習近平の脳卒中と人民解放軍・国務院の復権 ―中国の集団指導体制への回帰とリーダーシップの漂流の始まり―
はじめに
画像は8月29日の会談前に、西側のカメラの前で満面の笑みで笑い続ける張又侠(ちょう ゆうきょう)中央軍事委員会副主席(軍の制服組トップ)と、終始ニコリともしなかったサリバン米国家安全保障担当大統領補佐官の対比です。
張の過去のこの種の写真を画像検索しても、笑顔でいるのはロシアをはじめとする友好国の要人を出迎えた時だけでした。この日の張はついに何かから解放された喜びを隠しきれなかったか、自身がもはや全権を握っていること(少なくとも中国軍に関しては)を西側に暗に示したかったかのどちらかでしょう。報道機関に許す会談冒頭の撮影は、会談の記念写真のようなものですから、サリバンはその場では張の突然の笑顔の意味を測りかねたかもしれません。
この画像1枚を取っても、強権化を進めてきたここ十年ばかり絶対的に見えた習近平の権勢に、三中全会(中国共産党第20期中央委員会第3回全体会議、7/15-18)の開催された7月の半ばから目に見えて陰りが生じていることはあきらかで、これについてはさまざまな状況証拠を挙げることができます。7月下旬に張の率いる人民解放軍は、機関紙を通じて党のこれまでの個人崇拝の風潮を公然と批判し始める一方、7月末には李強総理(首相)率いる国務院(政府)は、これまでの「習近平思想」を強調する立場をかなぐり捨て、「党中央」や今回の「三中全会精神」に従うと言明するようになっているのです。
何かが大きく組み変わっていることはあきらかですが、多くの観察者はこれだけの状況証拠を見てもいまだに、一部の機関のトップのフラストレーションの現れだとか、機関自体による勇み足として説明しようとしています。
確たる情報がまだ出ていないことから、8/24付けの前稿 ※1)では多角的な分析を試みました。それ以降、特に軍の自立の面からの状況証拠が増えてきて、シナリオは絞り込まれてきたように思います。今回はそのうちでもっとも有力な一つに絞って述べることにしますので、全体像についてより詳しくお知りになりたい方は、のちほど前稿もご参照ください。
※注1) 下記リンク先のnote記事。
1. 権力の分散化
ここでは軍の制服組の復権を主体に描きますが、もちろん共産党内外の有力なアクターはほかにもあります。いうまでもなく、その最たるものは前述の国務院です。
軍の復権の傍証についての前稿の要旨(追記分も含む)をまとめると、以下のとおりです。
① 7月中旬に開催された党の重要会議である上記の三中全会で、昨年10月に解任されていた李尚福 前国防相に対して党籍の除籍というきわめて重い処分が下される一方で、同年末に後任の国防相となった董軍(海軍の前トップ、習に近い人物)の中央軍事委員への昇格は見送られた。物事を決めるために本来奇数の7名で構成されるべき中央軍事委員会は欠員が続いたままの6名体制で、国防相が中央軍事委員会では無役という異例の事態が1年近くも続いている ※2)。
② 7月末に中国の5戦区(五大軍管区)のうち、過半の3戦区の司令官が一斉に交代するという異様な人事が発令され、少なくともうち1人の司令官(米国やフィリピンと軋轢を起こしている南シナ海を管掌する南部戦区司令)は習近平の腹心であった。また解任された2人の司令官は動静が不明のままである。
③ 8月末に、習政権の2期め以降に米側の高官との接触から排除されていた中央軍事委員会副主席(制服組トップで、習主席に次ぐ中国軍のナンバー2)の張又侠が、訪中した国家安全保障担当の大統領補佐官と8年ぶりに会談した(冒頭の画像)。
以上が示すものは、中央軍事委における唯一の文官としての習主席の権力の顕著な低下であり、それは中国指導部内の何らかの理由でのパワーバランスの変動によるものです。これは換言すれば、軍の自律性の回復です。①に見るように、習派の新任の海軍系の国防相は陸軍系の制服組のトップに忌避されていつまでも中央軍事委のメンバーにすらなれず、またこれまで文官である習近平中央軍事委主席によって押し付けられていた主要ポストの人事が、②に見るように、まるでオセロゲームの駒のように、にわかに覆されていっているのです。
前稿はすでに長大となっていますので、今後の加筆は本稿で行うことにします。こちらは軍の関係ではなく最新の政府の人事になりますが、
④ 9/13日、全国人民代表大会常務委員会は、唐仁健農業農村部長(農相)の解任を決めた。3期めの習政権で閣僚罷免は異例の3人めとなり ※3)、政権の混乱を示している。後任に任命された吉林省委員会副書記 韓俊は、20年11月まで同省の副部長の任にあった。
