位で戦力の一時的低下を招くにもかかわらず、過半の戦区で一斉に異動を行うというのは異常な事態で、粛清人事とも、軍内部でのクーデターの勃発かとも取り沙汰する向きがあるほどです ※7)。
注6) https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-08-01/SHIT9RT0AFB400
注7) https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82699?page=2
2.4 国務院会議の変
同じ7月31日、習主席の浙江省勤務時代からの忠実な秘書役として知られた李強首相が、自身の主宰する国務院会議で習近平の影響をあからさまに脱した振る舞いをします。
この会議は、前日の7月30日開催の中央政治局会議で、習近平が行った「重要講話」である「当面の経済情勢と下半期の経済工作」を承けたもので、ももともとは「当面の経済情勢と下半期の経済工作に関する習近平総書記重要講話を学習する」と銘打たれていました。ところが人民日報で公表された実際の具体的内容には、習近平の名前と「習近平講話」に対する言及は皆無で、「党中央」を主語に据えて、「党の三中全会精神の学習・貫徹」をテーマとするものになっていたのでした ※8)。
国務院の会議の開催と内容については三中全会前から決まっていたものと考えられ、ここでも三中全会前とはあきらかに情勢が変わっていることが看て取れます。
※ 注8)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a647bfce73ae5e71b8891bff97c743930a97259d
2.5習近平の動静の報道の激減をめぐって
三中全会の会期の最終日の7月18日に公表された「公報」(コミュニケ)には「習近平」という語は3回、閉会後の21日に公表された2万2000字あまりの「決定」においても、3回しか用いられておらず、代わりに「党」という語が「公報」で31回、「決定」で21回、「党中央」という語が「公報」で3回、「決定」では1回だけ用いられています。「習近平新時代中国特色社会主義思想」(いわゆる「習近平思想」)という語は「公報」でも「決定」でも1回だけです ※9)。昨23年2月に開かれた二中全会のより短い公報では、「習近平新時代中国特色社会主義思想」が4回、「習近平」という固有名詞に至っては8回も用いられていました ※10)。
三中全会閉幕後のここ2週間、新華社・人民日報・環球時報・解放軍報・中央テレビといった主要な共産党系メディアでの習近平に関する報道は大幅に減少しています。時には実力の伴わない国務院総理(首相)である李強に関する報道の頻度が習近平の報道を上回ることさえあり、いかに北戴河会議の期間中であったとはいえ、これまで考えられなかった事態となっているのです ※11)。
8月9日に新華社は「党中央と国務院が専門家を北戴河に招待した休暇の側面記録」という記事 ※12)を掲載し、党中央と国務院を同等に扱います。これは李強が首相に就任して以来初めてのことで、共産党の慣習と論理からすれば、習近平が共産党系メディアの支配権をすでに失っているか、あるいはまた近い将来に退任する可能性を示唆するものとなりました※13)。
※ 注9) それぞれの出典は、
https://www.gov.cn/yaowen/liebiao/202407/content_6963409.htm
https://www.12371.cn/2024/07/22/ARTI1721605206529310.shtml
※ 注10) この出典は、
https://www.gov.cn/xinwen/2023-02/28/content_5743717.htm
この問題に関する代表的な論考として、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82147。この筆者はここで用いられた字句の選択について、「こうした決定は、習近平が独断で行ったのではなく、党中央として採択したのだ、ということを強調するようにも読み取れる」と説明している。
「公報」では思想関連の箇所は「全会强调,进一步全面深化改革,必须坚持马克思列宁主义、毛泽东思想、邓小平理论、“三个代表”重要思想、科学发展观,全面贯彻习近平新时代中国特色社会主义思想,深入学习贯彻习近平总书记关于全面深化改革的一系列新思想、新观点、新论断,完整准确全面贯彻新发展理念,坚持稳中求进工作总基调,坚持解放思想、实事求是、与时俱进、求真务实,进一步解放和发展社会生产力、激发和增强社会活力,统筹国内国际两个大局,统筹推进“五位一体”总体布局,协调推进“四个全面”战略布局,以经济体制改革为牵引,以促进社会公平正义、增进人民福祉为出发点和落脚点,更加注重系统集成,更加注重突出重点,更加注重改革实效,推动生产关系和生产力、上层建筑和经济基础、国家治理和社会发展更好相适应,为中国式现代化提供强大动力和制度保障。」となっている(太字は筆者による、以下同じ)。
従来の「習近平思想」という単語は直接的には現れず、習近平の名は多くが死者である過去の指導者と同列に併記される形となっている。引用範囲に1回用いられている「中国式現代化」は、全体では21回も用いられており(二中全会ではわずかに1回)、「習近平」という個人名とは切り離された形で強調されているのは注目すべき点である。おそらく、原案では従来どおり「習近平新時代中国特色的社会主義思想」という長い字句が多用されていたものを、大幅に「中国式現代化」に置き換えたものと思われる。
また「決定」では「第一板块:总论」の箇所は、
「一、进一步全面深化改革、推进中国式现代化的重大意义和总体要求
(1)进一步全面深化改革的重要性和必要性。
坚持和完善中国特色社会主义制度、推进国家治理体系和治理能力现代化的必然要求
贯彻新发展理念、更好适应我国社会主要矛盾变化的必然要求坚持以人民为中心、让现代化建设成果更多更公平惠及全体人民的必然要求
应对重大风险挑战、推动党和国家事业行稳致远的必然要求推动构建人类命运共同体、在百年变局加速演进中赢得战略主动的必然要求深入推进新时代党的建设新的伟大工程、建设更加坚强有力的马克思主义政党的必然要求
(2)进一步全面深化改革的指导思想。
坚持马克思列宁主义、毛泽东思想、邓小平理论、“三个代表”重要思想、科学发展观
全面贯彻习近平新时代中国特色社会主义思想
深入学习贯彻习近平总书记关于全面深化改革的一系列新思想、新观点、新论断
完整准确全面贯彻新发展理念
更加注重系统集成,更加注重突出重点,更加注重改革实效」となっている。
こちらも「公報」と同様であり、「中国式現代化」は、全体では16回用いられている。
※ 注11) https://www.epochtimes.jp/2024/08/246525.html
北戴河会議とは、毎年8月前半に北京に近い避暑地、北戴河で開かれる非公式の集まり。建前は長老をご招待する「休暇」で、現役の指導部が重要政策や人事について長老らの意見を聞く場とされてきたが、近年形骸化していた。
※ 注12)
https://www.beijing.gov.cn/ywdt/dzyjs/202408/t20240809_3770038.html
※ 注13) 注11に同じ。その理由として筆者は、公式のメディアは共産党にとっての権力の象徴であり、通常は総書記が掌握しているものだからだとしている。
3. 謎解き
2.1の新華社特別稿の撤回について:
国家運営が厳しさを増す中、個人崇拝的なアプローチで突っ走ってきた習体制でしたが、習近平その人が存命でなくなったか、意識が戻らない、人前でまともに喋れないといった事態に陥って政治的にはすでに死んでいるとすれば、いずれ事実を一定程度公表せざるをえない以上、彼をことさらに押し立てた宣伝を続けることによって体制を安定させようとする従来のアプローチは不毛になります。そうした判断が指導部に働いたと考えるのが自然でしょう。
国家指導者には外交舞台がありますから、中国の場合、いつまでも国家副主席や首相に代理を任せておくわけにもゆかず、欠員が出ればいずれかのタイミングで新しい国家主席を決めなければ、他の大国と渡り合うことができません。
あるいは、会期の早い段階で、彼の身に異変が起きたのではないとするならば、彼なのか彼の指導部なのかが、三中全会の壇上で反対派から経済失政についてこっぴどくやり込められて、それに対して同調者が相次ぎ、従来の路線の放棄を余儀なくされたという可能性です。
悪化する一方の経済に対して、実効性のある対策を打ち出せないまま、主席の周りへの結束と、「中国経済光明論」のたぐいのおまじないのような弥縫策で人民のマインドの上昇を図ることだけでは、ついに乗り切りが図れなくなったのではないでしょうか。