唐仁健はすでに5月から、汚職を意味する例の「重大な規律違反」で調査を受けており、事実上失職していましたので、これについては習の健在時の判断を踏襲したものといえます。およそ中国では高官は、収賄に関しては叩けば埃が出ますので、一度嫌疑をかけられれば取り調べの結果無実だったということにはなりません。
むしろ注目すべきは後任の人事です。学者肌の韓俊はかつては習が信頼を寄せていた、エコノミストの王岐山・劉鶴の系譜の人物ですが ※4)、王岐山の政治局常務委員・中央規律検査委員会(腐敗摘発の拠点)書記からの退任後に、習が王の腹心や王自身の周辺の実業家の腐敗摘発を進めたことで、その後は王とは距離ができています。したがって、韓俊の登用は習派の分裂・解体という現在の大きな潮流に沿ったものといえ、これまた先述の習の権力の顕著な低下の現れです。
今後の注目点としては、従来の腐敗摘発の取り締まりが、現在の習近平の政治的不在の下でも引き続き継続されるのか、それとも④のような習の健在時に取り調べが開始された案件の処理をもって事実上、打ち止めになるのかということが挙げられます(9/14日追記)。
※注2) これに対して前任者の李尚福は2022年10月に、先に中央軍事委員に就いたうえで、半年後に国防相に就任している。
※注3) 唐仁健を含めて外相・国防相・農相という主要閣僚が相次いで解任されていることに加えて、習政権2期めの時の司法相であった唐一軍が退任から1年後の24年4月以来、やはり「重大な規律違反」で取調べを受けている。唐一軍は浙江省時代の習の腹心の部下であることから、習が健在ではなくなった今日の情勢の下では、遠からず重い処分を受けるものと考えられる。
関連して、三中全会のコミュニケでは、解任された前国防相の李尚福は党籍も軍の階級(上将)も剝奪されて一般の人民と同じ扱いになるという処分が下されたが、前外相の秦剛は当人による中央委員の「辞任」の申し出を了承したというに留まり、秦は大幅に降格されながら今も外務省の外郭団体で勤務を続けている。この扱いの差については、さまざまな憶測がなされているが、李には実際に軍の装備品の調達をめぐる汚職があったものの、秦は単に米国での隠し子等の私人としてのスキャンダルにより、習近平の不興を買ったというにすぎなかったというのが真相ではないか。習が三中全会期間中に政治的には不在となった結果、秦の処分は数段軽くなったものと考えられる。
※注4) https://www.aboluowang.com/2016/0113/676054.html(以上、9/14日追記)
2. 習近平の病状
2.1 強権国家と指導者の高齢化
習をめぐっては、これまでにいくつもの持病が取り沙汰されており、甲状腺がんと噂されているロシアのプーチン大統領と同様、今日の世界で横行している強権化の手法 ※5)によって政権にしがみつく指導者に、社会主義国や旧社会主義国の特権層がますます依存する結果として、指導者が後継者を育てないまま高齢化してゆけば、どの国でも避けることのできない事態といえます。習の場合、言われている主なものだけでも脳動脈瘤・肝硬変・膵臓がん等々がありますが ※6)、これらの臓器の障害が複合している可能性もあります。
今回の場合、共産党の重要会議である三中全会の開幕時と、それが閉幕するまでのわずか4日間の間に中国の国家中枢のパワーバランスが激変していることから、肝硬変や膵臓がんではないでしょう(肝硬変も肝性脳症に転じたり、膵臓がんも脳卒中を引き起こして最終的には脳の障害に至る場合もないわけではないそうですが)。ここではシンプルなシナリオを示すために、習はすでに急死しているか重体で、党中央は国家の体面のためにそれを秘匿したまま外交の場面では替え玉を用いているという仮説には立たずに話を進めます(この仮定に基づく分析については前稿参照)。
※ 注5) 下記拙著参照。
※注6) 脳卒中説については、英文で https://x.com/jenniferzeng97 が、三中全会会期の3日めに報じて広まった。筆者Jennifer Zengは気功系の結社、法輪功を奉じて弾圧され、国外に逃れた政府機関の元研究者で、彼女は法輪功系の反中共のサイトThe Epoch Timesに寄稿している。
余談ながら、中国では近時の諸王朝である元・明・清それぞれの末期に、法輪功の前身ともいえる気功系の宗教結社(日本人向けに分かりやすく説明するならば、カンフー(すなわち「功」夫)の結社)である白蓮教の隆盛が見られたことは、今となってみれば注目すべきポイントである。中国本土に7千万人とされる信者を抱えた法輪功は天安門事件から10年めに当たる1999年4月に、北京で要人の住まう中南海を1万人規模で整然と包囲するという示威運動を起こして以降弾圧され(法輪功事件)、創始者以下の要人は米国に逃れた。その後もこの「功」の活動は香港では続き、2020年6月末に施行された国家安全維持法(国安法)後に至っても、しばらくは公然と活動を継続していた。
9月中旬、筆者はベトナムの首都ハノイに滞在し、現地の日本政府関係者と接触した。彼らによればベトナム政府関係者は、習はもう駄目だと口々に言っているとのことである。実際に上掲前稿の第4節に述べたとおり、ベトナムの書記長の代替わりに伴い、ベトナムの外交当局の中枢は今から1ヶ月前に新書記長ともども北京を訪問して、習近平であると中国側が称する人物(倒れて人変わりした本人またはその替え玉)と接触していることから、その場で多くの情報を得ているはずである(9/18追記)。
脳卒中説に関する和文の主要なものとして、時系列順に以下がある。なおニューズウィークと篠原による記事は、前掲拙稿の公表よりも後に出たものである。
2.2 政治的な人形
習近平は上記の会期中から3週間にわたり公式の場に現れなかったことから、重病説が流布します。過去にも何度か2週間程度の雲隠れはあり、その都度何らかの病気で手術を受けていたという観測が出ていました ※7)。
今回も、三中全会以降にときたま外交の舞台に現れる「習主席」が替え玉であるかどうかとは無関係に、本物の習近平は三中全会の前半に脳動脈瘤の発作(脳内の出血)で倒れて、もはや三中全会を乗り切ることはできなくなったと考えられます。これまでの何回かの雲隠れの時とは違って、今回は少なくとも一時はまったく意思表示ができない状態で、主席の不在という異例の事態の中、経済運営がテーマであった三中全会の場で重しが外れたことにより、実質的に経済的には無策である指導部に対する批判が噴出します。指導部は凌ぎきれなくなり、習に取り立てられた側近たちも、彼個人の威信・権威なくしてこれまでの路線・政策を続けることが不可能であることを早々に悟ります。こうして三中全会の途中ですでに指導部は腰砕けになってしまい、もはや習派のこれまでの調子では会議を仕切ることはできなかったのでしょう。
指導部は会期の後半以降、集団指導指導体制に転じ、習を除いた6名の政治局常務委員以外の党中央委員会の主要メンバーの意向も汲まざるをえなくなります。さらに閉会後に日数が経つごとに、ますますその傾向を強めてきています(前稿の第2節参照)。これが前稿に指摘した、会議から日を経るごとに影響力をますます強めていった「三中全会の精神」の中身です。
習近平はその後一命を取りとめて、歩行も発話もできるようになったにしても、やはり脳に障害が残ったままで(現在は開頭せずにカテーテルの挿入等により手術が行えるため、傷跡は毛髪や付け毛で隠すことができるが、倒れた時の最初の大量の出血または、手術時の血管閉塞によって脳組織の一部が損傷し、壊死している ※8)、これは不可逆性変化であることから、以前のようには政治局常務委員会や中央軍事委員会を仕切れないのでしょう。
倒れた人にままあるように、一命は取りとめたものの、もはや別の人になっています。定年で年齢相応に引退していた一般人なら、人変わりしたにしても命拾いで身内に喜ばれるところですが、彼の場合は違います。国家指導者に必要な気迫・胆力や判断力・決断力がすでに失われていて、党の高いレベルの会議を仕切ることができないことには、職務をまっとうすることはできません。強権国家の指導者としては、生物学的には生きてはいても、政治的には死んだも同然です。
習近平はもはや、ある種の喋る人形・お飾りになっていますが、指導部は政権運営に都合の悪い彼の決定的な衰えを対外的にも自国民に対しても隠したままです。もともとが寄り合い所帯の習派は、習の元任地であったいくつかの地方の地縁で結ばれたグループに分裂してしまいました。習が浙江省杭州から取り立てた番頭で、政治局のナンバー2で首相の李強ですら、その全体を束ねることはできません。もはや習が元どおりには復帰できないからこそ、こうした事態になっているのです。これによって、現在の中国情勢のすべてを説明することができます。