2.2の解放軍機関紙の論評について:
2.2に述べたように、張中央軍事委員会副主席に率いられた軍の制服組は、党からの一定の自律性を得たとしか考えようがありません。それはこの場合に、中央軍事委員会主席であった習近平が政治的に不在となったか、彼の党内での立場が決定的に弱体化したということ以外にはないでしょう。
中央軍事委員会の副主席は、権力の移行期には次の国家主席が予定されている文官が就くのですが、彼が国家主席に就いて権力が安定すると、副主席は2人とも武官(最高軍位の上将)が就いてきました。このシステムは主席が任期中に欠けることを想定していないため、仮に今回のような事態が起こると、人民解放軍は党に対して自律性をもつようになります。党側から見れば、コントロールが効きにくくなって危険な状態に陥ってしまうのです。
2.3の軍管区人事について:
ちょうど1年前の23年8月以降、人民解放軍の高級将校が相次いで失脚したり、失踪したり、自殺したりしてきました。その中には核ミサイルを管掌するロケット軍司令の周亜寧・李玉超や元国防相の魏鳳和・李尚福といった高官も含まれています。この2人の元国防相については、三中全会の直前になって、軍籍どころか党籍までもが剥奪されたことが発表されました。
三中全会に至る軍部の粛清は軍の掌握に不安を懐く習近平(人民解放軍は党の軍事部門であった経緯から、中央軍事委員会主席を兼ねる)の意向でなされてきました。三中全会を機に習近平が人事不省のような状況に陥っているか、あるいはさまざまな言質を取られて政治的に弱体化しているとすれば ※14)、それまで抑え込まれていた軍のナンバー2である制服組トップの張又侠上将(中央軍事委員会副主席)の意向によって、さっそく習が昇進させた高官を外す巻き返しが行われていると解釈するならば、一連の軍の人事の説明はつきます。魏・李の2人は張によって引き上げられてきたとされているからです。
※ 注14) 三中全会の会場を見るに、完全な雛壇形式であることから、フロアからの攻撃によってこのように決定的にやり込められるという展開には無理があり、フロアからの批判に呼応する形で壇上の複数の政治局常務委員の離反があったと考えるのが自然である。
2.4の国務院会議について:
習主席の忠実な部下である李首相が、中央政治局会議からわずか1日で手のひらを返したというよりも、中央政治局会議ではすでに三中全会以前から決められていた線に沿う形で講話が公表されただけで、実際には習は会議の主宰などしていなかったとすれば、国務院会議の内容は、習の不在という現実を踏まえたものということで、これまた説明がつきます。
あるいは再三述べてきたように、結果と平仄の合う、より現実的な展開としては、機を見るに敏な李強は、従来の習を押し立てた権威主義的な路線で三中全会中盤以降の情勢を乗り切ることは不可能と悟って、予定されていた内容を大幅に改変して対応したということでしょう。「党の三中全会精神」という表現は、いかにも今回の三中全会を通じて醸成された、党中央のより民主的な気分を表しているといえます。
今回の三中全会は本来党大会の翌年の秋、今期であれば23年10月に開催されていなければなりませんでしたが、不動産市況の悪化から経済が悪すぎて、開催するに開催できないと考えられてきました。今回の結果からすると、本当の延期の理由は、指導部が経済政策の実績の悪さを批判されて党内での主導権を失うことを恐れていたということだったのかもしれません。
4. むすびに代えて ―習近平のミステリー―
さて、重病・死亡説を覆す事実が1つ残っていて、その存在が習の病気関連の推論を覆しています。それはベトナムの最高指導者、グエン・フー・チョン共産党書記長が三中全会閉幕の翌日に亡くなったことによって、にわかに外交の舞台が出来上がり、習主席が翌々日の7月20日に、北京のベトナム大使館を弔問に訪れたことでした。そのさいの報道の動画も残っており、少なくとも合成やAIによる映像ではありません ※15)。これに、今からベトナムの新書記長の初の外遊としての北京訪問という事実が加わります。
三中全会の会期後半以降の、中国中枢のさまざまなアクターによる従来よりも自由な振る舞いは、本稿第2節に見てきたように、あきらかに習近平の死、人命の死ではないにしても少なくとも「政治的な死」によってしか、統一的には説明がつきません。