仮に外交に替え玉を用いずに済んでいるとすれば、残された指導部にしてみれば、対内的な気迫はなくなったものの、一見するとこれまでとは変わらないレベルで用務は務まっており、不自然に見える代役の替え玉を使わずに済んでいることは不幸中の幸いといえます(プーチンですら、替え玉は国内での健在を見せつける目的で用いており、首脳外交は本人が行っています)。現在の習近平は、日本のような立憲君主制の国(この表現には異論もあるでしょうが、戦後の日本国は共和制に近づいた、形骸化した君主制の政体です)での、君主の果たしている儀礼的な役割を務める国家元首に近い存在になっているといえるでしょう。
※ 注7) すでに習の主席就任前の副主席時代から、この種の話は出ていた。
※ 注8) 脳動脈瘤については古くから、1/3は死亡し、1/3に後遺症が残り、1/3が社会復帰できるとされてきた。
血管内治療の合併症としては、血管内に閉塞の目的で埋め込んだコイルの逸脱や手技中の血管閉塞、瘤の破裂、血腫の形成などが挙げられる。重篤な合併症は5~10%程度とされる。
3. 今後の「中国と世界」―漂流するリーダーシップ―
本稿の冒頭に述べたように人民解放軍も自立の度合いを強め、独自の対米軍事外交を再開しています。党内と政府、軍のさまざまな機関が自律性を回復して、それぞれの部門のトップは自由に動けるようになりましたが、もはや国家としてのまとまりは失われています。
習自身が、政権の3期めに無理な形で政治局常務委員を自派で固めていなければ、ナンバー2か3に残した団派(共産主義青年団の出身者、胡錦濤-李克強の系譜のテクノクラート)に今後の運営を任せることもできましたが、円滑な政権運営を望んだ習がそれを嫌ったため、今となっては不可能です。現主席の下でさらにもう1期(5年)、あわよくば終身という夢は潰え、結局のところ現体制は、続投を決めた先の党大会から2年も保たなかったわけです。
結果として現指導部には忠誠心だけで取り立てられた無能の烏合の衆が残されて、右往左往しているだけなのです。これが、にわかにその動静がつかめなくなったことから、世界が測りかねている中国の奥の院の実態です。政治局の外に追いやられた心ある非主流派にとってみればまさに、それみたことかというところで、先の三中全会では彼らからの不満が一斉に噴出したはずです。
今やアメリカやロシアにしても、中国政府のどこに働きかければいいのか、もはや外交上のチャネルが分からなくなっているのです。この間に、北京を訪れた主要なところではベトナムやアメリカの要人と、パペット状態の「習近平」(卒倒して突然に耄碌した本人、または彼の替え玉)が会談していて、特にアメリカ側はサリバン補佐官以下、これまでに何度も習に会っていることから、習がはたしてこれまでどおりか注意深く観察したはずで、当然変調はつかんでいることでしょう。友邦であるロシア側も、サリバンの北京訪問に先立ってモスクワを訪問した李強から、何らかの情報を得ている可能性があります。そしてプーチンにとっては、1歳しか齢の違わない習の病状は明日は我が身であり、中国の政治的混迷は他山の石ですから、後継者の育成・指名に向けて背中を強く押されたものと考えられます ※9)。
前稿が多角的な分析で長くなったことから、本稿は一本のシナリオによるシンプルな構成にしましたが、結論については前稿とまったく同一です。
ただでさえ経済運営が行き詰まってうまくいっていない中、政治がこの体たらくでは、中華人民共和国の解体は加速してゆきます。歴史的なアナロジーとしては、戦前の大恐慌に直面した米フーバー政権(1929-33)のようなものです。政権の任期だけが残っている中で経済の破滅的な危機に対して指導部は無為無策でいます。制度的な政権交代が可能な安定的な共和国である当時のアメリカと異なり、人民共和国は革命政権ですから、経済的な混乱を長引かせるだけで今の指導部は終わり、やがてさらなる混乱の中で人民共和国自体も滅ぶことでしょう ※10)。
※ 注9) 実はベトナムもまた、前書記長の末期の半年ばかりは同様の状態にあり、前稿に紹介した就任の挨拶の参勤交代で北京を訪問した現書記長(前書記長の反腐敗運動の方針の下で、長らく摘発の実務に当たっていた公安相)が対外的には高齢の前任者の老衰を隠し、操り人形にして実権を握っていたものと考えられる。その点でも、プーチンにはこの種の体制の危うさが痛感されたはずである。
※ 注10) このシナリオについては、前掲拙著参照。
なお、冒頭の画像の出所はReuterによるもので、直接の出所は下記です。https://www.taiwannews.com.tw/news/5927825
また下記の日経の前中国総局長による記事は何とも中途半端な論評ですが、当日の正面から見た張又侠の満面の笑みを見ることができます(画像はこちらもReuter)。