ここでいう習の「政治的な死」とは、党内での集団指導体制への回帰や党内民主主義の重視、反腐敗闘争を通じた恐怖政治の放棄といったソフトな路線への転換であり、それは三中全会での自己批判に近い形での従来の路線の反省の表明や、党政治局内部での実質的な解任、人民解放軍のクーデターを通じた権力奪取等によってもたらされたものであるはずです。
これ以上は今後の推移を観るほかないのですが、真相は限られていると思われます。
① 彼はすでに持病とされる脳の動脈瘤の破裂などで実際には亡くなっているか、意識が戻らないか、発話や歩行が困難な状態にあり、党中央はおりを見て死期や引退の時期を公表するつもりで、対外的には替え玉(プーチンが用いている手法で、よく似た人相・体型の人物に美容整形手術を施してこの日に備えていた)を用いている(発話だけが困難な場合には替え玉は用いていないのかもしれません)。
実際に、中国CCTVの報道では動画の中の習近平の肉声は流されていませんし、大使館で弔慰を表す揮毫までしていますが、書いている間の手許は放映されていません。書は誰かが彼の字に似せて別途書いたものと差し替えることが可能でしょう。
② 彼は多くが子飼いの部下からなる政治局常務委員の7名中の、自身を除く4名以上の共謀によって、経済の失策を批判されてすでに実質的には解任されているが、党中央は内外の混乱を避けるために退任の公表のタイミングを秋以降に引き伸ばしている。
中国では秋に党大会を開催して新しい総書記(書記長に相当する共産党のトップ)を選出し、3月に全国人民代表大会を開催して、その人物を国家主席に選出する必要があるからです。
③ 三中全会の場(党中央委員会の今回の会期で、メンバーは中央委員が2百名超、候補中央委員が百数十名)でフロアから経済実績をめぐる突き上げがあり、主席以下、経済通の少ない現指導部では充分な反論ができずに追い込まれ、事態を収拾するために自派で固めた政治局常務委員からも呼応して仲裁に当たる委員が複数現れた。集団指導体制への回帰(過度の個人崇拝をしない)、党内民主主義の重視、反腐敗闘争の放棄といった具体的な項目の要求を飲まされて言質を取られ、党内で従来のようには振る舞えなくなった。
④人民解放軍の内部で、習の着任以来の過度の反腐敗運動の取締に対する反発が高まり、三中全会の直前または会期中に中央軍事委員会副主席の張又侠をトップに水面下で軍事クーデターが起こり、習はいったん身柄を軍に拘束されて、中央軍事委員会主席をすでに実質的には解任されているが、②の場合同様に公表が先送りされている。
④の場合には、党と人民解放軍の従来の力関係はすでに逆転しており、発展途上国の軍政によくあるように党の権力は形骸化して、軍の意向にそって行政を監督するだけの機関になり下がっていることになります。この場合には、いずれ習が中央軍事委員会主席を退任して、張又侠がその地位に就いたという発表がなされるでしょう。中央軍事委員会主席は、鄧小平が最後まで手放さず、江沢民が国家主席退任後も数年居座ったポストであり、実は毛沢東亡きあとの中国において総書記よりも重要な権力の要なのです。
①②③の場合には、いわゆる習派で固めた党の政治局常務委員の中から、ひとまず後継の総書記を決めて、上記の秋の党大会、春の全人代という流れで国家主席に担がなければなりませんが、リーダーシップを取れるだけの経験を積んだ人材は22年秋の時点で政治局や中央委員会から追いやられてしまっているので、暫定的なトップに留まるでしょう。次のリーダーが育つまでに数年を要しますが(団派のホープである胡春華を政治局に呼び戻すにしても通例であれば27年秋の党大会まで待たなければならない)、下記の拙著に2年以上前に論じたように、中国経済は不動産バブルの破綻で誰が舵取りしてもうまくはゆきません。本格的なリーダーが台頭する以前に、人民共和国自体が崩壊して新共和国ができることでしょう。
いずれの場合にも、誰が名目的なトップに収まったとしても以後は党も軍も集団指導体制となり、軍を含めた国家中枢の複数の機構がその内部でも、また機構相互にもせめぎ合う形となって、国家は漂流し、経済がますます悪化してゆく中で、なす術もないでしょう。拙著に具体的にシナリオとして描き出したように、亡国に向かってゆくほかありません。
※注15) https://www.tiktok.com/@cmanews/video/7393680932957474078